04 死に戻り令嬢、別地にて育つ
お父様が治めるエルデンヴァルク公爵領は、海に面した大陸の端にあった。
気候は温暖で一年中暖か。
湾状に入り込んだ地形に港町が築かれ、多くの人や物が出入りするために反映していた。
領主であるエルデンヴァルク家の屋敷もその港町にあって、私は二回目の十代をそこで過ごすことになった。
自領ではあったが、前世ではついに一度も足を踏み入れることはなかった。
あの頃の私は、魔力がなければ王都に住まうことが唯一の貴族である証と思って頑なに王都から離れようとしなかったから。
二度目の生で初めて訪れる故郷。
そこは想像以上に明るくて暖かく、幼い感性を十二分に刺激するものだった。
港町には国内だけではない外国からの物資も多く流れ込み、舶来の珍しい品物、外国語で書かれた書物などは私に豊富な知識を与えた。
それだけでなく気候穏やかで景観もよい港町には、世界各地の要人や知識人がすべての仕事を仕遂げたあとの隠居先に選ぶことが多く、その多くが領主であるお父様と関係を持ち、その娘である私とも面識を持った。
その中の何人かは余生の暇潰しとして、私への教育を引き受けてもくれた。
前世での私は、時間のすべてを魔法の才能の開花に捧げ、それが叶わぬとなれば王太子妃になるための陰謀を巡らせることに費やした。
そのすべてをやめた今回の生では、時間は大いに余る。
余った時間のほとんどは、自領でまだ知らぬことを学び覚えることに使われた。
学ぶことは意外に楽しく、勉強して覚え、蓄えた知識でさらに難しいことを理解できていく過程に、私は喜びを感じた。
正直どれだけ励んでも進歩しない……まったく手ごたえのなかった魔法の修行よりはよっぽど……。
……いいえ、それはただの愚痴ね。
魔法が、他の知識に劣っているわけじゃない。ただなんの才能もないのに魔法に固執した私が悪かったのよ。
ある程度の才能を持った人なら魔法を覚えていくのも、きっと楽しいに違いなかったわ。
とにかく私は、魔法に見切りをつけた途端、他のことを覚えていくのが楽しくて。
夢中になって学んでいるうちにあっと言う間に時間は過ぎていった。
気づけば……。
……私は十八歳になっていた。
十歳の自分に死に戻ってから、八年の経過。
◆
「エルトリーデ嬢は本当に飲み込みが早い。よほど生まれついての才覚に恵まれたようですの」
授業の終わりにそう言われて、私が戸惑う。
今日はジンガメン先生のお屋敷に、歴史を学びにお邪魔していた。
ジンガメン先生は、蓄えたお髭もすっかり白くなったご老人で、若き頃はどこかの外国で文官を務めていたんだとか。
お年を召して退職し、我が領都のよくあるケースで隠居先として選ばれて移り住んでこられた。
そうした御方はこの街にはけっこうたくさんいて隠居であるがゆえに案外暇を持て余している。
暇潰しに領主の娘に教えをつけてやろうという奇特な御方もけっこういた。
ジンガメン先生もそのお一人で、その好意に甘えてご自宅にまで押しかけて教えを乞うている私……だが……。
「買い被りですわ。私に才能なんて……」
唐突なお世辞に、どう返していいかわからず口ごもってしまった。
最近こういうことをあちこちで言われる。
「誉め言葉に慣れておらぬのもアナタらしいというか……。御嬢がこの国でどのような立場にあるか事情は窺っておる」
先生は豊かな白髭を撫でつけながら言う。
その言葉に私は思わず身を固くした。
「正直ワシは、魔法だけで人材の価値を図ろうとするこの国の価値観に疑問を抱いておる。よく学んでおられるエルトリーデ嬢は他国がどのように人材を計るかご存じであろう?」
「魔法が存在するのは我がスピリナル王国のみ。ですので他国では魔法が人材の物差しになることはなく、あくまで家柄を含めた知性、能力、実績などで評価を受けると聞きます」
「左様」
ジンガメン先生は満足げに頷く。
海に面した港町だからこそ、国教を越えた他国の情報がここではふんだんに入ってくる。
王都にいては一生知ることがなかったことも、私は領地でたくさん学べた。
お陰で今は……、『何故あんなに魔法だけに固執していたのだろう?』と過去を振り返られるまでになっていた。
「他国への批判と受け取られるかもしれませんが、この国が何故そこまで魔法だけに拘るのか、理解に苦しみますのう。まず人材の評価は多面的でなくてはなりませぬ。力はあってもバカでは大事を託せぬ。文武を兼ね備えても性状邪悪であれば、そやつに権限を与えては世の乱れに繋がる」
「はい」
「魔法もまた数ある資質の一つに過ぎない。知性も人格も大事であるというのに、魔法能力の有無だけで価値を決められては堪ったものではありますまいな」
先生の口調は、穏やかではあったけれども端々に鋭さを隠しきれてはいなかった。
彼は、この国での私の扱いを理解してい、その上で憤ってくれているのだろう。
既に一度の人生を体験している私にとっては枯れ果てた感情ではあったが、私のために怒ってくれているというのは喜ぶべきか。
「まあ、ワシが何を言いたいのかというと御嬢も視野を広く持つべきだということです。たとえ魔法なんぞ使えずともアナタは優秀だ。他国に出れば、きっと方々から求められることでしょう」
「そうでしょうか……先生、少し褒めすぎでは?」
「よくできた生徒を褒めたくなるのは当然のこと。事実、ワシからアナタに教えられることはもうほとんど残っていない。アナタの能力ならば一国の官僚でも務まりましょう。大貴族の奥方でも。アナタは有能であるだけでなくお美しくもあられるゆえ!」
そう言ってカラカラと笑うジンガメン先生だけど、私は笑顔の裏で恐縮し通しだった。
彼は教えるのは上手いのだけれど、思った以上に教え子を誉めそやすのね。
これも親バカというのかしら。
あまりにもいたたまれなくなったので、適当に話を切り上げて先生の隠居屋敷から辞去した。
外に出ると青空が広がっていて、遠くの景色に映る海の色も深く鮮やかに青い。
「今日もいいお天気でございますね、お嬢様」
メイドのノーアが言う。
さすがに令嬢を一人で歩かせるわけにもいかないから付き添いがつくのは当然だけれど。
結局彼女も、私が領地に引っ込むことで一緒についてくることになってしまったのよね。
前世では十一歳の誕生日を私が迎えるまでには暇を出されて我が家からいなくなっていたはずなのだけれど、今世ではまだ私に仕えてくれている。
それもまた変化の一つね。
「お嬢様が馬車をお断りになった気持ちがわかりますわ。潮風も涼しくて本当にいい心地。本当は安全上お諫めしなければならなかったんでしょうけど……」
「ノーアもこの土地には慣れたかしら? 王都で雇い入れたのにいきなりこんな辺鄙な土地に移り住むことになって戸惑ったでしょう?」
「もうお嬢様ったら。あれから何年経ったとお思いです? この素敵な港町になら来てすぐ慣れましたとも。そもそも王都より綺麗で、品物もたくさん色んな種類が売られているんです。住みにくいなんてことはありませんよ」
そんなことはないと思うけれど。
たしかにこの街は外国との貿易玄関口になっていて珍しい物がたくさん外から入ってくるわ。
外国からくるお客様のことを意識して統治者であるお父様も率先して、街の衛生治安を高水準に努めている。
だからと言って王都以上に住みやすいというのは行きすぎ……。
……いいえ、かつて王都に異様なまで執着していた私の、それこそ贔屓目かもね。
「お嬢様。ノーアはお嬢様の行かれる場所ならたとえ異国だってお供いたしますよ。改心なさったお嬢様がどのようにご立派になられるか、それを見届けるのが私の務めだと思っていますので」
「改心ね……」
今から八年前、魔法を使うことに執着していた私が急に志を変えて、両親共々領地に引っ込んだのを家ではそういう風に受け取られている。
『お嬢様の豹変』とか『神託のお嬢様』とか、そんなけったいな呼び名で伝説にされてるみたい。失敬な。
でも前世での……魔法と貴族であることに拘り続けた私は、他のことを気遣う余裕もなく、仕えにくい主人だったに違いないわ。
どんなに頑張ってもまったく魔法が使えるようにならない、その苛立ちを使用人にぶつけて……。
前世でのノーアも、それに耐えきれずに一年そこらで辞めてしまった。
あの当時の申し訳なさがあって彼女の言うことはできるだけ聞くようにしているんだけど……。
却ってそのせいかしらね?
主人として舐められている気がするわ?
「あまり野放図なことを言うものではないわよノーア? 本当に私が地の果てまで行ってもついてくるつもり?」
「考えなしに言っていると? ジンガメン先生の手放しの賞賛は、別室に控えていた私にまで聞こえてきましたわ」
――他国に出ればあちこちから求められる。
ジンガメン先生の言葉を真に受けているのねノーアは。
私はそこまで楽観的にはなれないけれど、彼女の言葉には幾分の真実も含まれている。
私も二度目の人生……これからの道筋を具体的に考える時期に差し掛かっている。
何しろ十八歳だもの。
前世の私はそろそろ王太子妃という目標を掲げて邁進していた頃だわ。
その方面はスッパリ諦めた私だけれど、だからこそ気持ちを新たにした私の新しい人生設計を明確にするべきね。
どちらにしろ魔法が使えない私では、この国では永遠に役立たずのまま。
だったらジンガメン先生の勧めに則り、外国に出るのも一つの正解なのかもしれない。
外国であれば魔法以外の違う部分で私を評価してくれる。
それらの能力は幸い、この領地で過ごした八年間で充分に蓄えることができた。
どうあっても受け入れてもらえないなら新天地に旅立つこともアリね。
……そう考えていた私は、帰宅してから思い知ることになる。
前世の因業からは簡単に逃れきれないことに。