41 死に戻り令嬢のファーストキス
たっぷり数十秒?
とにかく時間をかけて貪り尽くされたあと、キストハルト殿下の唇は私の唇から離れた。
体も離れたからにはすぐさま私の平手が相手の頬を鳴らす。
パンッ、と肉を打ついい音が鳴った。
「……酷いな、いきなり平手打ちなんて」
「乙女の唇を奪ったなら当然です! ナイフが飛んでこなかっただけ有難いと思ってください!」
実際どうしてナイフが飛ばなかったかというと今、私の手の届く範囲にナイフがなかったからよ!
運がいいわね!
「見損ないましたわよ殿下! 淑女から断りなく唇を奪うなんて強姦と同じではないですか!」
「男女の間に愛があれば強姦罪は成立しないよ」
「愛があるとでも言うんですか!? アナタの一方的な片思いでは!?」
「そうかな? だったら何故キミはオレを拒まなかったんだい?」
拒んだでしょう。
必死に押し離そうとしたけど、アナタが力任せに抱きすくめて……。
「たしかに最初は力いっぱい腕で押していたね。でもすぐに力が抜けて受け入れ態勢になっていたけど?」
「うぐッ!?」
「オレたちは相思相愛なんだ。キミがどんなに否定してもね。キミが心の奥底に封じ込めている本音は間違いなく、オレへの愛情で溢れているよ」
シラフで言ってるのそれ!?
酔いもせずによくそんな恥ずかしいことが言えるわね!?
「これはキミへの愛情を表すキスでもあるが、同時に挑戦のキスでもある。キミの心の奥に潜んだ本音を暴き出して、キミを手に入れてみせる」
「……!?」
「ボサッとしていたら今みたいに不意打ちで何もかも奪われてしまうよ。それが嫌ならオレの前では常に緊張しておくことだね。もっともキミの方からオレにすべてを捧げてくれるというなら、謹んで受けと取らせてもらうけど」
「ありませんよそんなこと!」
もうこの場に用事は何もないわ。
だったらもう去らないと、安易にこのまま居続けたらどんな間違いが起こるか分かったものじゃないわ!
「エルトリーデ」
「何です!?」
「オレは既にキミへプロポーズした。それは宣戦布告と同じだ。オレは王子様だからね。欲しいと思って手に入らなかったことはあまりない」
「……」
「オレを拒むのなら本気で拒め。さもなくばキミは永遠にオレのものだ」
王太子からの視線に息が吐けなかった。
視線に身が竦む。貴種の眼力に特別な効果があると言われるが本当なのかもしれない。
何か言いたかった。
とにかく王子の主張に反論する拒絶な言葉を吐きたかったが、結局何の言葉も浮かばずに部屋を出た。
◆
それから一ヶ月ほど経って。
ついに計画は現実のものとなった。
スピリナル王国、王城前広場。
その広いスペースを埋め尽くすほどに並んだ異国の軍隊。
デスクローグ帝国の歩兵大隊。
皇太子のスピリナル王国訪問に際して護衛と、訪問先に対するデモンストレーションを兼ねて乗り込んできた軍隊だった。
我が国にはない、漆黒の軍服に身を包んだ屈強の兵士たちがキビキビと行進する。
その様子はとても活動的で同時に緊張感のあるものだった。
「物々しいな」
私の隣に並んでキストハルト様が言う。
私は王城の一室から、窓越しにこの風景を眺めていたが、何故王太子まで一緒にいるの?
「さすが戦争国家なだけはある。訪問ですら脅しの一種か」
「出迎えをしなくていいのですか? 国賓の歓待は王族の務めでしょう?」
「それは父上たちがやる。最初の挨拶で雁首揃えたら却ってへりくだっているようだろう?」
それは……そうかもだけれど……。
「オレは晩餐ででも正式な挨拶を交わすさ。その時はエルトリーデも一緒にいてくれ。妻として紹介しよう」
「お断りします!」
あれからの一ヶ月。
キストハルト様はことあるごとに私を呼び寄せ、あるいは自分から押しかけてくるのでほとんど毎日一緒にいた。
王太子妃選びは事実上中断しているものの、候補としては依然残り続けているのでみずから辞退したのでなければ勝手に王都を去ることも許されない。
私も辞退の旨を王宮に届け出たが、当然のように許されなかった。
ファンソワーズ嬢は無事辞退を許されたというのに、なんで私はダメなの?
「辞退できないようにオレが手を回しているに決まっているだろう。それにエルトリーデには国賓の歓待準備に働いてもらわなければならないからな。むざむざ公爵領に帰すような間抜けはしないさ」
いや、一旦手伝うと言い出したことですから投げ出さずに最後までやり切りますよ。
逃げるように王都を去ったりはしませんが、だから王太子妃候補の辞退ぐらいは認めてくれても!?
「……お、隊列から誰か出てきたな。凄まじい覇気がここまで伝わってくる。ただ者じゃないな」
「恐らくあの御方がデスクローグ帝国の皇太子フリード様でしょう。みずからも軍籍を持ち、屈強の軍人と聞き及んでいます」
皇太子フリードは、遠目からでも一般兵とはまったく違うだけの覇気と威厳を兼ね備えていた。
漆黒の軍服は他と同じだけれど、加えて羽織ったマントや、胸元をジャラジャラ飾る勲章の輝きが特別なお方だということを示している。
顔つきも精悍で、ただのお飾り貴族軍人ではない……実際の戦場を経験した本物の猛者であることを如実にうかがわせた。
「今回、国賓とは彼のことになるのか?」
「そうですね。彼は正統なるデスクローグの皇族……しかも次期皇帝です。彼を歓待し、友好を結び、双方の国の間で不可侵の和平を結ぶことが彼を国賓として迎える目的ですね」
「おや? 目的とは、辺境伯令嬢に手柄を挙げさせてやることじゃなかったのかい?」
だから一つの作戦で多くの色々な成果が上がるものですって。
まあせっかく来てもらったんですからお帰りの際には恒久的に残る手土産を持たせてあげるのが人情というものでしょう。
国が国に持たせてあげるお土産と言ったら同盟とか、条約とか、国家間で結ばれえる新しい約束事ね。
「恐らくセリーヌ様が望んでいるのは、デスクローグ帝国との間に同盟もしくは平和条約……最低でも簡単に攻め込まれることのない不可侵条約を結ぶことでしょう。あの御方の領地は帝国と国境を接していますからね、攻められる危険を取り除ければ負担は激減しますわ」
「その手柄でもって、さらに王太子妃の座に足をかけようてか。抜け目のないお嬢さんだ」
周囲に私しかいないのをいいことに、キストハルト様は誰はばかることなく舌打ちを鳴らす。
……。
でも、本当にそうかしら?
キストハルト様は私以外の王太子妃候補に対して苦手意識というか、生理的な忌避感を持ってらっしゃるのでどうしても穿った見方になる。
でも私がセリーヌ嬢と接して得た印象は、あの方が本気で王太子妃になろうとしているとはどうも思えない。
思えば前世の頃から何を考えているかよくわからない人だったのよね。
そんなセリーヌ嬢も今は、デスクローグ帝国使節団の歓待式典に参加して、国王陛下の傍らでニコニコと微笑んでいる。
そして正面の座に立った国王、王妃の両陛下は愉快気な表情で……。
「やあやあ、よくぞ遠路はるばるやってきたものよ! 大儀大義!」
漆黒の皇子へと馴れ馴れしく言う。
そんな様子を私と一緒に遠方から眺めるキストハルト様は……。
「はあ……父上め、なんだあの態度は? まるで臣下に対する口ぶりじゃないか」
私もそう思った。
国王陛下……国外の賓客を迎えたことなんかないから、やり方がわからないのね。
あの言い方では、正式な場で相手のご機嫌を損ねて、我が国の悪い評判が他国に広がる……!
あとでキストハルト様に挽回してもらうしかないわね。
「はあ、晩餐に顔を出すのが億劫になってきた。エルトリーデ、これから旅行にでも出ないか? 静養地で二人ゆったり過ごそう」
「ダメです」
現実逃避しようとする王太子をしっかりと捕まえておく。
この国王陛下の『ケンカ売ってる?』と言わんばかりの挨拶に、しかし相手側の皇太子は動じる様子もなく……。
「精霊に愛されし国、スピリナル王国の主にご挨拶申し上げる。武の国、デスクローグ帝国八代目皇帝ビルグナツが長子、フリードにございます」
「うむ」
「こたびはお招きを頂き感謝申し上げる。これを機に、これまで親交がなかった両国に架け橋を作れればと考えております」
思ったより下手に出てくるわね。
かつての侵略国家だから傍若無人に振舞うと思いきや、大人の対応。
あれではどちらが年上かわからないわ。
……それにしても。
とりあえずは和やかな雰囲気で迎えられた国賓。
しかしこれからどうなるかわからない緊張感が張り詰めているわ。
様々な人々の思惑が絡み合っているのに加えて、私の目にはさらにもう一つの重大な事実が飛び込んできた。
「あの紋章……!」
皇太子率いるデスクローグ帝国兵は、自分の所属を示すために国の紋章が入った旗を掲げている。
ライオンの身体を持つ鷲。
現実にあり得ない獰猛な獣をモチーフとした紋章は、武力で巨大化した戦闘国家に相応しい。
ただ、私にとっては紋章の勇猛さではなく、つい最近アレと同じものを見た……という事実に全身が震えあがった。
……そう、あれは夢の中。
闇の精霊が見せたヴィジョンの中で、私の祖国は蹂躙を受け、焼き尽くされていた。
そんな祖国の残骸を踏み荒らす、侵略者と思しき他国の兵。
その兵たちが掲げていた軍旗にも、あれと同じ魔獣の紋章が刻まれていた……!





