35 死に戻り令嬢、感謝される
『ありがとう』を言ったあともファンソワーズ侯爵令嬢は辞去することなく歓談に移る。
まあ、訪問理由は怪我を負った私のお見舞いなんだから一言二言だけ帰るというのも常識的ではないんだけれど……。
私も病床に動けず世間の動きも伝わってこないので、これを機に有益な情報を得ておきたいものだわ。
できれば王太子妃選びの経過など、参加者本人から伺いたいと思ったのだけれど……。
「……ああ、そうそう」
ファンソワーズ侯爵令嬢は、ふと思い出したように言った。
「私、王太子妃選びを辞退したから」
「へえ、…………はッ!?」
思わず二度聞きしてしまった。
思ってもみない告白に慌ててベッドから起き上がろうとするも、いまだに残る全身の痛みにまた病床へと引き戻された。
「辞退って!? 王太子妃選びを辞退したってこと!?」
「そのままじゃない。そうね、王太子妃になることを諦めた。競争から自主的に脱落した……とも言い換えていいかしら?」
取り澄まして言うが、さすがの私も冷静に受け止めきれない。
だってボヌクート侯爵令嬢ファンソワーズと言えば、数いる王太子妃候補の中でももっとも意欲的で『必ず王太子妃になってみせる』と息巻いていたのに!?
無念の脱落はあっても、まさかみずから身を引くなんて!?
「あら、私がどんなに脅しつけても涼しい顔をしていたアナタが、そんなに驚くなんて。……少しは胸がすいたわ。最後の最後でようやく一本とれたという感じね」
「いやいやだってアナタ、王太子妃になるために血の汗を流してきました、みたいな風情だったのに……!?」
「気づいたのよ、王太子妃になるって私の想像とは違うってこと。そして、それを気づかせたのはアナタでしょう」
今日のファンソワーズ嬢は、今までにない穏やかな表情だった。
迷いが晴れた……といったような。
「アナタが何度も言っていたでしょう。……国で一番強い女魔法使いのことを王太子妃というんじゃない、王太子の隣に立って、一番傍で王太子を支える女性こそが真の王太子妃だと」
「うん……!?」
「私はずっと、一番魔法を上手く使える女が王太子妃になると思っていた。だから王太子妃になりたかったの。魔法の扱いなら誰にも負けないと思っているから」
その点は自信たっぷりに言うファンソワーズ嬢。
魔法に関して誰にも譲らぬ自負があるのは変わっていないみたい。
「私はね、魔法が好き。だからずっと魔法の訓練をしてきたし、魔法については誰にも負けたくないと思っているの。国一番の魔法使いを証明できるのが王太子妃になることだから、私は王太子妃になりたかった」
「残念だけど、それは違うわ」
「アナタに何度も教えられたわよね。まあ言葉だけなら私には全然響かなかったけれど。魔法が使えないアナタが僻みからひねり出した屁理屈程度にしか思っていなかったわ」
コイツ……!?
ヒトの親身な忠告を屁理屈ぐらいにしか思ってなかったって言うの!?
「でも『グレムリンの森』での事件から『違う』と思うようになった。私はまったく気づかなかった、あの差配人が陰謀を企てて私たちを害そうとしていたなんて。魔法さえあれば何が来ても大丈夫だと思っていたけれど、アナタが事前に対処してくれていなかったらどうなっていたかわからないわ」
それを聞いて胸が痛む。
実際彼女は、凶暴化した妖精たちによって再起不能の重傷を負ったのだ、前世で。
魔法は万能ではない、という証左でもある。
「事件のあとに王太子殿下から色々聞いたわ。何とかいう薬品が王都に持ち込まれて、それを無効化する薬を作って……。そのためにたくさんの人を使って、お金も動いて。そんなの魔法だけじゃとても賄いきれない。世の中、魔法だけでは回しきれないのね」
「そうよ、世の中ってそう単純にはできていない、面倒なことだけれど」
「挙句、魔力のないアナタに身を挺して庇われて私のプライドはズタズタになったわ。そして私は王太子妃になるには力が足りないと結論するしかなかったのよ」
彼女なりに色々考えたということか。
ファンソワーズ嬢の中で王太子妃とは『最強の女魔法使い』という意味だった。それが上書きされて、今では違うものに変わっている。
「私のすべてが変わったわけではないわ。私は今でも魔法を使うのが好き。魔法に関しては誰にも負けたくないと思っている」
「だから王太子妃選びから離脱するのね」
「そうよ、王太子妃は、どうやら魔法を極めることとは関係ないようだから。無駄なことに関わっている暇はないわ」
ある意味サッパリした性格をしているわね。
自分にとって何が大事かにブレがない。
「魔法研究者の道を進もうと思っているの。自分の魔法能力を高めながら、新しい魔法の使い方を模索していきたい。偉大な発明者として名を遺すのが私の新しい夢よ」
「素敵な夢だけど、きっとあれこれ言われるわよ?」
このスピリナル王国だって、まだまだ女性の社会進出には厳しいわ。
「そこはあまり深刻に考えていないわ。ウチは放任主義だし、跡取り問題も兄が二人もいればね。まあ、『結婚しろ』とは言われるかもしれないけれど、私ほどの実力があれば黙らせられるでしょ。私は魔法に人生を捧げたいの。家庭なんて面倒事は避けるに限るわ」
わー、知ってる知ってる。
こういう『独身主義』を気取る才女に限って、変わった物好きの公爵辺りに見初められて外堀埋められた挙句に落とされて溺愛されるのよね。
読み物の鉄板パターンだわ。
「王太子妃も大事な役割だろうから……それに見合った能力を持つ女性に任せるわ。というわけで頼むわね」
え?
何が?
「さて……喋りすぎたし、そろそろお暇するわ。怪我人をあまり起こしておくものでもないしね」
「これっきりなんて言わないでしょうね? こっちは毎日ベッドの上で暇してるの。またお喋りの相手をしにきてくれるでしょ?」
「なんでそんな友だちみたいなことしないといけないのよ」
最後までぶっきらぼうに言って去ろうとするファンソワーズ嬢。
しかし、一旦何かを思い出したようにして、こちらを振り向く。
「あの、……これは聞こうかどうか迷ったんだけど……!」
「何?」
まだ何か用件でもあるの?
「アナタ、本当に魔法が使えないのよね?」
「は?」
何それ?
今さらまた確認するの?
こっちが『魔力なし』令嬢と何年呼ばれ続けているか知らないの?
「……そうよね。でもどうしても気になったものだから……!」
「気になる? 何が?」
「私の見たものが。あの森での事件で見たもの」
◆
ファンソワーズ嬢が帰って、再び一人の静寂に包まれた自室で、私は物思いを止められなかった。
去り際のファンソワーズ嬢の言葉が忘れ難くて。
曰く、彼女は見たという。
何を見た?
『グレムリンの森』での混乱。最後の最後に首謀者である差配人の悪あがきから放たれた攻撃魔法。
それはファンソワーズ嬢を狙ったものだったが咄嗟に割って入った私こそが魔法攻撃を受け、彼女は無事だった。
そんな位置関係だからこそ彼女は目撃したのだろう。
――『魔法がアナタに着弾した瞬間……あれは、見間違いのような気もするけど見間違いじゃないわ』
去り際のファンソワーズ嬢は、珍しく歯切れの悪い口調だった。
それだけ自分の見たものが信じがたかったんだろう。
――『アナタの身体から、黒いものが湧き出てきたの』
――『黒いモヤのようなもの』
黒いモヤ?
さすがに私はオウム返しで聞き返すしかなかった。
――『モヤは一瞬のうちに広がっていって……攻撃魔法が命中した瞬間、モヤも砕け散って消えたわ』
――『だから私しか気づけなかったと思う。本当に一瞬の出来事で、痕跡も残らなかった』
だから見間違いかと疑われたら、それを否定する材料はないんだろう。
しかし彼女は、その後聞いたある事柄からますます不審を深めた。
私自身もそのことを聞いている。意識が回復したその直後にキストハルト様から聞いたもの。
普通、生身の人間が何の防御もなしに攻撃魔法をくらったら、死ぬ。
しかし私は生きていた。
今ベッドの上で動けずにいる全身打撲はむしろ、攻撃魔法で一旦吹っ飛ばされ、宙を舞ってから地面に叩きつけられた際の怪我なんだそうだ。
攻撃魔法によって負わされた怪我としては、奇跡的なレベルで軽傷。
原因は今もって不明だという。
でももし……。
その幸運の原因があるとしたら。
原因こそ、ファンソワーズ嬢が目撃したという“黒いモヤ”にあったとすれば。
証言によれば、私の身体から発生したモヤは私を包み込むように一瞬で広がっていったという。
つまり私に直撃した攻撃魔法は、そのモヤに完全に阻まれたことになる。
モヤは攻撃魔法の着弾と共に砕け散ったそうだが、むしろそれによって衝撃のほとんどを吸収し、私へ伝わるダメージを最小限に留めたのだとしたら。
九死に一生を得た理由づけにはなる。
黒いモヤ。
黒。
闇。
夢の中で告げられた言葉……。
私は闇の精霊に愛されて、それ以外の属性魔法を使えない。
そして闇の力が顕現する条件は、光の御子から愛されること。
目覚めの直後に受けた求婚。
いや、それ以前からキストハルト殿下は何故か私に馴れ馴れしかったし……。
もしやもう既に、私の中で闇の魔力は息づき始めている?





