31 死に戻り令嬢、悪夢を見る
私はエルトリーデ。
語るにもおぞましい悪役令嬢。
……いえ、違うわ。
悪役令嬢であったエルトリーデは既に死んだ。
文字通り。
みずからの行いの報いを受けて、衆目の下斬首の刑に処されたのよ。
では、ここにいる私は何?
私もエルトリーデ。
処刑の瞬間からどういうわけか時間が撒き戻り、十歳から再びやり直すことを許されたエルトリーデ。
そんなことが実際にありえるというの?
いや、事実そうなっているのだから疑いようもないのだけれど。
でも時間が戻るなんて現象が起こりうるなんて、私の住む国には“魔法”というあらゆる理屈を超えた大系があるけれど、それをもってしてなお時間遡行なんて現象は超常的だわ。
一体何がどうなって、こんなことになっているのか?
そのもっともな疑問に、私は向かい合うことなく今日まで過ごしてきた。
あえて目をそらしていたのでしょうね。
この奇跡が……私にとっては救いと言ってもいいやり直しのチャンスが。
そのわけを紐解くことによって幻となって消えていくかもしれないと恐れたから。
私はこの『死に戻り』を、その原理を追求することよりもチャンスを掴むことに全力を注いだ。
前世では破綻していたお父様やお母様との関係を修復することができた。
幼い頃にクビにしたノーアを雇い続けることもできた。
私の姦計によって将来を断たれたアデリーナ嬢やファンソワーズ嬢を救い出すこともできたし。
私の道連れで処刑されたガトウも、今は自分の目的に向かって邁進できている。
私にとってこの『死に戻り』は救い以外の何者でもない。
でもどうして?
そんな奇跡というべき『死に戻り』は起こったのか?
あえて気づかないフリをし続けてきたその謎に、今はどうしても目が向いてしまう。
何故だろう?
私が今いるこの場所が、あまりにも暗すぎるから?
暗い、黒い。
辺り一面を覆う闇。
どうして私はこんな真っ暗闇の中にいるの?
私はそう……?
王太子妃選びの最中、攻撃魔法を食らって……?
そうよ。
捕まった侯爵が最後の悪あがきでファンソワーズ嬢を狙ったんだったわ。
私はそれを庇って、攻撃魔法をまともに浴びて……。
普通に考えたら死んだわね、アレ。
仮にも侯爵クラスの魔導士が放つ魔法だもの。
無防備な小娘一人殺傷できないレベルじゃ、魔法大国の名が廃るわ。
ってことは私が今、こんな暗闇の中にいるのは……。
……あの世?
私、死んだってこと?
この何もない暗闇いかにも死後っぽいわよね?
一回死んだ経験があるというのに死後世の判断がつかないなんてお笑い草だわ。
しかしまさか二度目の人生が、こんなあっけない終わり方なんて……。
前世の業を考えたらまあ、やり直しの機会を貰えただけでも福音なのだろうけれど。
……そうね、最後に前世で迷惑をかけた人に償えたんならいい死に方と思うべきでしょうね。
さすがに人一体が盾になればファンソワーズ嬢に怪我もないことでしょうし。
前世では私のせいで完治不能の怪我まで負わせたんですから、今世では無傷で本当によかった。
心残りはあるけれど、やるべきことを多少やれたと思えば満足というべきか。
今度こそ未練なくあの世へ行くべき……。
『……いいえ、まだ冥府の深淵に飲み込まれては困りますわ』
え? 誰?
私しかいないはずの死の闇の、どこぞから声が?
優しく大らかな女性の声?
『ここは死後の冥界ではありません。まだアナタは生きて傷と戦っています。意識不明の状態で』
意識不明?
するとつまり私はまだ生きてるけれど、怪我で死んだも同然の状態ってこと?
つまりこの私がいる真っ暗闇は……。
怪我で意識を失った私が見ている夢?
『そうですね、ヒトの子たちの言う夢……うたかたに見る幻というのがもっとも合っているかもしれません。だからこそ現世の住人でない私も、こうしてアナタと語り合いができる。ほとんど唯一と言っていいタイミングでしょう』
そういうアナタは誰?
これが私の見ている夢だとするならば、この声も私の無意識が生み出した幻聴ってことになるのかしら?
『いいえ違います。アナタは、私が与えたやり直しの機会を有効に活かしているようですね。だからこうして私と交信できるようになった。喜ばしいことです』
はーん、今聞き捨てならないことを言ったわね!?
私にやり直しの機会を与えた?
じゃあ、前世で私が死んで時間が撒き戻った。そんな信じがたい現象が引き起ったのは……!?
『私がしたことです。アナタにはどうしても甦ってやり直してほしかったので。これはアナタに与えたチャンスでもあり、アナタに施す償いでもあります』
チャンス? 償い?
いいえ、そもそも魔法ですら干渉不可能な時間をも自由にできるって言うならアナタは何者なのよ?
『私が何者であるかを教える前に、順序だてて説明しましょう。アナタに知ってほしいことはたくさんあります。そのすべてをスムーズに理解してもらうには一つずつ正しい順番で知らなければなりません』
一体何を……私に知らせようとしているのよ?
『慌てる必要はありません。アナタはそれなりに重傷で、半覚醒になっている今の状態もけっこう長く続くでしょうから』
それはそれで慌てるべき事態じゃないの!?
私、実はけっこう危険な状態!?
『まず……アナタの前の生についてお話ししましょう。前の人生でアナタが死んだあとのこと、知りたくはありませんか?』
知りたくないです。
『そんなこと……!?』
そう言われたって、自分の死後になんて興味はないわよ。
大体想像もつくし。
恐らくは私を死罰したあと王太子はちゃんとした妃を迎えてめでたしめでたし……ってなったんじゃないのかしら?
悪は滅び、善が栄える。
非常にスカッとした結末ではないの?
『では、実際に見てもらうとしましょう。アナタが悪役として殺されたあと、あの国にどんな災厄が降りかかったか』
災厄?
言葉尻に引っかかる暇も与えず、目の前の景色が一変した。
色彩一つない真っ暗闇から、紅蓮の赤へ。
何!? 燃えている!?
一体何が!?
街が、城が。
あらゆる建物が真っ赤な炎に包まれて燃え盛っている。
大火事?
いや違う。戦火だわ。
燃え盛る街を行軍する無数の兵士たち。
凶悪な武器をかまえ、全身を包む鎧はそこかしこに返り血の赤がこびり付いている。
そんな兵士が数千……数万人?
恐らく敵地であろう、燃え盛る街を蹂躙している!?
何なのこの戦争の災禍そのものみたいな風景は!?
人の笑顔は引き裂かれ、そこかしこから悲鳴は上がり、それすらも燃え上がる戦火にかき消される。
しかも待って……。
炎に塗りつぶされかけながら……、この街並み、お城の外観。
見覚えがあった。
……これは、今私のいる王都?
スピリナル王国の王都じゃないの!?
『そうです。アナタたちがスピリナル王国と呼ぶ国は滅びました。アナタが死刑に処されてから僅か一年足らずのあとに』
王国が滅んだ!?
なんで!?
キストハルト王太子殿下は名君となられるでしょうし、正しい王太子妃を迎えれば益々盤石になるわ。
そんな殿下が治める王国に滅びの兆候などあるはずがない。
……いや、私が処刑されて一年も経ってないなら、まだキストハルト殿下は即位していない?
いや、気にすべきところはそこじゃない!
『あの国が滅びた理由があるとすれば、それはアナタを処刑したからです』
声は言う。
まったく感情のブレもなく。
『かつて千年前の約束を果たしえなかったあの国は、契約を破棄されその力を失った。だから滅びたのです。かの力に驕った国がその力を失えば、滅ぶ他ない。それは定まった運命ともいえるのでしょう』
その力……?
すぐに思い当たった。
その力とは、魔法のこと?





