24 死に戻り令嬢、不穏な報告を受ける
「『フェアリー・パニック』?」
その言葉を聞いた途端、私は椅子に座っていたのを思わず立ち上がった。
あまりに性急なので勢い収まらず椅子が倒れてしまうほど。
それだけ慌てるべき事態ということ。
「『フェアリー・パニック』といえばアレのこと? 妖精に壊乱をもたらすという異常の秘薬?」
「さすがお嬢、よくご存じで」
ガトウは言う。
落ち着いた口調ではあれども緊張感がにじみ出ていた。
「『フェアリー・パニック』はオレたち裏の住人には耳に馴染みのある薬です。何せ非合法なんで……」
「法律で製造、所持、使用が禁じられている。それだけの理由がある薬だものね……」
私の知識にある『フェアリー・パニック』は、まさに禁薬というべき効能を持った薬。
その名の通り、妖精に対してだけ作用しその正気を奪い、壊滅的混乱に陥れる薬よ。
「ここから遥か北の地にクラシド草なる薬草があるそうです。極北の極寒不毛の地ですら根を張り花を咲かせる驚異の生命力を持った草。それだけに内部に含まれる成分には凄まじい高揚作用があると」
「でもその効能は何故か妖精にしか効果を表さない。そのクラシド草から花蜜を採取し、煮立たせて一層純度を高め、さらに他の刺激薬品を適量調合することによって生まれる禁薬が『フェアリー・パニック』」
「さすがお嬢、よくご存じで」
それはもういいのよ。
「『フェアリー・パニック』を霧状に散布すればそれだけで周囲の妖精は、正気を失い凶暴化する。普段温厚なピクシーやニンフですら、ラミアのごとき凶相となって人や獣に襲い掛かるというわ」
「妖精は、草木や花の運行を助ける精霊の一種ですから、自然があればどこにでも必ずいます。その妖精を凶暴化させられたら付近の村や町は大変なことになるでしょうね」
妖精は、小さくて可愛いけれど一旦戦闘状態になったら見た目から想像できない攻撃性と残虐性を発揮する。
人為的に妖精禍を引き起こせる『フェアリー・パニック』は都市攻撃用の兵器に指定され、国際的に禁止薬物とされた。
「そんなものがこのタイミングで国内に持ち込まれたなんて最低最悪ね……」
「何か問題が?」
「王太子妃選びの第二審査は『グレムリンの森』で行われるわ」
普通の妖精ですら凶悪な魔物に変えてしまう『フェアリー・パニック』を、ただでさえ悪戯好きで過激なグレムリンに使用したらどうなるか。
「もし第二審査開始のタイミングと合わせて使われてご覧なさい。王太子妃の候補に挙がるほど強い魔力を持った令嬢十余人……全員生きて帰ってこれなくなる可能性があるわ」
もちろんそれは『フェアリー・パニック』を持ち込んだ何者かが王太子妃選びで使用するなら、の話。
そうと決まったわけではもちろんない。
しかし、なんでかしらね?
今の時点でもう『フェアリー・パニック』は王太子妃選びで使われるという確信が私にはあった。
「誰が『フェアリー・パニック』を国内に持ち込んだのか、目星はついているの?」
「それが……申し訳ありません……!」
わからないの?
だったらなんで『フェアリー・パニック』が持ち込まれたなんて判断がつくのよ?
「……ここ王都から五十里ほど離れた小村で、妖精に襲われる被害が出たそうです」
「妖精? 種族は?」
「ごく一般的なピクシーだそうで、ピクシーが人を襲うことなんてまずありえません。あり得るとして唯一の原因になりそうなのが『フェアリー・パニック』」
「なるほどね」
「しかも、そこを皮切りにして他の町や村でも同様の被害が報告されるようになりました。二件目は王都から四十里ほど離れた村、その次は王都から二十里離れた街……」
「待って。その順番まさか……!」
段々王都に近づいている?
「それっていつ頃起った事件なの?」
「最初の被害が八日前です。移動時間的にはもう王都に到着していても不思議はありません」
いよいよ楽観できない感じになってきたわね。
どこの誰がそんなことをしているのかわからない。
でも大都市に持ち込まれた『フェアリー・パニック』は使い方次第でとんでもない被害を巻き起こせるわ。
でもちょっと妙ね……。
「誰がこんな危険な薬を持ち運んでいるのか知らないけど、何故道中で無闇やたらに使っているのかしら? 使用しているからこそ、こうやって被害が報告されてるってことでしょう?」
貴重な『フェアリー・パニック』を一見無駄遣いとしか思えないようなやり方で。しかも発見されるリスクもあるっていうのに?
「恐らくは意図的に使ったのではなく、不慮の事故だったんでしょう。持ち運びに相当杜撰なやり方をしたんだと思います」
「ああ、なるほど」
それで『フェアリー・パニック』を保存している瓶か何かの蓋が緩んで、僅かにこぼれ出た。
その僅かな分で付近の妖精が凶暴化したってわけね。
「その証拠に、王都から二十里辺りを最後に被害報告はパッタリやんでいます。恐らくその辺りで気づき、慌てて封を締め直したんでしょう」
「それでもしっかり痕跡は残り、挙句自分らの存在に気づかれてしまった。間抜けな話ね」
でもそんなハプニングさえなければ、誰にもまったく気づかれることなく危険薬を王都に持ち込まれていた。
想像するだけでゾッとするわね。
「この話、国の官吏はもう知っているのかしら?」
「いえ、恐らくは……」
知らないの!?
こんな都の一大事となりかねない事態をなんで?
「妖精のイタズラ自体はよくあることですから、多少凶暴性が増してもいつものことと軽く見ているようです。それに『フェアリー・パニック』の関与は、立て続けに王都周辺で起こった三つの事件を結びつけることで初めて見えてきますから……」
王都から五十里、四十里、二十里の地点にある各町村で起こった妖精被害ね。
「役人どもは案外、各都市の横の繋がりは薄いんです。ナワバリ意識ってのがあるようで頻繁な情報交換なんてしやしねえ。オレたちは王都に入ってきた行商人やらから噂話を集めて、それでおかしな符合に気づけたんですよ」
なるほどね。
この一件だけでもやはり、ガトウを味方に引き入れておいてよかったと改めて思えるわ。
「その件、もう王都の役人には訴えたの?」
「ヤツらが聞くと思いますかい? オレたちゴロツキの言うことなんかを?」
たしかにそうね。
ただでさえ官憲と無法者なんて犬猿の仲なんだし、ましてこの国では魔法使いでもある貴族は魔力のない平民を心底見下している。
そんな中で王都のゴロツキたちを従えるガトウの言葉など聞く耳もたぬが普通のこと。
「お嬢、アナタはどうでしょう? オレたちの言うことを信じますか?」
「はい?」
「アナタだって貴族であることは変わらねえ。他の連中のようにオレたちの話なんて信じないことも」
バカね。
それなら最初からアナタたちを雇わないでしょう。
情報収集役の言葉をハナから信じられないなら、仕事を頼むこと自体金の無駄だわ。
「アナタたちは私に恩義があるでしょう? アナタのような無法者ほど、恩義には裏切らない。私はそれを知っているわ」
「お嬢……!」
「ガトウは早速重要な情報をキャッチして私に届けてくれた。アナタたちを雇ってよかったとこんなに早く思わせてくれるとはね。期待に応えてくれて嬉しいわ」
「お嬢! なんとありがたい……!」
うわぁガトウが泣き出した?
そこまでいいこと言った覚えはないわよ?
泣かれるほどのことでもない。
だって私にはもう一つ、彼の報告が真実に足ると確信する理由を持っているのだから。
私の前世……死に戻りする前の繰り返しの記憶でも、第二審査の会場に『フェアリー・パニック』が散布された。
お陰で試験会場の妖精たちは凶暴化し、参加した王太子妃候補の三分の二以上が重傷軽傷を負って脱落した。
今世でも、あの痛ましい事件が繰り返されようとしているの?
しかし前世で同様のことが起こったのなら解決は簡単では?
きっと同じヤツが犯人なのだし、ソイツを追い詰めて捕まえればハッピーエンドじゃ? と思うじゃない?
前世で試験会場に『フェアリー・パニック』を散布したのは……この私。
その時点で手先となっていたガトウに命じ、隣国から密かに『フェアリー・パニック』を輸入させ、第二審査の会場となる悪妖精の森に撒き散らした。
そうすることによって一人でも多くのライバルを消し去ろうと。
自分が王太子妃になるために。
本当に目的のために手段を選んでいなかったのよね私。
そして今世でも『フェアリー・パニック』はこの王都へ持ち込まれた。
もちろん私は何も関与していない。ガトウだって。
じゃあ一体誰が犯人なの?
前世と今世、同じ事態の繰り返しではあるものの、まったく同じ事件が、黒幕を異にして再び行われようというの?
どういうこと?
混乱する私を尻目に、ガトウは昂然と呼びかけてくる。
「お嬢であれば、あの王子に直接話をつけることができますでしょう? そして王子なら頭ごなしに役人を動かせる。お嬢からあの王子に、この危機を伝えてやってください!」
だからそれも勘違いの一つなのよ。
私の王太子は特に何でもないの。事態解決の一案に組み込むのやめて。
私は今世、王太子妃になろうなんて欠片も思わない。
それなのに前世で犯した罪が、今世でも私を追いかけてくるかのよう。
かつてのアデリーナ嬢駆け落ち未遂事件もしかり。そして今また私の悪行が私不在で再現されようとしている。
一体何なの?
誰かが仕組んだこと? それとも世界自体にそうなるよう修正力でも働いているというの?





