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21 死に戻り令嬢、スラムの改善に乗り出す

 タバコとアルコールの臭いの充満した酒場の個室で、私はスラムの主と向かい合う。


「ゴロツキのオレたちを雇いたいたぁ大した度胸のお嬢さんだ。情報を重視するその姿勢も素晴らしい」

「では引き受けてくれるかしら?」

「そりゃあ、これからの交渉次第だな。つまるところはコレだ」


 そう言ってガトウは指で輪っかを作ってみせた。

 下品な仕草ね。


「いいとこ育ちのお嬢様にはわからないかもしれねえがな。世の中何を動かすにしてもまず金が必要なのよ」

「わかっているわよ。むしろアナタたち平民よりも私たち貴族の方がよっぽどお金の有難味を身に染みているわ」

「そうかい、てっきりこの国の貴族様は、魔法さえあれば金なんざいらねえと思ってるもんかと」


 その言葉に顔を顰めたのはむしろ私よりも王太子の方だった。

 私の背中越しに不機嫌な空気が伝わってくる。


「じゃあ、貴族お嬢様の正しい金銭感覚ってのを伺おうじゃねえか? アンタの必要な情報をかき集めるオレたちの働きに、一体いくらの値をつけるのかな?」

「お金は払わないわ」


 その回答に、場の空気が一瞬凍り付く。

 ガトウ本人も大いに表情を険しくしながら。


「面白そうな女かと思ったが、結局他の貴族どもと同じようだな? 虫けらのごとき平民に払う金はないってか?」

「早とちりは儲けを逃すわよ。私が言いたいのは、報酬はお金ではなく、別のもので支払いたいってことよ」

「んだと?」

「申し遅れたけれど私はエルデンヴァルク公爵家のエルトリーデという者よ。この家名に聞き覚えはない?」


 その名を告げると、さらにすぐさまガトウは表情を変え……。


「お前が、ユークロフトの大旦那の娘ってことか?」


 そうよ。

 ユークロフトっていうのはあまり知られていないけどウチのお父様のファーストネームよ。

 つまり現エルデンヴァルク公爵のことね。


「実を言うとアナタのこともお父様から聞いていたのよ。アナタがこの地区を制覇するのに、随分力を貸してもらったそうじゃない」


 ウチのお父様も公爵ですからね。

 まして国内で一番稼いでいる大領の主。王都から遠く離れて無役でいても隠然たる影響力を持っている。


 かつて前世でも、彼ガトウがここ王都スラムで勢力を伸ばそうとしていた時、お父様が陰ながら力を貸していた。

 スピリナル王国の魔法貴族の中では珍しく法や経済を重要視するお父様にとって、ここサザンランダ地区のスラムは頭を悩ませるところだったからね。


 法では制圧できないこの場所を、毒で毒を制すとばかりにゴロツキの中で一番まともな感覚を持ったガトウに肩入れし、他のより外道なゴロツキたちを一掃させた。


 だから現状のサザンランダ地区は、さっき王太子が言ったほど酷い環境でもないのよ。

 奴隷商人の類はガトウの手で駆逐されて、もう王都には残っていない。

 彼は人身売買を、裏社会の掟で禁止し、破ればスラムの中でも爪弾きにされ、結局王都でも生きていられなくなる。


 よって人さらいも王都ではなくなった。

 ここ数年の王都は、それ以前に比べて格段に治安が上がっているはずだけれど、それは官吏の働きによってではない。

 裏社会を牛耳るガトウが、人倫にもとる汚らわしい犯罪を精力的に駆逐していったから。


 一口に悪人といっても色々な種類がいて、根っからの悪である者とそうでない者がいる。

 生まれついての事情からやむなく悪行に手を染めるしかない者もいて、ガトウはそっちの種類だろう。


 だからスラムの頂点に立った今、自分の支配環境そのものを改善しようと必死で働いている。


 そこを突いて、いいように利用したのが前世での私。


「私のお父様が、自領でどんな政策を敷いているかアナタもご存じよね?」

「ま、まあな……! ユークロフトの大旦那は、貴族の中で唯一オレが尊敬するお人だ。あの人が自領でやってることはいつも羨ましく聞いてる。王都でもそれが行われたらどんなにいいかって……!」

「それが、私に協力するアナタたちへの報酬ということでどう?」

「は?」


 さっきから『それ』だの指示語が多くてわかりづらいが、腹の探り合いをしているのである程度は仕方がない。


「アナタが羨ましがっている我が領の政策とは、どれ? たとえば下水道の設置?」


 そうよね。

 王都には下水道の設備がなく、いたるところで常に悪臭が漂うほどだものね。


 下水道が完備された我がエルデンヴァルク領での生活に慣れた者なら、あまりの悪臭に耐えきれないほど。


「その下水道を、このサザンランダ地区に作ってあげると言ったら、どう?」

「はぁッ!?」

「それが報酬にならないかしら?」


 さすがにこの提案には驚いたのか、ドスの利いていたガトウの態度が俄かに揺れる。

 ここを好機と畳みかけるわ。


「それだけでは不満と仰るなら、値段交渉に入りましょうか? アナタ、堆肥というものを御存じ?」

「た、たい……!?」


 大雑把に言うとゴミで作られた肥料のこと。

 食べ残しや糞尿、そういったものを一旦腐らせてから土に撒くと、野菜がよく育つ栄養になるという。外国では、その堆肥のよりいいものを作る研究が行われていて、その成果は海に面した我が領にも渡ってくる。


 実際に我が領では優良堆肥が実用化されて、ここ数年の農作物の収穫は右肩上がりになっているわ。


「その堆肥の生産方法をアナタたちに教えてあげるわ」

「はぁッ!?」

「堆肥の材料は、ゴミや糞尿。この王都に散らばって悪臭を放っている原因そのものよ。アナタの下には多くのゴロツキ、その下にはさらに無数の職のない人々がいるのでしょう?」


 そういう人たちを動員してゴミを集めさせ、一ヶ所に集めて発酵させて堆肥にしてそれを売る。

 王都から悪臭も消えて清潔になり、職のない人々に賃金を支払うこともできる。


 一石二鳥の政策だわ。


「そのために資金は私が出します。それと、できた堆肥の使いどころも必要よね。ここサザンランダ地区の大半はもう誰も使ってない廃屋になっている。そこを一部ぶち壊して農地に変えてしまいましょう。王都の食糧事情を改善できて、さらなる雇用も捻出できるわ」

「待て待て待て待て……! 先からアンタ何を……!?」

「そうやって資金が貯まればさらなる施設を建造し、この地区の人々に新しい働き口を与えてあげるのがいいでしょう。初期費用はすべて私が持ちます。これがアナタたちへと支払われる報酬よ。不満はおあり?」

「不満はねえが……あるわけねえが……わからねえ……!」


 ガトウはすっかり困惑で、顔中から汗を噴き出している。


「アンタの提示しているのは、ただの情報料とは思えないほど法外だ。ハッキリ言ってまったく割に合わねえ。そんなことをしてアンタに何の得がある?」

「強いて言うなら、それがアナタの望みだから、かしら?」

「……!?」


 その言葉にガトウは、心のうちを見透かされたようなハッとした表情になった。


 根っからの悪人でなく、その上にスラムの頂点に立てるほどの実力を持ったガトウが目指したもの。

 それがスラムとなったサザンランダ地区の環境改善だった。


 街を清潔にし、浮浪者に職を与え、この地区に住むすべての人々が満足して暮らせる普通の街にすること。

 それがガトウの望み。


 その望みを前世で知った私は、徹底的に悪用した。


 お父様を介して面識を持った彼を手駒にするために。

 私が王太子妃になればサザンランド地区への援助と再開発を優先的に執り行う。

 そんなエサをチラつかせてガトウを操り、ライバル令嬢の弱みを徹底的に洗い出させた。

 時にはもっと直接的な妨害を行った時も実行はガトウにやらせた。


 明確な罪を、私は彼に着せた。


 そのお陰で前世で私の罪が暴かれた時、彼もまた逮捕され死罪を言い渡された。

 スラムを改善したいという彼の願いは叶えられることはなかった。


 だからやり直しのできる今世では、きっと彼の願いを叶えてあげたい。


 そう思って兼ねてから準備していたことが今、急激に実を結び始める。

 ガトウの望みを叶えてあげたいと言っても、それはもう一大事業。小娘の私が一朝一夕で形にすることなどできない。


 だから領にいた頃からコツコツ準備だけは進めていた。

 王太子妃選びが絡まなければお父様を通すか託すかして、段階的に進めていくつもりだったのに。


 しかしこうなったからには勢いを得て一気に進めていくわよ!


「これを見なさい!」


 ここぞとばかりに私は懐に忍ばせていたものを切り札とばかりに開示する。


 それは地図。

 ここサザンランダ地区の地図。


 公爵令嬢の立場を持ってすれば機密品でもある地図の入手ぐらいお安いものだが、しかしその地図はただの地図ではなく、手書きで様々なことが書き加えてあった。


「これは……!?」

「ここまで私の言った再開発計画を書き込んでものよ。設計図はとうの昔にできてるってこと。アナタが私に従えば、今すぐにでも計画はスタートするわ」


 とはいっても今日いきなり現れた小娘の言うことなど絵空事にしか聞こえないだろうけれど。

 気宇壮大ならなおさら。


 ガトウの心が動かされず断られたらそこまで。

 彼の答えは、いかに?


 いかにも迷い、視線の泳いでいるガトウの視線が、一瞬私の横にズレた。


 一体彼は何を見ているの?


 私の横、やや後方に立っている人といえば……。


「……そういや聞いてるぜ。お貴族様たちは今、面白そうな催しをやってるんだってな?」

「それは……」

「王子様のお妃選びだっけか? オレら平民にとっては王様自体誰がなっても関係ねえんだから、お妃ならなおのことだ。……だがたった今、考えを改めたぜ」


 そう言って私を真っ直ぐ見据えて、ニヤリと笑う。


「ユークロフトの大旦那はたしか公爵様だったな? 公爵の娘ならたしかに王妃にはふさわしい。アンタみたいな娘がゆくゆく王妃様になるって言うなら、面白そうだ」

「待って、私は別に王太子妃には……!」

「この話受けたぜ、市井のゴロツキ風情がどこまでやれるかわからねえが、オレらなりのやり方でアンタが王子様の妃になれるようにしっかりサポートしてやろうじゃねえか。その代わりこの地区の再開発、ケツ持ってくれること忘れねえでくれよな!」

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― 新着の感想 ―
[良い点] ちゃんと違和感無いストーリー なんか無茶苦茶なテンプレみたいな手のひら返し物語と違ういい感じの勘違いを含む話が面白いです
[良い点] ガトウがまともなバランス感覚を持ってるってよく分かりますね。 それこそ王妃になってもらえればスラムどころか都全体の環境改善に繋がりそうだし。 故に、協力の目的を理解されない(笑
[一言]  王太子妃にはならない。  なれないって、はっきり言わないと。
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