19 死に戻り令嬢、スラムに突入する
馬車という密室内で王太子と二人。
期せずして妙な環境が出来上がってしまった。
「……王都にも危うい場所がある」
王太子の声は僅かな怒りが含まれていた。
それって私のせい?
「管轄上、どうしても官憲の目が届きにくい場所がな。それがサザンランダ地区だ。東西の主要道路から外れた位置にあって開発が遅れ、地価が下がると同時にスラム化していった。それに惹かれて貧困にあえぐ市民が集まり、ついで犯罪者まで集まるようになった。今では独自の脱法コミュニティを築き上げて王家でもなかなか手を出せない」
「大変ですわね」
「正直に答えてもらおう。由緒あるエルデンヴァルク家の御令嬢が、そんな危ない場所へ何しに行く?」
口調が鋭い。
この質問に関してはとぼけたり誤魔化したりすることを許さないと言わんばかりだった。
「まずオレの推測を言おう。キミはやはり領地に戻りたがっている。しかし簡単には王都から出られないとわかっているから、一策講じようとしているんだ」
「そのためのスラムだと?」
スラムに官憲の目が届きにくいのは先ほど言われた通り。
王家の目から逃れたい私は一旦スラム地区に入って行方をくらませてから、人知れず王都を脱出しようと、そう思われているらしい。
「荷物がなく手ブラなのも、既にサザンランダ地区のどこかに落ちあう場所を設けていて、そこにすべて用意してある。雑然で危険なスラムで追っ手を撒いてから悠々と領地へ帰還しようというんだろう。違うか?」
「違いますとも」
私はキッパリ答える。
心外だわ。私が王家の命令を振り切って帰るぐらいなら、最初の召集命令に逆らって領地から動いていません。
「私はエルデンヴァルクの家名を背負って王都へやってきました。ならば多少思惑から外れたとしてもへそを曲げて帰ったりなどしません。エルデンヴァルクは忠義の家だと示すためにも。私が王都から去る時は、王妃選びから脱落した時だけです」
「ではなおさらスラムなどに何の用だ!? あそこがどういう場所かちゃんと理解しているのか!?」
逃亡の疑惑を否定しても、声の厳しさが消えない。
王太子は一体何に怒っているの?
「いいか、あの地区は本当に危険な場所なんだ。エリアの主導権を巡って日夜ゴロツキたちが衝突し、官吏も近づけない。今では外国の犯罪組織とまで繋がりが出て、違法な物品が流入し人さらいまで横行していると聞く」
なんか教え諭すように言ってきた。
「そんなところにキミのような美しい女性が迷い込んだらどうなると思う? あっと言う間にさらわれて、身代金でも要求されるか。もっと酷い場合は奴隷商人に売られて二度とこの国の土を踏めなくなるぞ!」
「あの……もしや殿下?」
今向かっているサザンランダ地区の恐ろしさを懇切丁寧に解説。
噛んで含めるように。
「私のことを心配していますの?」
「当り前だろう!」
私が危険地区に入ろうとするのを不安がってわざわざ止めに来たというの。
何なの王太子暇なんですか?
「暇潰しの観光がしたいなら、他にもっと楽しい場所があるだろう! 何ならオレが今から連れて行ってやる! とにかくこの馬車は進路変更だ!」
まさかこんな展開になるとは。
私はまだまだ王都での状況に対応しきれていない。
「お気遣いありがとうございます。ですが行先の変更は困ります。私は観光目的で出かけたのはありませんし、目的地はサザンランダ地区以外にありませんから」
「キミのような令嬢が、あのスラムに何の用があるというんだ……!?」
王太子、信じられないというような顔で私を見詰める。
……そんな輝くご尊顔で凝視しないでくれないかしら。
「強いて言うなら、私がこれからの王太子妃選びを生き抜くために必要なものを獲得しに行くのですわ」
「王太子妃選びに……必要なもの?」
さすがにちょっと誤魔化しきれなさそうな雰囲気だったので真実を漏らしてしまった。
大分ぼやかしてはあるけれども。
「ご心配なく、治安が悪かろうとも私には無事帰るだけの算段があります。王太子殿下はお心やすらかに、王城へとお戻りいただけますよう。やりかけの公務が残っているのでは?」
「たしかにあるがそんなもの関係ない。キミがどうしてもサザンランダ地区に行くというならオレも同行する」
「ええッ?」
まさか、あのスラムに王太子まで?
自信たっぷりに受けあったものの、危険であることは変わりないんですけれど。
「つまらない理由なら何が何でも止めるところだが、キミが王太子妃になることに前向きなら無下にはできない。賢明なキミが言うなら本当に大丈夫なんだろうが何事にも万が一がある。その時のためにオレが身近で守った方がいいだろう」
いや前向きといっても、最後の一人に残って王太子妃になろうっていう方向性ではないんですけれど。
「荒事になれば魔法が使えるオレの方が有利だ。オレが危険だと判断したらキミを抱えて、光魔法を駆使して脱出する。それを了承できないなら何と言われても、無理矢理にでもキミを王城へ連れ帰る」
「何故王城?」
エルデンヴァルク家の上屋敷じゃないんですか?
……仕方ないわね、王太子としても最大限の譲歩なんだろうし、これを拒んだら本当にお縄になって監禁されかねないわ。
常識的に彼の心配も理解できないではないから、これ以上困らすのも可哀想だし。
「わかりました、ですが私が上手く進めている間は一切口出し無用ということでお願いします。手出しも無用です」
「いいだろう、未来の王太子妃があの問題地区をいかに扱うか、お手並み拝見させていただく」
いや王太子妃としてどうこうするわけじゃないんですけど。
この思い込みを正しておかないと、いつの間にか既成事実化されていそうで怖いわ。
◆
そうして途中トラブルはあったものの、何とか無事サザンランダ地区へと到着する。
正確にはそのギリギリ一歩手前まで。
「アナタはここまででいいわ、約束の時間通りに迎えに来て頂戴」
「かしこまりました……」
御者を馬車ごと送り返す。
私はそれを王太子と一緒に並んで見送った。
「いいのか、こんな手前で帰して? サザンランダ地区の本エリアはまだまだ先だろう?」
「あんな豪勢な馬車で乗り入れたら、それこそ強盗の標的ですわ。あの御者は長いこと我が家に勤めてくれていますから、徒に危険に遭わせたくありません」
だからこそ一人で帰らせるのに抵抗するかと思ったが、すんなり聞き分けてくれたのは、王太子がいてくれたおかげでしょうね。
国一番の魔法使いがガードしてくれるなら安心か。
「そのような気遣いがあるならキミ自身の格好も配慮した方がよかったのではないか? それではあまりに……!」
王太子が指摘したい気持ちもわかる。
今の私は外歩き用とはいえ、公爵令嬢に相応しい豪奢なドレスを着て、荒廃したスラムには場違いすぎる。
これではよからぬことを企む人の目も引きやすかろう。
「しかしこれは仕方のないことです。目立つのが悪い時と、いい時があります。殿下だってただの町娘が交渉に来たとしたら、まともに取り合わないでしょう?」
「それは……?」
戸惑う王太子を伴い、ズンズンと歩みを進めていくと、周囲の景色の荒廃振りも見る見る上がっていく。
道中に散らばるゴミや汚物、今にも崩れそうな建物。そして一見するとゴミと見間違えてしまいそうな、道端に座る人間たち。
懐かしいわね。
私が生まれ変わる前、前世では見慣れた光景だった。
王太子妃という栄冠を得るために、悪臭に顔をしかめながら何度もこの街に通ったものよ。
「鼻が曲がりそうだな……!? こんな悪臭を放つ場所が王都にあったとは……!」
一緒に並ぶ王太子が口を押える。
堪らないといった表情。
「あら、悪臭自体は王都のいたるところにありますわよ。程度の違いこそあれね」
「何?」
「下水やゴミ処理の施設が完備されていないせいです。汚いものを視界の外へ追いやる程度しかしないから臭いは漂ってきます。下水道がちゃんとある我が領から来た私の侍女は、王都についてからずっと『臭い臭い』と言い続けていますよ」
その中でもここサザンランダ地区は特級だけど。
ハッキリ言って激臭ね。
施設がない分、王都中のゴミなどをここへ集めてきているんでしょう。
今はまだ許容量を超えていないけど、いつの日にか溢れ出したら王都全体が大変なことになるでしょうね。
それを何とかしようとした人間がいたことを私は知っている。
彼の事業は結局途中で潰れたけれど、その原因も私が作った。
本当に前世の私は害悪だったのね。
今世では彼は上手くやっているかしら。
このサザンランド地区の顔役。王都の裏社会を牛耳るゴロツキ達の大元締め、ガトウ。
前世での私は、王太子妃の座を射止めるために何でもやった。
卑劣な手段も非合法な手段も。
それらを実行するのにやはり人の手が必要になる。毛色正しい公爵家の関係者にはとてもさせられない。
だから金で何でもやりそうなゴロツキに、その役を任せた。
ガトウとは縁があって話をする機会があった。まさに悪縁ね。
ガトウには我が意で動く百人単位の子分がいて、私にはガトウに支払えるだけの金があった。
互いの需要と供給が成立してしまったのね。
だから私はガトウを使い、王都中を駆けずり回させて、ライバル令嬢たちの後ろ暗い情報を暴き立て、そういう弱みがないなら暴力で陥れようとした。
そんなガトウも、前世の私が断罪された時一緒に捕まったはずよ。
この国の法は、魔法の使えない平民には特に厳しいから死刑になったのでしょうね。
時間が巻き戻り、新しいこの世界でガトウもまだきっと生きているはず。
彼の力を再び求める時がこようとは。





