第9話 一度遭わば、いつか遭う
そこがどこなのか、ここがどこなのか、どこがどこなのか、そこがここなのか、ここがここなのか、どこがここなのか、そこがそこなのか、ここがそこなのか、どこがそこなのか、わからない。
暗いどこか。
その男は磔にされている。
惨たらしく、酷たらしく、壁に打ち付けられている。
そんな、こんな、あんな、どんな、大きな釘が一体全体何体、何処にあったんだと訊きたくなるような、巨大な釘が、男の両の掌を貫き、壁に打ちついている。
黒いスーツの男が、10リットルは入るであろうプラスチック製バケツに、歩くたびに水がビシャビシャとバシャバシャと溢れるほどにたっぷりと、どっぷりと、水を溜め込んで、磔にされている男の前に立つ。
「おい、起きろ」
男はそう言って、バケツの水を磔の男に目掛けて、全力でぶちまけた。
磔の男は当然、当然のように、当然ながら、当然のごとく、当然として、びしょ濡れになった。
そして目を覚ます。
覚醒する。
「何の用だ?」
「おいおい、立場を考えろよ? 今は俺たちの方が優位にいるんだぞ? 言葉を弁えたらどうだ? ああん?」
そう言って黒スーツの男は磔の男を容赦なく殴る、蹴る。そして極め付けは手を刺し止めている釘をグリグリとねじ込ませた。
磔の男の叫び声が、断末魔が、暗い部屋に反響する。
「いい様だ。いい気味とも言うかもしれないな」
「ゴミクズが……」
「そのゴミクズにこうまでされる気分はどうだ? んん? どうだ? 言ってみろ?」
「クズやゴミにも失礼な男だ……」
「はっはっは、それは褒め言葉だな」
「いずれ私の仲間がお前たちに報復するだろう」
彼の言葉に余裕ぶっていた男の顔が、真顔になる。
「おい、お前なんか勘違いしてないか? 俺たちが報復を受ける? 違うな、報復しているのは俺たちの方だ。俺たちは4年前にやられた仕返しをしているんだよ。だから、お前らに報復を受けろなんて謂れはねぇ。むしろそっくりそのまま返してやる。報復を受けろ、この無能な王共が!! おい、この馬鹿から成分を抜き出せ!!」
男は背後に控えさせていた部下たちに指示を出す。
指示を受けた部下たちは真空採血管を磔の男に刺し込み、血を吸引し始めた。
「ぐううゔぅゔう!! こんなことをしても、お前たちに力は宿らないぞ………」
「それを決めるのはお前じゃない。神だ」
「神は貴様らのような下劣な奴らに力を貸したりはしない!」
「どうかな」
ペットボトル一本分は抜き取られたであろう血液の入った真空パックを、男はゼリーを飲むような感覚で飲み干した。
口についた血液を腕で拭い去り、
「これでまた俺は一歩、王に、いや、神に近づいたわけだ」
そう言い放って男はその場を去っていった。
時を同じくして、炎真はある男の元を訪れていた。
ある男は外界とを完全に閉ざされた断崖の中に幽閉されていた。
「よう、調子はどうだ?」
「これはまた珍しい客人であるな」
「たまにはアンタの顔も拝んどかないとバチが当たりそうだしな」
「炎真、見た目はかなり老けたな。炎の王はやはり今も短命か」
「久しぶりに会ったんだから、傷付くこと言うなよ。そういうアンタは4年前と身体つきも何も変わらないな、岩の王よ」
「うむ、鍛えておるからな」
「さすが古参の王だな」
「うむ」
「ここから出る気はないのか?」
「その必要がないからな」
岩の王はとても穏やかで、落ち着いた表情のまま、座禅を崩すことなく、姿勢を崩すことなく、訊かれたことだけを丁寧に答える。
「アンタがここに籠ってから色んなことがあった、、って言ってもアンタには全部お見通しか?」
「うむ、大地を通してな。大地は道、道は人が歩んだ、歩む、歴史。歴史は大地が全て知っているからな。夜兎が魔王になったことも、夜兎がその命を狙われていることも。そして因縁の敵、人核の党が復活し、花の王を襲撃したことも。それらを儂に伝えに来たことも」
「相変わらず、変態みたいで安心したよ」
「それは聞き捨てならんな」
その一言に言霊というのか、とてつもない凄みが発せられ、岩の王の凄みが監獄内を駆け抜けると、看守たちに緊張が走った。
「まぁまぁ、落ち着けって」
「うむ、答えは否だ」
「まだ何も言ってねぇぞ……」
「うむ、否だ。儂は手を出さない」
「どうしてなんだ?」
「儂はここで命が尽きるその日を待つ。外界の出来事は外界に住まうお前たちで解決することだ。儂は手を出さん」
「頑固ジジイだな。夜兎が心配じゃないのか? アンタがアイツを一番可愛がっていたはずだ」
「夜兎……。あの子は我が子同然のように可愛がってきた。今もその気持ちは変わらない。あの子が魔王に仕立て上げられた時も心配であった。今も大地を通してあの子の心を感じる。不安、怒り、そして人々への愛を。だが、あの子なら乗り越えられると信じている。お前が言ったように儂は古参の王、隠居の身だ。後はお前たち、これからの王が人々を導いていかなくてはならない。面会は終わりだ」
「おい、待てよ。俺はまだアンタに話したいことが、」
炎真は看守に摘み出されるかのように、強制的に話を遮られたのだった。
「一度遭わば、いつか遭う」
これは一度課せられたことは、仮に遠ざけたとしても、遠回しにしたとしても、いつかは必ず向かい合わなければならないということ。
一度直面した時点でやることは決まっている。後はいつやるかというだけの違い。
仮にその場を避けたとて、別の形で、形を変えて、同じ意味のものがやってくる。
人間、避けて通ることはできない。