第2話 その魚はその魚でしかなく、この魚ではありえない
柳桜は古来より続く由緒正しい花の王である。
花の王とは、その名の通り花を司る王で、初代花の王はこの世界に花をもたらしたという伝説がある。
花を生み出した初代花の王から、現在まで花という存在を維持するべく、ここまで代替わりを重ねてきた。
「七子ちゃんは夜兎のこと嫌い?」
「どうしてそう思うのですか?」
「うーん、勘?」
「鋭い勘ですね。その通りです、私はあの人のことが嫌いです」
「どうして?」
「どうしてもこうしてもありません。魔族の長というだけでも忌み嫌うには立派な理由です。それにそれだけではありません。私が何より許せないのは、柳桜様を裏切ったことです」
「またその話? だから、それは勘違いなんだってば」
「勘違いなどではありません! あの男は柳桜様を裏切ったのです!」
堅苦しい見た目通りの堅苦しさに、柳桜も返す言葉に詰まる。
柳桜が言葉を詰まらせていると、追い打ちをかけるように言葉を続ける。
「柳桜様はあの男と縁を切るべきです。あの男は柳桜様に相応しくありません」
「七子ちゃん」
柳桜はただ名前を呼んだだけ。
口調が尖っていたわけでもなければ、顔が凄んでいるわけでもない。
いつも通り、通常通り、平常通り、可愛らしい笑顔と、その笑顔を裏切らない、可愛らしさが共存した可愛らしい声。
しかし、だがしかし、七子は何も変わらないはずの声に緊張感を覚えた。
「失礼しました……言い過ぎました……」
七子がこれ以上はマズいと感じるほどの、目には見えない、耳には聞こえない、けれど、だけれど、その奥にある王の威厳。
見た目は可愛らしい女の子。
だが、それはあくまでも見た目でしかない。
見た目はただの記号でしかない。
可愛らしい女の子であっても、神より選ばれし王。
とびきりのお洒落とおめかしをして、大好きな男の子に会いに行こうなどと考える女の子であっても、彼女は、柳桜は花の王なのであった。
「わかればよろしい。さて、一回帰ってお風呂にしようかな。せっかく恋莉ちゃんが遊びに来てくれるんだし」
恋莉とは、この世界で最も広く大きく果てのない海を統べる王のことである。
「七子ちゃんも来るでしょ?」
「いえ、私などがいては邪魔になってしまいますので」
「そんなお堅いこと言わないの。はい、七子ちゃんの参加決定だからね」
「きゅ、急に言われましても」
「もしかして何か用事あった? それなら仕方ないと思うんだけれど」
柳桜は悲しげな瞳を、目を、眼を、七子に向ける。
つい先ほど、ついさっき、圧力を感じたかと思えば今度はしおらしさを全面に、前面に、最前面に、押し出してくる。
そこまでされて、ここまでされて、ごめんなさい、すいません、申し訳ございません、とは言えない七子は、
「わ、わかりました。。」
と、渋々了承するしかなかった。
「ですが、家の者が心配しますので、一度電話をかけてもよろしいですか?」
「うん、いいよ」
「それでは少し電話をかけてきますね」
七子は柳桜に会話が聞こえないギリギリ少し離れた場所で、電話をかけた。
それから数分して電話を終えた七子が戻ってきた。
「少し説得に時間がかかりましたが、大丈夫でした」
「そっか、よかった。それじゃあ、行こっか」
「どこへですか?」
「もちろん、私の家だよ? お風呂、七子ちゃんも入るでしょ?」
「あ、はい。いただきます」
断れないことをこれまでの会話で既に悟っている七子は少し戸惑いを混ざらせるも、もう断るという野暮なことはしない。
花の都---
それは代々、花の王が暮らす街。
季節を彩る花々があちらこちらに定植されていて、街は常に花が咲き誇る、花の王を信仰する花の民たち以外の一般人たちからも人気の高い街となっている。
特に有名なのは春の桜。
桜は自分の名前にも入っているということもあっえか、柳桜も特別な想いを持っており、春になると自らの力を使って、街全体を《桜の楽園》に変えてしまうのが、毎年の恒例行事となっている。
そして花の都の中心地にあるお屋敷に花の王は暮らしている。
「ただいま」
「お、お邪魔します」
1人で住むには到底住み切れない、使い切れない、お屋敷の中には広大なエントランスが広がっていた。
「お風呂、一緒に入るよね?」
「え、」
「女の子同士なんだし、一緒に入るよね?」
「それはその……恥ずかしいのですが……」
「大丈夫! 洗いっこしよ?」
「…………ぬぬぬっ」
なす術なく服を脱がされ、服を剥ぎ取られ、気が付けば柳桜の言う洗いっこが開催されていた。
「ほうほう、七子ちゃんはなかなか良い身体をしておるなー」
いつになく楽しそうな柳桜。
いつになく苦しそうな七子。
「やめてください、セクハラですよ」
「女の子同士でセクハラって成立するの!?」
「しますよ、しますとも」
「それは大変、って引き下がる私でもないのだっ!」
柳桜のセクハラが加速する。
「キャっ!」
「良い声で鳴きおるわ!」
どこの悪代官だよと。
シャワーでの洗いっこが終わると、2人は大きな大きな、それは大きな、それはそれは大きな、湯船で向かい合わせた。
「なんで距離取ってるの?」
「これ以上、セクハラに遭わないためです」
「セクハラなんて人聞きの悪いこと言わないの。コミュニケーションだよ、コミュニケーション!」
「物は言いようですね」
「なっ!?」
「その魚はその魚でしかなく、この魚ではない」
同じ魚を釣ったからといって、その魚とこの魚が同じなわけがなかった。
重さも違うし、形も微妙に、絶妙に違う。
その魚も、この魚も、違う名前をつけてあげてもいいほどに、全くの別物なのだ。これは人間にも言えようぞ。