綿津見神(わたつみのかみ)へ
この物語は創作であり、史実そのものではありません。
支那という言葉は現在使用するには好ましい言葉ではありませんが、この物語の時代背景である昭和初期から20年代の日本の社会情勢を鑑みて使用しました。
参考文献、日本戦没学生記念会編、岩波書店「きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記 第1、2集」
参考資料、ウィキペディア(日本語、英語版)「きけ わだつみのこえ(日本語版のみ)」「インパール作戦」「神風特別攻撃隊」「関東軍」「国民精神総動員」
他、戦争体験者からお話を聞かせていただきました。
【第一掌】
父上、母上、私ハ皇国ヲ外敵カラ護ル為、戦地ニ赴キマス。若シ私ガ還ラヌ事ガ在ッタトシテモ哀シマナイデ下サイ。私ハ多クノ智ト共ニ靖国へ行クダケノ事デス。
神風ハ私ノ背ヲ押シテ呉レマス。父上、母上、私ガ神ノ風ニ愛サレル事ヲ誇リニシテ下サイ。
廿年余リ自分ニ溢レル程ノ愛情ヲ下サッタ父上、母上ニハ尽キヌ感謝ト、何時マデモ御壮健デ有ラレマス様、御祈念申シ上ゲマス。
*智:素晴らしい友人という意味で使用しています
*神風、神ノ風:誤植ではありません
【第二掌】
十七の春、わたしの夫となった人は少し変わった人だった。大陸での戦いが激化し、大海でも戦いが始まったこのご時世、誰しもが日本の勝利を信じていた。しかし夫は「戦争は嫌だ」とはっきりとわたしに告げたのだった。もし誰かに聞かれたりしたら、間違いなく隣組から村八分にされ、配給などが受けられなくなる。
わたしの心配を余所に夫はその言葉をわたしに何度も謂い聞かせたのだった。
赤紙が来て夫も出征することになった。ご近所さんの御好意で千人針が創られた。わたしが夫にそれを渡そうとすると、
「これは御守りではなく、死に装束だよ」
とわたしの手を握り、その千人針をわたしに返した。それから、ゆっくり微笑みながら、
「僕は君の処に絶対帰ってくる」
どこからそんな自信が来るのかと思う程の口ぶりで、そっとわたしを抱きしめた。
そして、それが夫の最後の言葉だった。
いま、わたしの手には夫に手渡すはずだった千人針があります。もしこれを夫に無理やりでも持たせていたらと思うと後悔しても仕切れません。
【第三掌】
「いま貴様らの双肩には、皇国の未来、故郷に残してきた人たちの命が在る。本作戦は軟弱な米兵に日本軍人の不屈の魂を見せつけるのに最も適しており、皇国の勝利の礎となること疑いはない」
(何が不屈の魂だ。こんな若者を死地に追いやって皇国の未来だと、冗談もならんわ)
「少尉、怖いか」
「中佐殿、自分はこの部隊に志願した時から、自分の命は天皇陛下、皇国に捧げております」
(貴様の命は無能な海軍指導者の為にゴミのように扱われるんだぞ、取り消せ)
「少尉、貴様の言葉は靖国で英霊の誉れとして語り継がれるだろう」
(少尉「死んで花実が咲くものか」と謂う諺を知っているか。貴様が死んだら多くの者が悲しむのだぞ)
「我が御楯隊は、本日午後零時丁度に米軍機動部隊への攻撃、第二次ト一号作戦を発動する。諸君の力戦奮闘を期待する事、大である。皇国に勝利を」
(こんな下らない戦いで死ぬな、貴様ら)
【第四掌】
「大岡曹長殿、煙草ありますか? この塩の塊と交換して下さい」
「いや、煙草はない。田村、無闇に塩を見せるな。殺されるぞ」
「餓死か、仲間に殺されるかの二択ですか。こりゃ、いいや」
「言葉を慎め、田村」
「曹長殿、飯もなければ弾もない。自分はこのウ号作戦(=インパール作戦)が初めての闘いです。故郷を出る時、多くの人たちは自分が御国の為に命を捧げる軍人になること喜んでくれました。それなのに……、ここで餓死するのが、御国の為になるんですかね」
「田村、今は生きる事だけを考えてくれ。烈(=第31師団)が敵の側面に回っている。彼らが来れば状況は一転する。それまでの辛抱だ」
「曹長殿、そうなれば好いですね。……、あれは……」
「えっ、……ハリケーン(=英国空軍戦闘機)じゃないか、田村伏せろ。頭を上げるな」
「はいっ」
この後、大岡曹長と田村二等兵の姿を見た者はいない。
【第五掌】
「神風特別攻撃隊に志願した貴君らは海軍魂を持つ益荒男であり、我が師団の誇りである」
村田少尉は直立不動で敬礼した。
「大佐殿、我が命が、皇国、海軍にお役に立てるのであれば、それは本望以外の何ものでもありません」
彼の上官である三島大佐は満足げに頷いた。
村田少尉の率いる大和部隊の出撃は今日午前十時に三時間ほど繰り上がった。予想より米海軍の展開が速かったのである。日本軍の沖縄戦線は既に崩壊しており、日本軍の反攻は焼け石に水程度の威力しかなかった。軍上層部と政府高官はその現実を知ってはいた。しかしこのような作戦を立案した意図は、本土以外を時間稼ぎの捨て石にした事にある。
どんなに勇ましい掛け声があっても、この出撃が無駄死にあることは前線に立つ者ほど肌身に感じていた。言葉より肌で感じる感覚がの方が真実を見抜く力がある、それは代え難い事実でもある。
神風特攻隊の出撃時には、パイロットに特配(=特別配給のこと)がある。その内容は部隊によって様々であった。村田少尉の特攻部隊には、サイダー1本とおはぎ2個、煎餅が2枚がコクピットの側面にある食糧袋に入れられた。多くのパイロットは自分が食べたいと思う食品や好物から手をつけていく。好物を最後に食べたがる日本人が多い中で珍しい傾向であった。
出撃一時間前、無言で残る者と逝く者が水盃を交わした。無言の乾杯は、乾杯という言葉は語呂が悪いと忌避されたその影響だった。それから着々と出撃準備が進み、最後に操縦席の風防が閉じられると、彼らはただ互いに頷たのみで無言のまま会話を終えた。
滑走路から一機、また一機と整備不良の零戦が振り返ることなく前だけを見て飛び立っていく。その背を押すように残された者が手を振る。彼らの姿が見えなくなっても尚、手を振る事は止めることなど残された者には出来なかった。
通信士である森田上等兵は、村田少尉の言葉をノイズ混じりの精度が低い通信状況の中から持ち前の耳の良さを活かし拾い上げた。
「村田少尉からの通信、敵戦艦発見す」
村田少尉の言葉を正確に森田上等兵は復唱する。
三島大佐の率いる指令部は、敵発見の報に作戦が無駄にならなかった事への安堵の溜息を吐き、それが戦艦であって航空母艦でなかった事への落胆の溜息を吐いた。続けて森田上等兵は村田少尉の言葉を拾った。
「村田少尉からの通信、敵に攻撃を開始す」
その言葉を復唱した後、森田上等兵は信じられない通信を聞いたのである。間違いなく発信スイッチを切り忘れたのだろう。
「俺は死にたくなんかない、海軍の糞馬鹿野郎。てめぇらが先ず死ねや」
村田少尉の叫び声。その後すぐ爆音が一瞬聞こえ、通信は途絶えた。
森田上等兵は村田少尉の言葉が信じられなかったのと同時に、これを上官に報告すべきなのかと戸惑った。思わず挙動不審になる。
「森田、どうした? 何かあったのか?」
「いえ、何もありません。大佐殿」
「ならば通信に集中しろ」
「はっ」
森田上等兵はそれまで全く気にならなかった三島大佐の高圧的な言い様に、少しばかりの反抗心を持ち、村田少尉の最期であろうそれらの言葉を一生誰でも話すまいと誓うと、通信士としての作業を淡々と熟し始めた。ちらっと司令部を見た時、森田上等兵は信じられないくらい鋭い目付きになっており、目尻に泪が溜っている事に気付きもしなかった。
「敵通信傍受、沈没艦あり。かなり混乱している模様」
森田上等兵の報に、指令部には喜びの拍手が響いた。
【第六掌】
「閣下」
「何用だ、中佐」
「上申が御座います」
「内容は何だ」
「零式艦上戦闘機についてです」
「申せ」
「はっ。僭越ながら上申させて頂きます。零式艦上戦闘機は攻撃に特化する余り防御を犠牲にしており、多くの損害を出しております。特にパイロットの損耗は今後の戦局を考慮すると直ちに解決すべき問題です」
「解決策はあるのか?」
「はい。機体の防弾を強化し、パイロットの生命を護るのです。パイロットの育成には費用と時間が掛かります」
「中佐、貴様は皇国の軍人か?」
「自分は皇国にこの身を捧げております」
「ならば貴様に問う。勝利に一番必要な事は何だ?」
「敵を知り己を知ることです」
「高きに登りてその梯を去るが如し、を覚えておけ。不退転の決意を持ってこそ、戦を勝利に導くことが出来るのだ。どんな名刀があっても使う人間が人を斬る決意と覚悟がなければ戦には勝てぬ。皇国の軍人が死を恐れてどうする」
「……はい」
「中佐、貴様は頭が良い、その頭の良き使い方を知るべきだ。下がれ」
「閣下、有難う御座います。それでは失礼します」
パイロットの問題など貴様に言われなくとも理解しておるわ。我々は世界の半分を相手に皇国の存亡を賭けて戦をしているのだぞ。犠牲なくしてた大事は果たせぬ。何故それが理解できぬ……
儂とて自分の業はわきまえておる。戦を制した暁には、先に靖国に行った英霊の後を追うつもりだ。しかし今は多くの兵の怨恨をこの身に受けよう。それが将の務めだ。
【第七掌】
「彼らの支那での活躍は目覚ましいものです。戦闘は勝利し、その士気は我々本土の人間にも伝わっております。何卒、命令違反の処分は寛大に願います。彼らは皇国軍の鑑です。死なせるわけにはいきません。我々の決意を示す為、人形ではありますが小指を送らせて頂きます」
*陸軍省に寄せられた一般人の数多くの嘆願から
「米国との会戦は避けるべきです。我々はほぼ全ての石油と鉄を米国から輸入している、この現状を以てして、米国を敵に回し石油と鉄をどこから手に入れるのです」
「そんな些細な事は何とでもなる。勝てば誰からも文句は出まい」
*ある軍部会議の議事録より
「皇国軍は「清」「ロシア」を斃しただけなく、あの米国に大きな損害を与える事に成功した。皇国軍は世界最強の兵で構成された最強の軍であり、その強靭な力は世界に誇るべきものである。この戦い以降、我が皇国は世界にその存在の大きさを知らしめる事になるだろう」
*某新聞社が発行した号外の一面記事
「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営発表。六月五日から七日に掛け、ミッドウェー海域において我が帝国連合艦隊と米国艦隊との戦闘がありました。米国軍は航空母艦と戦艦が多数撃沈し大きな損害を被り、一方我が軍の被害は軽微、いま尚、米国軍を追撃すべく転身中であります。
臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます……」
*大本営発表より抜粋
「貴様、腰が入っとらん。竹槍ごと体当たりしろ」
「はいっ」
「もう一度だ」
「はいっ」
「貴様らは本土決戦になれば、銃後の守りだけでなく、臣民の務めとして、皇国婦人の鑑として、米英兵と闘かわなければならん。貴様らが握る槍には皇国と子供たちの未来が掛かっていると思え」
「はいっ」
(皇国は軍神様が居るんじゃろ、絶対勝つんじゃろ。なんで、こんな負け戦みたいな事するんじゃ?)
*竹槍訓練の一コマ
「……なあ、カツ。皇国は負けんのかな?」
「そんなわけあるか! この国は現人神がおわす国やぞ」
「……そうじゃよな、でもB29が空飛んで、爆弾落としていくんじゃぞ。本当に勝てんか?」
「おいおい、おっちゃん(=軍事教練に配属された陸軍の士官のこと)にばれたら殺されるで」
「……まあ、好いわ。その内判るやろう」
「何がや?」
「……父ちゃん、母ちゃん、元気かな」
「元気に決まってるやろ、臣民なんやぞ。こんな程度でへこたれるかい」
「……腹減った」
「俺もや、腹一杯銀シャリ食いてぇよなぁ。生煮えの水団はいらん」
*8月某日、疎開先での少年たちの会話より
了
どんな言葉を並べても戦争の本質は人殺しです。
そこに正義などなく、さらに人類は一度足りも正義と悪に分かれて戦争したことはありません。
悲しい事に歴史は何も教えてくれません。
だからこそ、自分から学び取るものだと私は考えています。




