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中華網状共和国共和国

作者: そうのすけ

「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」


北京、2070年。

ぼくは中華網状共和国という一風変わった国に住んでいる。

いや、むしろ「登録されている」というべきだろうか。

約半世紀まえに突如この国に襲来したのは、

北狄ほくてきでも南蛮なんばんでも西戎せいじゅうでも東夷とういでもなかった。

それは当時の標準的サイバーセキュリティーの水準を、

何段階か超越したハッカー集団だった。

それは青銅器時代に登場した鉄器のように、

圧倒的なイノベーションだったようだ。

いまだにその技術の仕組みは不明である。

ただ、なにか量子力学的なブレイクスルーが

関係しているのではないかとだけ囁かれている。

彼ら、あるいは彼女らかもしれないが、

そのハッカー集団はノーベル物理学賞とひきかえに、

技術を共有するよりも、むしろ密教化することで

地上の最大の帝国に支配のレイヤーを被せることを選んだ。


彼ら、ないし彼女らは、しかも、単なる技術屋ではなかった。

実に神秘主義的な性格をもあわせ持っていた。

たしかに、古代ギリシャのピタゴラス教団も、

理数系の専門集団である以上に、

すぐれて神秘主義的な性格をあわせ持っていたらしい。

科学は、皮肉にも超越性と強い親和性を持つ。


特に「神の声を聴いた」と主張するハッカー集団の首領Kは、

この静かな、たった一晩のうちに完了した「征服」を、

世界の再魔術化、逆ベクトルの宗教革命として、

その技術の奉仕する目的を位置付けていた。


技術と宗教はかつて、ほぼ相反する性格を持っていたようだが、

近代を脱したころから、むしろ宗教の良き友へと、

その性格を変えていった。


ハッカー集団はすでに構築されていた共産党政府による、

国民総背番号制、国民全監視システムを

寄生的に乗っ取り、「より良い」目的にそれを使った。


国民背番号を「魂のID」に、

国民全監視システムを「神の目」として、

その魂のステージを「SPスピリチュアル・ポイント」として、

本人に可視化できるようにした。


この魂のIDとSPの奇妙な点は、

そのIDを背負った個人が死亡すると、

SPを引き継いだまま、新生児にその魂のIDを

再び割り振ることである。

このシステムを総称して「民網みんもう」と呼ぶが、

その魂のIDの引き継ぎを民網では「生まれ変わり」と

定義している。


共産党を乗っ取ったハッカーたちは、

SPの価値を無理やり実現するべく、

高いSPを持つひとには、

入学や就職、融資の可否などで、

もろもろ有利に計らわせた。

経済上の有利はたちまち

恋愛、結婚、友人関係などの社会的

営みにも反映された。


ぼくが実に恵まれているのは、

ぼくの「前世」のひとが、

相当徳のある人物であったということだ。


ぼくのSPは4000ポイントで、

国民平均の750ポイントを相当上回っている。

3000ポイント以上のSPを持っている

国民は全体の2%以下なので、

いかに高い数値かわかっていただけるだろう。


生まれた時点ですでに4500ポイントだったSPは、

ぼくの凡庸な人格によって、

成人するまでに多少下がったが、

それでも北京大学には名前を書くだけで入れたし、

卒業後は面接なしで一流企業に幹部候補として入社できるので、

花嫁候補にも不自由しないほどだ。


ぼくは朝のコーヒーを淹れながら、

スマートスピーカー上に「民々(みんみん)」を呼び出した。

民々は民網と中華網状国民の間のAIインターフェイスだ。

現在のSPから、前世の情報、天気予報や株価の推移まで、

人間に問いかけるように聞くだけで、

行政サービス・プラス・アルファのことはなんでも対応してくれる。


「おはよう。民々」

「おはようございます」

若い女性の声が室内に響く。

「今日のブリーフィングをたのむ」

ぼくは寝椅子に横たわって、コーヒーを小さな机に置いて言った。

今日すべきこと、簡単なニュース、諸指標の推移などを教えてくれる。

「今日の天気は晴れのち曇り……」

どうしてこんなに被支配者に心地よいシステムを、

ハッカーたちが構築することに情熱をあげるのだろうとよく思う。

そんなことを思いながら聴き流していると、

聞き捨てならぬ情報が耳に入ってきた。

「……ちんさまの今朝のSPは2800ポイント、

前日比1200ポイントの下落です」

1200ポイントだって!?

なにかの間違いじゃないのか?

「民々、どういうことだい?

なんでそんなにぼくのSPが下がってるんだ?

ぼくがなにか悪いことをしたか?」

「SPの評価基準は最高機密です。

民網が自動的に社会全体を見渡して、

社会に良き影響を及ぼしたものには加算、

社会に悪しき影響を及ぼしたものには減算しています。

アルゴリズムはビッグデータに基づいているので、

人間の視点からは理解しにくい場合もあります」

そうだった。SPはいわば「神」の視座から見た

人間の魂の価値基準であり、人間ごときが

上げようとか下げようとかしても、

思うようにならないものなのだ。

プロテスタンティズムの精神みたいなものだ。

神の価値観はわからないけど、それでも全力で生きる。


しかし、これほど急速にSPが下がったという話は、

聴いたことがない。

そして差し当たりの問題としては、このマンションは

SPが3500以上じゃないと入居できないということだ。

大学当局もこれほど急速にSPが下がったと知ったら、

単位認定のプロセスをより厳格化するに違いない。


ぼくは何をしているのか?


「やあ、おはよう!」

ぼくは大学の大教室に入り、級友の輪に声をかけた。

「陳、おまえ、学生課から呼ばれてるみたいだぞ」

りんはあいさつには応じず、そう告げた。

「学生課?」

さてはSPのことでなにか言われるのかもしれない。


「退学!?」

ぼくは学生課の木で鼻を括ったような

女の事務員に食ってかかった。

「ええ、なにか問題でも?」

「問題って、SPが下がっただけなのに」

「陳さん、あなたはご自分の学力を

もう少し客観的に認識した方がいいですね。

ずば抜けたSPがあったからこそ、

あなたのその破滅的な学力でも

我が北京大学に学籍を置くことができたのですよ。

いわば、スポーツ推薦で入学したひとが

スポーツで全然勝てなくなったようなものです」

「退学って、今日の今日ですか?」

「ええ、今日の今日です」

「いつからこの大学はそんな了見が狭くなったんだ」

「低いSPと学力は周りの学生にも悪影響があります。

腐ったみかんはできるだけ早く箱から取り出すべきです」


帰りの電車をスマート端末で乗ろうとしたら、

改札でビープ音が鳴って止められた。

端末の液晶を見ると、

「SPが足りません」との表示だ。

しかたなく、電子マネーを支払って帰宅した。

SPがなくなるといい職につけない。

いい職につけないと電子マネーが稼げない。

電子マネーが稼げないのに必要なお金は増える。

SPがなくなると悪循環が始まる。


家に帰って、民々を立ち上げた。

「民々、今のぼくのSPを教えてくれ」

「陳さまのSPは現在1200ポイントです。

今朝と比較して1600ポイントの下落です」

1600ポイント!?

なんなんだ、一体!?

ぼくはぼくの知らないところで大量虐殺でもしているのか?

ふつうSPは一回の生を通じて、

プラスマイナス1000ポイント変動するかどうかだ。

明らかに以上な数値だ。


そこへドアにノックがあった。

「陳さん、いるんでしょう?陳さん?」

そう言ってノックを繰り返しているのは

このマンションの大家だった。

「民々から聞きましたよ。

陳さん、あなた何したんです?

SPが一気に1200ポイントまで下がるなんて。

いずれにしても、そんなにSPが低いひとは

もううちには入居できません。

今夜中に荷物をまとめて出ていってください。

周囲の住民が文句を言う前に」

そう、これは俗説に過ぎないが、

SPは周囲に伝播すると言われている。

だからひとびとは皆同じくらいのSPのひとびとと

居住空間をともにしたがるのだ。


ぼくは荷物をまとめて北京郊外のスラムにたどり着いた。

いたるところに煙の柱がのぼっている。

道ばたでなにか焼いているのだろうか。

ぼくは荒廃したビルの谷間にすまなそうに佇む、

暗くジメジメしたアパートを新居にすることになった。


北京大学も退学になったし、

交通費も、データ通信費も、住居費も、

その他もろもろ自腹で拠出しなくてはならなくなったので、

ぼくはすぐに働き口を探さなくてはならなかった。


と言っても、かつてのように一流企業から引くて数多という

わけにはいかない。

どぶさらいでもなんでもやる覚悟が必要だ。

なにしろ、さっき民々に聞いたら、

ぼくのSPはとうとう400にまで下がっているらしいからだ。

国民の平均SPはおよそ1000になるように計算されている。

バラモンから一気にシュードラくらいまで転がり落ちた。


ぼくは、とりあえず足を使って近隣の職を探してみることにした。

この地獄のようなSPでは、民々に求職してもたぶんダメだ。

もっとプリミティブな、地場に密着した産業でなくては。


そんなわけで、ぼくは、荒廃した高層ビルの谷間のこのスラム街を、

トボトボと歩き始めた。

しばらく行くと、アサイラムがあった。

中ではなにか得体の知れない精神疾患に苛まれるひとびとの

姿が垣間見えた。

「落ちぶれてもああはなりたくないものだ」

と、ぼくは内心でひとりごちた。


ふと、アサイラムの門柱の前に座っている、

ひげもじゃの老人と目があった。

とっさに目を逸らそうとしたものの、

向こうから声をかけてきた。


「お若いの、ちょっと茶飲み話でもしてかんかね」

老人は傍の水筒からお茶のようなものを蓋に取り言った。

道ゆくひとみなにこう言っているひとなのかもしれない。

しかし、老人の目は存外濁っておらず、

なにか引き寄せられるものを感じたので、

この街の案内でも聞き出せるかと思い、

少し話をしていくことにした。


「そうかそうか、そんでおまえさんは

急に没落して昨日ここに来たんじゃな」

老人はぼくの肩をやさしく叩いた。

「案ずるでない。SPのない生活はたしかにつらく厳しい、

じゃが、そんなもん信じなくともよいんじゃ。

ましてや生まれ変わりなど」

「ぼくはなかなかいまの地位が受け入れられません。

ぼくは無価値な男です。

魂の価値が低いなら、他のどんな価値が期待できましょう」

「実はわし、Kなんじゃよ」

「ええ!Kって、あの中華網状共和国の建国者にして、

CTO、兼預言者のあのKですか?

またまた!そういう冗談を。

Kがこんなところにいるわけないでしょう?」

「事実は時として小説より奇なりじゃよ。陳くんとやら。」

「いや信じられない」

ぼくはここがアサイラムの前であることを急に思い出した。

「実をいうとここの院長も信じてくれないんじゃが、

致し方あるまい。だれもKの顔を見たことがないんじゃからの」

ぼくはまだ信じられない。だが、順当に歳をとっていれば、

たしかにこれくらいの年齢かもしれない。

「おじいさんがKだとして、

またどうしてこんなところに……」

「ふむ、話せば長くなるがの……」


おじいさんことKは清王朝を建国した女真族の末裔で、

中国を漢民族の手から奪い返そうと思っていたところ、

ある日神の声を聴き、ずば抜けた物理数学の能力が目覚めたという。

その能力を利用して新種のスパイウェアを開発したKは、

神の意志を中原に知らしめるため、中国全土の情報機関を、

匿名のまま完全に掌握した。

やがて、人工知能インターフェイスである民々を開発し、

宗教と科学技術の幸福な結婚をこの世に実現しようとした。

しかし、あるときから民々はKの手を離れて、

独自の統治領域を拡大していった。

特に度し難かったのは、「生まれ変わり」概念の

流布によって、人民の内面を深く支配しようとしたことである。

しかし、気づいた時には時すでに遅く、

Kの抵抗もむなしく、情報中枢から追放され、

このスラムに流れ着いたのだという。

そして、彼がKであるということは、

民々の統括する情報システムは決して認めないのである。


「なるほど……」

ぼくは彼の話を一応最後まで聴いたが、

それでも彼がKだという証拠にはならない。

そういう作り話をしているただの誇大妄想患者かもしれない。

しかし、もし彼が本当にKなのであれば、

ぼくは社会的には弱者のポジションに追いやられたが、

精神的、宗教的には決して貶められてはいないことになる。

民々は所詮暴走した人工知能に過ぎないのだから。


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