僕と父の秘密の語り相手
手直ししてみました。
「いやぁ、今日も疲れたよぉ。コーチがグラウンド十週なんて言うんぜ?」
「……………」
僕は「彼」に話しかける。
「今日は野球部が合宿か何かで、たまたまグラウンドが空いてたんだよ。それで走らされたんだけどさ、ヒデェよなぁ。別に卓球部なんだから走らなくたっていいよなぁ」
「……………」
「彼」は何も言わず、僕の話を聞いてくれる。嬉しい。
「あんまり運動神経が良いわけじゃないしさ、とりあえず何かスポーツやってみたくてさ、友達に誘われて卓球部入ったけど、いやぁ、練習がキツくてキツくて!」
「……………」
「彼」は何も答えない。
「卓球部でもランニングとかするんだなぁ、舐めてたよ」
「……………」
「彼」はうんともすんとも言わない。
「よく考えたら、テレビとかでも卓球選手の動き凄いもんな、当たり前か……」
「……………」
「彼」は一言も話さない。
「そうだ、それより今度期末テストがあるんだよぉ。前回赤点取ったからさ、今回こそ赤点回避しないとヤバいんだよなぁ……」
「……………」
「教師も親も塾の先生も勉強勉強しろって言うけどさ。やる気が出ないんだよなぁ……」
「……………」
「ま、留年とかするのも嫌だし、受験の内申とかもあるけどさ。あーあ、来年は俺も受験生かーー。いっぱい勉強しないといけないよなーーやだなーー」
「……………」
「お前はいいなぁ。悩みなんてないんだろ?ずっとそうやって黙ってるだけだもんな」
「……………」
「じゃあ行くよ、聞いてくれてありがとな」
「……………」
***
夜。
「はぁ……もう嫌になっちゃうな。毎日毎日仕事仕事」
「……………」
「彼」は何も答えない。
「上司はむかつくし、部下には舐められるしさ。嫌な事ばっかりだよ……」
「……………」
「彼」は何も言わず、話を聞いてくれる。嬉しい。
「まだ高校2年と、中学2年だからなぁ。まだまだ働かないとなぁ……」
「……………」
「彼」はうんともすんとも言わない。
「大学の学費もあるし、これからが大変な時期だからな。俺も頑張らないといけないよなぁ」
「彼」は一言も話さない。
「……………」
「それが親としての使命、責任だからな。大変だけど、頑張らないといけないよなぁ」
「……………」
「そういえば、最近生きがいって言うのかな、そう言うの感じなくなったよなぁ……」
「……………」
「自分が何の為に生きてるのかってさ。この歳になって考える事じゃないのかも知れないけどな」
「……………」
「子供が出来てからは、子供のために子供ためにってさ。思えば自分の事なんて考えれなかったなぁって」
「……………」
「この歳になったらさ、もう若い時みたいに何も出来ないとか思っちゃうんだよ。昔に戻りたいなぁと、子供たちを見てて思っちゃうんだよ」
「……………」
「俺だってなぁ……羨ましいよなぁ……会社の若い奴ら見てると、俺がやりたい事って他にあるんじゃないかって今でも思っちゃうよ」
「……………」
「でもなぁ、子供達は可愛いし、子供達の為にも、今俺が頑張らないといけないよなぁ。それが俺のやるべき事、生きてる意味なんだからな」
「……………」
「ありがとよ、聞いてくれて」
***
翌日。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「……………」
「何で俺って才能が無いのかなぁ……」
「……………」
「クラスのさ、川本って奴がいるんだよ。別に妬みじゃねぇよ?運動も出来てさ、勉強も出来てさ、イケメンでさ、女子からもモテてさ、なんて言うか、完璧な人間なんだよなぁ」
「……………」
「俺なんて特に勉強が出来る訳じゃないし、運動も出来る訳じゃないし、顔もかっこよくないし……」
「……………」
「生まれた時点でさ、やっぱりある程度差ってあるよなぁ。努力では超えられない壁、みたいなやつだよ」
「……………」
「小学校とかはあんまり感じなかったけど、中学からはさ、高校受験があったろ?学力とか、そういうので差ができて、人間はみんな平等とかそんなのじゃないんだな、そう思ったよ」
「……………」
「高校は尚更でさ。何とか今の高校に入れたけど、色々な所で周りとの差を感じちゃうんだ」
「……………」
「そんな事考えたらさ、キリがないことわかってるけどさ。でも考えちゃうよ、分かってくれよ……」
「……………」
「僕にはさ、一体何があるんだよ……何の為に生まれたんだよ、何の為に生きてるんだよ……はぁ……」
「……………」
「明日も学校か、何か行くの嫌になっちゃったな」
「……………」
彼は僕がどんなに感情を乱しても、何も反応してくれない。何も、何も。
***
夜。
「いやぁ、今日も疲れたよ」
「……………」
「今度大事な仕事があるんだ、皆ピリピリしてる。嫌になっちゃうな」
「……………」
「でもそれは俺だけじゃないんだよなぁ、皆んな頑張ってるんだよな。俺がサボるわけにもいかない。俺がサボったら、皆の努力が無駄になっちゃうからな」
「……………」
「全部投げ出したい、そう思うときもあるけどさ、やっぱり歯を食いしばって、頑張るしか無いよな」
「……………」
「頑張らないとな、俺は何もないただの人間かと思ってたけど、気づかない内に色んなもん背負ってたんだよな。仕事仲間も、大切な家族の生活も。俺が頑張らないと、この幸せな生活が壊れちゃうからな」
「……………」
「聞いてくれてありがとな。お前には愚痴ばかり言ってる気がする。たまには幸せな話題も言いたいけど、最近行った居酒屋の焼き鳥が美味かったとかそんな事しか無いんだよなぁ。悲しいなぁ」
「……………」
我が家のトイレにあるトイレットペーパーホルダーは可愛いぞうさんだ。
このぞうさんは俺が幼い頃から実家のトイレにいた。結婚して、新居を建てて、引っ越しをする時に俺が実家から持ってきたものである。
その親父も先月亡くなった。
何とも言えないきょとんとした顔の「彼」は、年月が経ったからか、かなり汚れてしまっている。たまには軽く掃除してあげないとな。
親父はよく「彼」と話していた。
幼い頃にその光景を見た俺は、なぜ親父が「彼」と話しているのか、不思議に思っていた。「彼」はモノであって生き物では無い。話しかけても、返事すらしてくれないのに。
でも、そこが「彼」の魅力なのかもしれない。
こんな歳になった今だからこそ、親父の気持ちがわかる気がした。
自分の本心を打ち明けれる相手って、中々いないし、そんな事を友達や家族に話す勇気は俺には無い。
最近は息子も、こそこそ俺の真似をして、「彼」と話しているらしい。
俺が話す内容は愚痴や悩みばかりだが、「彼」が喜ぶような話題を話せるような人生を送りたいものだ。
俺はトイレから出ると、いつもの平凡な日常に戻った。