事の発端
学園入学前の大人達の話し合いです。
―三ヶ月前のこと。
どの国にも、どの派閥にも属さない暗殺者集団“残夢”に依頼が来た。
“残夢”は暗殺者集団ではあるが、暗殺だけが仕事では無い。
闇に潜み、影を渡る暗殺者の能力を活かした情報収集といった、裏で工作等を行うのも仕事だ。
そこに今回舞い込んだ依頼、それこそがミュゲとロテュスことカミュが学園に潜入した切っ掛けだった。
***
『第二王子を暗殺してほしい』
その依頼を受けるか否か、話し合いが行われた。
話し合いの為に招集されたのは、それぞれの長達含む上役だ。
無論、長の一人であるトウガも招集を受けている。
「さて、此度の依頼だが…どうする」
上座にゆったりと腰をおろした男―頭領であるリョウガは、集まった者を静かに見渡した。
普段は表の職に就いている者も多いため、集まった者達の服装は区々(まちまち)だ。
その中の一人、鳶色の髪の男が口を開いた。
「俺は、あまり気は進まんがな」
確かにそうだと、トウガは内心で男の言葉に賛同する。
そしてまた、頭領もそうだった。
今回の標的である第二王子は非常に優秀だと言われているが、かと言って第一王子が劣っている訳では無い。
それに、既に王太子は第一王子と決まっており、兄弟の仲も良好らしい。
第二王子に王位を望むような素振りも見られず、暗殺等意味が無い…とは考えないのが、第一王子の派閥にいるのだろう。
本人にその気は無くとも、彼を玉座に座らせようとする者が出て来るかもしれない。
そう危惧したのだろうが……
(…馬鹿だな)
本当に仲が良い兄弟なら、弟が殺されたのを犯人も探さずに放置はすまい。
その期に膿を一掃する可能性すらある。
第二王子が優秀だという評判の方がよく耳に入るが、第一王子も聡明な青年だと聞く。
失敗すれば、その先には極刑。
例え、暗殺に成功したとしても早々に犯人は炙り出されると思われる。
それならば、危ない橋を渡る必要はあるまい。
ということで、『否』と結論を出しかけたところで頭領の目に、思案顔で黙りこむトウガの姿が映った。
すいと視線を移せば、人の視線に敏感なトウガならすぐ気付く筈だった。
ところが、今日に限っては気付いた様子も無く、考えこんでいる。
「どうした」
その言葉が自分に向いたものだというのは理解したらしく、ハッとした顔で頭を下げた。
「申し訳ありません」
「いや、構わん。それより、何かあったか」
「いえ…そういう訳では無いのですが」
頭は上げたものの口ごもるトウガを視線で促すと、ゆっくりと続けた。
「…うちの子達も、本来なら学校に行く歳だな、と」
「…ああ」
トウガは独身である。
“うちの子達”とは、トウガが拾ってきて育てた二人の少年少女のことだ。
(『霧鬼』が随分と丸くなったものだな)
十五年前、珍しい白髪の赤子を拾ってきて「自分が面倒を見る」と言ったことには驚いた。
しかも、拾った場所は魔物が棲む“常闇の森”だ。
魔物が棲む森が隔てた隣国、ヒノモトには“邪神”がいる。
その名は、虚之神。
言い伝えでは、世界と世界の狭間―虚に彷徨い、姿を現すことは滅多に無い。
唯、“時が満ちれば”。
全てを呑み込み、虚無へ帰すという。
破壊と絶望の神、まつろわぬ神。
それと共に、白髪の者は邪神の子であるという噂も生まれた。
白というのは色が無い。それ故に、無の色とされ、それを体に持つ者は忌み子と言われたのだ。
いや、そもそも“白”というのも色の一つだと思うのだが。
それは兎も角、その噂のせいで生まれつきの白髪は居なくなった。
駆逐されたという方が正しい。
だからこそ、彼女―ミュゲは珍しかった。
赤子の世話等したことが無かったトウガは、里の女衆にも手伝って貰って四苦八苦しながら世話をしていた。
そして、数年後。
今度は幼い子供だった。
これまたあまり見ない、オッドアイの少年だ。
何故、こうも珍しい子供ばかり拾ってくるのかと頭痛がする心地だったが、次第に柔らかくなるトウガの表情に安心した。
『霧鬼』と呼ばれ、只管任務を遂行していた男に“家族”が出来たのだ。
トウガの幼馴染みとしても、“残夢”の頭領としても、彼に守るべきものが出来たことは嬉しい。
これで、そうそう無茶をすることは無かろうと。
その宝物である二人は、十五と十六になった。
(あのチビ達が、もうそんな歳か)
トウガが言った“学校”は、地方にある最低限の知識を学ぶ場所であり、“学園”とは異なる。
“学園”とは、王都にある国立ヴィオレスタ学園のことである。
魔力を持つ者達が通い学ぶ学園で、そこにはある程度の魔力があれば通うことが出来る。
寧ろ、魔力を保有していることが最も重要だ。
各地から人が集まり、知識も集中するが故に、高度な教育を受けることが出来るという。
平民もいるにはいるが、貴族の方が圧倒的に多く、件の第二王子も入学することが決まっている。
学校は入学する年齢は定まっていないのだが、ミュゲの髪とロテュスの目のことがあり、二人にはトウガが知識を教えていたので失念していたのだろう。
区切りとしては、特にミュゲは入学にちょうどいい年齢ではあるのだが…
(…ふむ)
「第二王子の件、受けるか」
『は?』
「幸い、期限は第二王子が学園を卒業し、本格的に王族として動くことになる三年後。無論、早い方がいいとは言うだろうが、学園は警備面もきちんと管理してある」
「そう、ですね…?」
先程までとは百八十度違う言葉に、ぽかんと呆気にとられた顔をする一同に構わず、言葉を続ける。
訳がわからないという顔のトウガは、曖昧に返事を返したが、このあとにどんな顔をするか。
「確実に暗殺する為には、内側に入り込む必要があるだろうな……不審に思われない、正規の手続きで」
「正規の手続きで、って……」
些か渋面をしたトウガは、顎に手を添えて呟く。
「教師として潜入出来そうな者は、今は別の任務で他国ですし……そうなると、それこそ生徒として入学でもする、しか…」
そこで、何かに気付いたように此方を凝視する彼の考えを肯定する笑みを浮かべてやった。
「…有難う御座います」
『ミュゲとロテュスを生徒として潜入させ、依頼の傍ら、学園の教育を受けさせる』
意図を正確に理解したトウガは、嬉しそうに微笑んだ。
その微笑みに、集った者達は思わず見惚れた。
俺はもう慣れているのでそんなことは無いが、この男は相変わらず綺麗な顔をしているとは思う。
霧に融けるような淡い灰色の髪は艶やかに、腰あたりまでのびて、さらりと揺れる。長い睫毛に縁取られた目は、凍りついた水面のように透き通る薄い青。すっと通った鼻筋に、バランスよく配置された顔のパーツ。
一言でいうと、“男に見えない男”だ。
その顔に花の微笑みを浮かべたトウガだったが、ふと目を伏せた。憂いを帯びた表情すら、絵になるのだからこの男は恐ろしい。
「ですが……」
「問題無い」
トウガの懸念は、二人に“仕事”をさせること。…手を、汚させてしまうこと。
「依頼の内容については伝える。だが、無理に二人だけにやらせるつもりは無い」
リョウガには、あの二人を“残夢”の一員にする考えは無い。
人手が足りていない訳ではないし、何より…“裏”に引き込みたく無かった。
きっと、いや。親として引き取って育ててきたからこそ、トウガもそう思っている筈だ。
「あの子達の手は汚さずとも構わない。実行は、時期を見て此方がすればいい。只…学園で学ばせてやりたい。お前も、いや、お前こそそう思っているのだろう?」
「はい…それが、あの子達の為になるでしょうから」
二人は、学園で学ぶ為の資格は既に持っている。
伏せていた目をゆるりと持ち上げ、トウガはほんのりと微笑した。
***
その約一月半後。
試験を無事に終えたミュゲとロテュスは、見事合格を勝ち取った。
そして、『第二王子暗殺』の依頼の為に潜入するという体で、学園に入学することになった。