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第4章


「ご臨席にならずともよろしいのですか?」


東宮殿の庭、楼閣の中の長椅子に寝そべり、冊子(ほん)を読んでいる主に声をかけた。

夏らしい陽射しの天候だが、日陰では涼を感じるさわやかな気温だ。

風が通る楼閣は午睡には最適の場所だろう。

生真面目に楼閣に垂らされた薄絹の幕の外から話しかけてきた腹心に、彼の主は冊子から片目だけをのぞかせた。


「…わざわざ見に行かずとも、結果は知れている」

「なにをもってそうおっしゃるのか…」

「それに」


質問には答えずに、主は言葉を続けた。

ぱたんと冊子を片手で閉じると、長椅子から半身を起こして、今まさに皇妃試験が行われているであろう方角を見やる。


「太老師は見誤ることなどない。…そうだろう?青嵐」

「は…」


青嵐と呼ばれた青年もまた、夏の陽に艶やかに光を帯びる黒髪を風にまかせつつ、主の視線に従った。

この楼閣からはその建物は見えないが、二人の視線の先の先、後宮の広間ではいよいよ皇妃試験が始まろうとしていた。




***



「では四人の皇妃候補の方々、卓にお着きください」


進行役の宦官がそう発した。

居並ぶ高官たちの前方、太老師の前にしつらえられた四つの卓に四人の皇妃候補が進みでて着座した。

漣花の二人目の推薦者にざわついていた広間も、ようやく静まり、太老師の出題を固唾をのんで見守っている。

四人の様子を最も不機嫌に、しかしそれを巧妙に胸の内に隠して見ていたのは、丞相である王景豪(おうけいごう)である。


景豪は地北州の長官を務めてきた家柄の大貴族であった。

地北州は金山や銀山、鉄などの鉱物資源に富む地域で、景豪の生まれた王家は代々その取引の独占により財を成してきた一族である。

財力を背景に、素質として持っていた天性の政治力で力をつけた景豪は巧みに中央に進出し、先帝に政治手腕を気に入られて丞相となった。

その政は少々強引でもあったが、放蕩に明け暮れる先帝の目には入らず、景豪の専横は続いた。

前皇妃が病死した後、景豪の妹が後宮入りし、先帝の寵を受けたことで、その権力はますます確固たるものになった。

紅華国の権力を手中にした景豪が次に抱いた野心は、皇統の系譜に自身も載ることであった。

しかし、先帝は頑として景豪の妹を皇妃の座につけようとはせず、皇妃の座は空席のままであり、皇妃の兄、そしていずれは皇帝の伯父たらんとした景豪の考えは砕かれた。

それが決定的になると、景豪の一手は美しく生まれた掌中の珠である娘、麗岐を皇妃の座につけることに置き換わる。

これは景豪の最大の野心を満足するための布石の次の一歩なのであった。


麗岐は親の贔屓目を差し引いても美しい娘であった。

幼い頃から皇妃になるべく教養を身につけさせ、礼儀作法、その所作の端々まで、非の打ちどころのない素晴らしい娘。

麗岐は皇妃になる条件をすべて兼ね備えていたし、誰もがそれを疑っていなかった。

他州の長官の娘や、大貴族の娘が出る杭にならぬよう、美しい娘がいると聞くとそれとなく縁組を勧め排除した。もとより才色がそれほどでもないと判断した娘は捨て置いた。

巧妙にかつ淡々と、麗岐が自然と皇妃になるよう着実に準備を進めてきたのである。


しかし。

目の前の、この水南州から突如現れた漣花という娘が、景豪にいやな予感を抱かせた。

一次審査を通った中では特別に目立つこともなかったというのに、皇妃試験を受けることになった途端、見せ始めた才気はなんなのか。

東火州、西風州の長官の娘は以前から知っていた。確かに美しいが麗岐ほどではないし、特に秀でたところもない、ごくありふれた貴族の令嬢。

麗岐の敵になるようなことはない、そう判断した娘たちだった。


水南州の漣花とて、麗岐に比べれば大した器量よしではない。

貧しい田舎の、血筋こそ良いが没落貴族の娘。ろくに妃教育も受けてないに違いない。

だが、景豪の長年の権力者としての勘がわずかに警鐘を鳴らしている。

自身の中のその警鐘を敏感に察知し、先手を打った。

田舎の貧弱な水南州の弱点である、『貧しさゆえの孤立』を利用することにしたのだ。

それゆえの、『二人目の他州貴族からの推薦』の条件であった。


この条件の付与で、あの得体のしれない水南州の娘は試験を受けることなく皇妃候補から外れる、はずだった。

しかし予想だにしなかったことに、あの左軍将軍が二人目の推薦者として名乗りをあげた。

新しい皇帝の腹心である青将軍。

李青嵐は権力に媚びず、財になびかず、それでいて李家もまたこの国の由緒正しい大貴族の家系である。

水南州の漣花と一体どんな繋がりがあるのか。

それは丞相たる景豪にも推し量ることができないことだった。





コツ、コツと杖の音を立てながら、太老師がゆっくりと壇上から降りてきた。

長い顎鬚をなでながら、四人の卓の前に立つと、四人の皇妃候補を見まわしてから口を開いた。


「さて、候補がた」


四人はそれぞれに居ずまいを正した。


「このたびの試験では(それがし)が皇妃に必要と考える三つの資質について試験を行う。この三つの資質を満足したものを皇妃として皇帝陛下に推挙いたす」


三つの資質。

老師はそれがなんであるのかを言わないままで試験を始めるようだった。

漣花はそれはなんなのだろうと思った。

果たして自分にそれは備わっているのだろうか?


「では最初の試問じゃ」


老師の声に、漣花はハッと我に返った。

備わっているにしろいないにしろ、今は全力で試験に挑まなければ。

国一番の学者である太老師の試験などめったに受けられるものではない。

結果はどうあれ、自分の持つものを最大限に発揮しようと決意を新たにした。

後押ししてくれた水南州の皆の気持ちを無駄にしないために。

そして、ここに、あの青嵐が自分を出してくれたのだから。



太老師が手を挙げて合図すると、四人の候補の前に大きな四角い箱が運ばれてきた。

高さは人の背丈ほど。厚みは手を広げた程度の、薄い大きな箱だった。

こちら側の面は開いているようだが、簾がかけられていて中身は見えなかった。


「この絵に描かれている山はどこか、答えを書きなさい。これが第一の試問である」


太老師はそう言うと、するすると簾をあげた。

箱の上から三分の一ほどの高さまで簾が上げられた箱の中に、一枚の掛け軸がかかっている。

簾がすべて上げられないので見にくく、四人は身を乗り出すように絵を眺めた。


雲海の向こうにそびえたつ山が描かれていた。

山は険しく、全体に雪を頂いている。

雲海の下には、豪奢な城があり、太陽の光を受けて紅く染まっていた。

さして珍しくもない、よくある風景画の掛け軸に思えた。


「答えを書けた者は後ろへ」


老師の声に、漣花の隣の三人はすぐにすらすらと答えを書き、優雅な仕草で一礼すると次々と卓を離れ、数歩後ろへ下がった。


「簡単だったわ」


漣花の隣の西風州の江明凜(こうめいりん)が小さくつぶやきながら漣花の横を歩いて行った。

麗岐も、春玉もすんなりと答えを書き終えて、席を離れた。

しかし漣花は、絵を見つめたまま考え続けていた。


雪を頂く険しい山に、紅い城。

普通に考えれば、城はこの暁城であり、山は陽都の北部に位置する善庸山(ぜんようざん)であろう。

一年のうち長く雪を頂くことで有名な善庸山は仙の棲む山といわれ、神聖視されている霊峰である。

しかし、漣花はなんとなく納得がいかなかった。

太老師が出題する試問がそんなに簡単なものだろうか。

それにどうして絵を簾で隠すことがあるのだろう。

絵に描いてある山の名前が問題なら、しっかり見えるように掛けてくれたらよいものを。

それに紅い城。

屋根ばかりでなく壁も紅く染まるあの城は暁城だと思ってよいのか。

違和感を感じるのに、その違和感の正体が見えず、漣花はいまだ真っ白なままの卓の上の紙を見つめた。




(漣花様……!)


広間の後方で試験を見守る桃胡や英達は祈るように漣花の背中を見ていた。

他の三人はとっくに答えを書き終えたというのに、漣花はまだ微動だにしない。


「英達様、漣花様はお分かりにならないのでしょうか?私だとてあれが善庸山と知っていますのに」


胸の前で手を組み、おろおろと小声で囁く桃胡に、同じく小声で英達は答える。


「桃胡殿、わたくしなどには分かりかねますが、漣花様には漣花様のお考えがおありなのです…きっと」


英達は桃胡にそう言いながら、内心は焦燥にかられる自らに言い聞かせていた。

漣花様は必ずお答えになる、と。





再度、漣花は顔を上げて絵を見つめた。

簾の向こうの雪を冠した山と紅い城、沈みゆく太陽。


沈みゆく?


と考えた自分にはっとした。

そして漣花の中で、かちりと鍵穴に鍵が差し込まれたように、一つの考えに行き当たる。


早く答えをと、宦官が促そうと動きかけた時、漣花は筆を取り紙に何事か書きつけた。

その様子に桃胡と英達はほっと胸をなでおろしたのだった。




四人の候補が答えを書いた紙を集め老師は一通り眺めた後、四人に卓に戻るよう指示した。


「さて、ではここに書かれた答えについて、なぜそう考えたか、それぞれ理由を聞かせてもらおうかの。まずは王麗岐どのから」

「はい」


麗岐がふわりと音もなくその場に立った。

その牡丹の花のような華麗であでやかな姿を、広間の人々がうっとりと見つめる。

麗岐の紅の塗られた整った唇から、乙女らしい高い声がすべり出る。


「この絵の城はこの紅華国の皇宮暁城です。暁城はその紅き美しさからそう呼ばれる城。でありますなら、描かれている雪を冠した山は、紅華国北部に位置する善庸山と考えました。善庸山は仙の住まわれる霊峰であり、皇帝陛下に福をもたらすまことにめでたい絵であると感じました」


麗岐の流麗な言葉に丞相が満足そうにうなずいているのが見えた。

山がどこかを整然と説明し、かつ皇帝に対してこの絵がどのようなものかまで付け足した。

麗岐の答えは完璧なものであった。


「麗岐どのの考えはよくわかった。では次に楊春玉どの」


太老師はそれが正解であるとも不正解であるともいわず、次の候補者に説明を求めた。

春玉も明凛も麗岐と同じ答えで、同じような理由を述べた。

やはり私の答えは間違っているのだろうか、と漣花は思った。

漣花の答えは先の三人とは全く異なっていたからだ。


「では最後に、藍漣花どのに聞こう。漣花どのだけ他の三方と答えが異なるが理由はなにか」


答えが異なる、との太老師の言葉に他の三人はこんな簡単な問題を間違ったのかと冷ややかに漣花を見た。

傍聴する人々もひそひそと嘲笑交じりでざわついている。

『やはり田舎者が…』『教養のない…』等々、ささやかれる侮蔑の言葉に桃胡はいたたまれない気持ちでいっぱいだった。

その中で丞相は、表情を変えず漣花を見つめていた。


「はい。お答えいたします」


漣花はその場に立ち、太老師に向き合った。

すうっと一呼吸おいて、言葉を紡いだ。


「まず、この城は暁城ではありません」


他の三人と根本から異なる言葉に、広間じゅうがどよめいた。

太老師は何も言わず、続きを促す。


「描かれている城は正面の左側から太陽の光を浴びています。暁城と仮定するならば、日暮れの西陽を浴びていますが、暁城はその名のとおり、昇る太陽の光が東の碧永湖に反射して紅く輝く城。西からの陽ではこの絵のように城全体が紅くはなりません」


虚を突かれたように麗岐はいまだ掛けられたままの絵を見た。

漣花の言うとおり、城の左側に太陽がしずんでいっている。


「また」


さらに漣花は続ける。


「城の南側から見た絵ではなく、北側から見た絵であるならと仮定もいたしました。北側から見た暁城ならば、この絵では東側から太陽が昇っていることになり、暁城は絵のとおりに紅く染まると思います」


やはり絵の中の城はどちらにしろ暁城ではないか、と麗岐も、他の二人も、広場の人々もそう思った。


「しかし、北側から見た暁城であれば、その背後、南側にあのように雪を頂く山はございません。ですからあの城は暁城ではないと結論づけました」


広間の誰もが目を見開いた。あの絵の城が暁城でなければどこから山の名前を導き出すのだ。


「そこであの山の名前ですが。私は、玉霜山(ぎょくそうざん)であると思います。なぜなら、簾の存在です」


玉霜山、簾。

この二つの言葉にはっとしたのは麗岐とあと幾人かだけであった。

丞相も、ちっと小さく舌打ちをした。


「第五代標帝(ひょうてい)の時代の詩人黄司永(おうしえい)の詩にございます。『霊峰玉霜山、其の頂に常季雪を冠し、岳下に雲海を臨む。山麓の赤盤関、その紅きこと紅玉が如く、玉霜山と共に御簾を掲げて見るが至高也』」


朗々と古詩をそらんじた漣花の声に、広間はしんと静まり返り、麗岐はわなわなと小刻みに唇を震わせた。

春玉と明凛はそんな古詩さえ知らないのか、ぽかんとした表情をしている。


「この絵は、黄氏の詩を描いたものであると思います。以上のことからあの山は玉霜山とお答えいたしました」


漣花は一気に語り終えると、太老師を見つめた。

太老師は静かにひとつうなずき、漣花の書いた答えを一同に見せた。確かにそこには漣花の名と、玉霜山と書いてある。


「よろしい。漣花どのの答え、玉霜山こそ唯一の正解であり、その理由もまた完璧である。ゆえに漣花どのに第一問の満点を付す」


漣花はふうと小さく息を吐き、肩の緊張を解いた。

まずは一問、解くことができたことがうれしかった。


「ありがとうございます」


漣花は一礼し、卓に座した。

広間の面々は唖然とし、桃胡たち水南州の者は小躍りしたい気持ちを必死に堪えた。



麗岐は卓の下で、両手を握りしめた。

この私があんな田舎者に負けるなど許されない許されない許されない…!

そう思いながら、漣花の卓越した洞察力に舌を巻く自分もいた。

黄氏の詩。

麗岐ももちろん教養としては知っていた。

なのに、あの絵を見て自分の頭の中をかすめもしなかった。

結果として、自分は不正解を堂々と披露し、恥をかいた。


初めての屈辱に麗岐は漣花への対抗心を募らせた。

第一問は譲ってあげる。でも次は必ず勝ってみせる。

麗岐はつとめて平静にその唇に微笑を浮かべた。




やはり、あの娘は排除しておくべきだったと、丞相は心の中で歯噛みした。

たかが田舎娘と思っていたが、もっと徹底的につぶしておくべきだったのだ。

もしかしたら、あの娘がこの先、自分の最も邪魔な存在になるのではないか。

心中にふたたび直感的に警鐘が鳴るのを景豪は止めることができなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 是非完結するまで見たい作品だと、続きを楽しみにして居るのですが もう更新されないのでしょうか…もし更新されるならその日を心待ちにしております。
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