伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(64)
オースティンがアーサーから奪うようにマデリンを踊りに連れ出した。
アーサーと踊っていた時は教本のようだったダンスが、オースティンとの距離が近いためか親密な雰囲気になる。
私のためにとオースティン様は仰った。
もしかしたら、マデリンの想い人はオースティン様?
ぱっと心に希望が灯ったが、ナターリアは自らそれを否定した。
オースティン様なら、貴族の息子とは言っても平民。身違いではない。
きっと彼はジャンブル・セールでマデリンを気に入っていたのだ。
オースティンとのダンスが終わると、マデリンに数人の紳士が近づいた。
「いえ、私は。もう」
とマデリンがダンスを断ろうとしている。けれど、うちの一人は、園遊会の主催者であるビヨンヌ伯爵だった。
あの方もメアリーアンとマデリンを気にしていらっしゃいましたもの。
ナターリアは主家の一員として、彼女たちの身持ちを心配していた。
マデリンことはもう心配しなくても良いのですわね。彼女には想う方がすでにいるのだから。
マデリンが諦めた様子で、ビヨンヌ伯爵と踊りだす。
警戒心からか、マデリンは曲の途中まで身体を固くしていた。
ビヨンヌ伯爵の唇が動くのが見える。おおよそナターリアにも言っていた戯れのような科白を投げかけているのだ。
マデリンの唇はあまり動かないが、一度はっきりNOと動いた。
いつの間にか母と父がナターリアの傍に来ていた。
両親と共にヘンリック王とマルグリッテ王妃、カルプ大公夫妻もいる。
ナターリアは急いで椅子から立ち上がった。
数歩、前に出ると、ぐらりと身体が揺れる。隣にいるコンラートが支えてくれようとするが、それより早く支えがあった。
「無理をしなくて良い」
ゲオルク殿下。
「お手を煩わせて申し訳ございません」
ナターリアが身を離そうとすると、心配そうに顔を覗き込むゲオルクと視線が合った。
「我が息子は騎士の鏡だな」
「騎士ではなく、隼の神ですわ」
ナターリアは王と王妃の軽口が彼女を気遣ってのことと感じて、会釈を返した。
目の端にアーサーの姿がよぎる。彼も心配げであるが、ナターリアの傍にくるのには、王と王妃を押しのける形になるため、遠慮しているようだった。
「今、レイモンと踊っているのはそなたのガヴァネスと聞いた」
ヘンリック王の問いかけで、何故、揃って彼らが来たのか、ナターリアは理解した。
「さようでございます」
「一介のガヴァネスとはとても見えないと王妃と話していた」
「彼女はオールドミンスター教区の主教だったランドル・テニソン師の忘れ形見なのです」
父であるゴールディア伯爵が王にマデリンの出自を答えた。
オールドミンスターはゴールディア伯爵家のカントリーハウスの近くにある格式高い教会だった。
マデリンは母を十二歳の時に亡くし、十八歳で父のテニスン師を失った。
ナターリアはケイトリンが王宮へ上がる直前にテニソン師に会ったことがある。
幼い時の記憶なので、柔和な笑顔しか思い出せないけれど。
テニスン師が残した財産は多くはなく、マデリンはロンディウムに別の屋敷で一年半ほどガヴァネスをしていた。ケイトリンがコンラートの乳母を辞することになった際に、前職のアボット家から紹介を受けて雇われた。
「オールドミンスターは歴史が古く由緒ある教会ですな。その教会がある教区の主教だった方の令嬢なら、あの気品も頷けます」
ウォレス大公が感心した声をだした。
「娘にとって師でもあり、姉のような存在でもありますの」
ケイトリンがナターリアに同意を求めるように見つめた。
「ええ。母の言う通りでございます」
ナターリアは神妙に母の言葉を肯定した。
「貴方も、一曲踊ってきたらどうかしら?」
面白い事を思いついたという風にマルグリッテ王妃が言い出した。
「彼女とですか?」
ゲオルクはナターリアを見下ろした。
「いやだわ。レディは気分が優れないのでしょう?レディのガヴァネスと踊っていらっしゃいな」
「ですが」
言い淀むゲオルクに「踊ってまいれ。これも経験の一つだ」とヘンリック王が押す。
「承知いたしました」
ゲオルクがナターリアから離れ、マデリンをダンスを申し込むために中央へ進む。
ガヴァネスが王太子殿下と仮面舞踏会で踊るなんて。
「まるで、ロマンス小説のようですわね」
母のケイトリンがナターリアの気持ちを代弁するかのように呟いた。