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伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(62)

「やはり、お分かりになっていたのですね」

「ええ、でも、気が付かないほうが良かったと思っている。こんな風に心が乱れるなら」

「ゴールディア家への裏切りになりますものね」

 マデリン声は暗く沈んでいる。

「アーサー様がナターリア様を大切に思っていらっしゃるのは知っております」

 マデリンに返したアーサーの言葉はナターリアにとって信じたくないものだった。

「大切、とは、少し違う気がする」

「アーサー様?」

「彼女は、そして私も真実の愛を求めている。だから苦しい。貴女と同じように」

 二人の声が小さくなる。睦言をささやきあうように。

 内容が聞き取れない。

 しばらくしてから、自分に言い聞かせるようなマデリンの言葉が微かに聞こえた。

「ナターリア様の、ゴールディア家の信頼を裏切りることはありません。でも、時間をください、いましばらくは」

「愛は人を愚かにするな。お互いに。けれど、私は愛を告げることはできない」

 アーサーの声が静寂に細くなびいて消えていった。


 二人が寄り添うようにしているのが、薄闇の中で透かし見えた。

 扉の開く音がして、人の気配が消える。

 息を殺していたナターリアはかすかに手が震えていたことに気が付いた。

 涙はない。

 泣き出してしまいたいのに、全てが渇いてしまったように感じる。


 アーサー様もマデリンを想っている。

 愛は告げられないが、二人は相思相愛なのだ。

 真実の愛はこんなにも身近にあった。ナターリアの知らない、知りたくないところに。


 階級の差が二人の壁で、そしてわたくしも二人の障害なのですね。


「わたくしはアーサー様に真実の愛をプレゼントするとお約束した」

 言い聞かせる。自分の泣き叫ぶ心に。言い聞かせる。アーサーを想っていると自覚した自分に。


 ちがう。これは恋ではない。自分のものだと思っていたものが、違っていたのが悲しいだけ。

 明日に、いえ、少し時間が経てば、悲しさも薄れるはず。


 戻らなければ、急いで。音楽堂に戻らなければ。

 ナターリアは足早にその場を離れた。まっすぐに音楽堂を目指す。


 光の中に戻ると、コンラートがナターリアを待っていた。

 輝く黄金の髪と優しい琥珀の瞳。

 まだあどけなさが残る顔のライン。

「ナターリア?どうしたの?手が震えている」

 コンラートがナターリアの手を握っていた。暖かな彼の体温がナターリアの凍えた心を少しだけ溶かす。

「少し、疲れてしまったのかも」

 園遊会だと言うことを一瞬忘れて、ナターリアはコンラートと二人きりのように気安い口調で応じた。

「ずっと立ちっぱなしだものね。僕の椅子に座る?」

 王族には専用の椅子が用意されていた。さすがにそれは出来ない。

「大丈夫ですわ」

「でも、顔色も良くない。じゃあ、あそこに一緒に座ろう」

 コンラートは子供たちにために用意されていた椅子にナターリアを導いた。

 子供用なので少し小さいが、コンラートがわざわざ椅子を二つ付けてくれた。

「ありがとうございます」

 大人しくナターリアは椅子に座った。身体が重い。コンラートの気づかいを心の底から感謝する。

 コンラートはナターリアの隣に座って、また、彼女の手を取った。


 そんなにわたくしは、具合が悪く見えるのかしら。

「もうすぐでナターリアの手に追いつくね」

 コンラートの明るい声がナターリアに安らぎを与えた。

 小さな子供頃、一緒に西の離宮で学び、遊び、眠った。コンラートの優しさは変わらない。

「そうね」

 ナターリアは軽く手を握り返した。

「ナターリア」

 コンラートが少し背を伸ばしてナターリアに小声で言う。

「何かあったら、僕に言うんだよ?貴方は僕の大切な人なのだから。僕が守ってあげるからね」

 子供らしい高く澄んだ声。コンラートの言葉がナターリアに染み入った。


 コンラートの優しさに、気持ちが少し落ち着いたナターリアは、ダンスを続ける人々を眺めた。

 しかし、なかなか視線は定まらない。

 全ての人がぼんやりとした影に見える。

 なのに。

 黒い髪と仮面の下の緑の瞳だけがナターリアの瞳にくっきりと映った。


 アーサーがマデリンを伴ってこちらに来る。

 逃げたい。でも、そんなことは出来ない。

「我が女神」

 甘いアーサーの声がそらぞらしく聞こえる。

 これは演技なのだ。イスカンダル大王が最愛の妻を呼んでいるという演技。

「貴女の従神を連れてきました」

 二人の顔を見たくなくて、ナターリアはコンラートに視線を向けた。

「公、彼女は少し具合が悪いようです」

 コンラートがナターリアの代わりに答えてくれた。

「大丈夫でございますか」

 マデリンが珍しく慌てたような声を出す。

「ここは人が多い。館に休息室があるから連れて行こう」

 アーサーがナターリアに手を差し出した。

「平気ですわ」

 思ったより強い声がナターリアの喉から出た。彼女は一瞬目を閉じて開き、ことさら陽気な声をだした。

「ただの食べ過ぎです。お料理が美味しくて。マデリンを探している間も、つまみ食いをしていましたの」

 照れたように笑ってみせて、少し俯く。

「それより、大王様は私のガヴァネスをどちらで見つけられたのかしら」

 アーサーとマデリンがお互いの顔を合わせた。それさえ、ナターリアには苦痛だ。

「ビヨンヌ伯爵の図書室で」

 意外な答えを聞いて、ナターリアは顔を上げた。仮面の向こうの木の葉色の瞳は嘘をついているようには見えない。

 では、あの扉は図書室からオランジェリーへ抜ける扉だったのだ。


「賓客方が見学された後、他の招待客が自由に見学できるように解放されておりましたから。舞踏会の間なら一番空いていると思いました」

 マデリンならあり得る行動。けれど、アーサーと示し合わせて、と考えてしまう。

「私は、君とクロヴィスなら、同じように図書室に行っているかもと思ってね。貴女に関しては勘が外れてしまったけれど、私達と入れ違いに、クロヴィスとは会ったよ。彼の友人もね。けれど、貴女が本より料理とは思わなかった」

 目を細めて笑うアーサーは、いつもの彼で。


 私は嫌われているわけではない。恋われているのではないにしろ。彼にとっては私はブランコを喜ぶ、あの頃のままなのかもしれない。


 そう。わたくしもあの頃の気持ちに戻れば良いのです。

 未来を恐れず、婚約破棄の向こう側にある真実の愛を信じるわたくしに。アーサーに憧れと慕わしさだけを抱いていたわたくしに。


「そうですわ。せっかくの機会です。二人で一曲踊ってきたら良いのではありませんこと?」

 ナターリアの唐突な提案にアーサーとマデリンは面食らったような顔をした。

 それはそうだろう。公爵とガヴァネスが舞踏会で踊るなど、それこそロマンス小説の中でしかありえない。


「仮面舞踏会ですもの。それくらいのお遊びは許されるのではなくて?」

「マイ・レディ?」

「踊っていらして。わたくしはコンラートとここで二人を見守っていますわ。踊っていらして。ロマンス小説のように」

 ナターリアが微笑みながら強請れば、二人は仕方がないとばかりに彼女の願いを叶えようと腕を組んだ。


 踊りの輪に加わっていく二人はお似合いで、わずかにナターリアの胸を突く。

 周りの人たちが、マデリンの美しさと優雅さに注目をしている。

「ナターリア?」

 コンラートが不思議そうにナターリアの名を呼んだ。

「コンラート殿下、わたくしのガヴァネスはどんな貴婦人にも負けないほど淑女らしく優雅でございましょう?」

 瞳が潤むのを抑えて、彼女は誇らしげに言う。

「彼女は、わたくしの、ゴールディア家の大切な人ですの」


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