伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(61)
ビヨンヌ伯爵とマダム・テレーゼとナターリア達が語らっている。
まずグレイシーとウァルターが動き、フロランスとオリヴァー、ミフィーユとフレミア侯爵。ユージェニーは、一人で行こうとするとゲオルクがそばにいた。
本日、何度目かの接近。馴れてきたのか、初めの頃のどぎまぎは薄くなっていた。
あがったら、相手を骨格標本と思えばいいのだよ。と言う二番目の兄の言葉が頭に響く。
「これは壮観ですね」
三人のバテストが並ぶとビヨンヌ伯爵がつくづくと眺めてきた。
「この衣装を考えたのはどなたかな?」
「それは私もお聞きしたいわ」
ビヨンヌ伯爵とマダム・テレーゼが相次いで質問した。
「姉のガヴァネスです」
急いで歩み寄ってきたクロヴィスとコンラートがナターリアを庇うような立ち位置で確保した。
「彼女は、父母の衣装やレディ・エマのドレスも考案してくれました。我が家にとって宝とも言うべきひとです」
クロヴィスの掛け値なしの称賛がビヨンヌ伯爵の心に響いたのか、ビヨンヌ伯爵に見たことのない穏やかな微笑が浮かんだ。
「ああ、レディ・ナターリアに付き添っているあの人ですか」
「ビヨンヌ伯はミス・マデリンを知っているの?」
コンラートが不思議そうに伯爵を見上げた。
「レディ・ナターリアと一緒にたびたび西の離宮に上がっているご婦人でしょう?何度かお見掛けしています」
宮廷のことなら知らぬことはないというご仁なので、さもありなんとユージェニーは思う。
「先日お目にかっかたシャペロンもそうでしたが、ゴールディア家の家人はみな美しい。さらには、皆様の衣装を考案するような才能もある。羨ましいかぎりですな」
「ビヨンヌ伯爵の家人には及びませんわ。このような大規模な園遊会を滞りなくお開きになられるのですもの」
ナターリアが園遊会のもてなしに満足していることを告げる。
「ええ、なにせ、ゴールディアの主が、自らわが従僕となってくださいましたから」
ビヨンヌ伯爵はゴールディア伯爵の衣装について、少しばかりの皮肉を加えた。
「木の葉は森に隠せということですね。ゴールディア伯爵の発想は余人には計り難い」
バイアール公爵が何食わぬ顔でお返しになった。
「奇跡のゴールディアの面目躍如ですわね?そうお思いになりませんこと、ゲオルク殿下?」
マダム・テレーゼがゲオルク殿下に水を向けた。
「マダムの言う通りです。人の園遊会のために、場を盛り上げる役を担うなどそうない事ですから。ビヨンヌは存外、人に慕われているのかもしれないね」
人に恐れられているの間違いではないかと、ユージェニーは思ったけれど、ゴールディア家の方々、特にご両親は人を遠ざけるより、手を差し伸べる方なのだと感じる。
ナターリア様も、踊っていらしている時、ビヨンヌ伯爵と結構楽し気に会話をしているようでしたし。
クロヴィス様も、ビヨンヌ伯爵に対して物怖じしない。
心なしか、ビヨンヌ伯爵もリラックスしているようにユージェニーは感じる。
ゴールディア家の方々は不思議だ。
「次の音楽が始まりましたな。マダム・テレーゼ、ご一曲」
「よくってよ、レイモン」
音楽に乗るようにレイモン伯爵とマダムテレーゼが中央へ滑り出していく。
◇◇◇◇
最後の日差しが完全に西に落ち、かがり火が庭に焚かれている。
庭のテーブルの上には、オイルランプ。夏の夜風に炎が揺れていた。
「少し、夜風に当たってきますわ」
ナターリアは、エスコートしようとするアーサーに首を振って「クロヴィス」と弟の名前を呼んだ。
クロヴィスはすぐに反応して、二人で庭の奥へ向かう。
ナターリアはビヨンヌ伯爵達と話をしているときに、マデリンの姿を目の端に捉えていた。
彼女の隣にメアリーアンの姿はなかった。
一人でどうしたのかと気になったのだ。
「マデリンを見つけたいの」
一人で園遊会を楽しんでいるのかもしれないマデリンを探すのは野暮かもしれないが、不埒な輩がいないとも限らない。例えば、ビヨン伯爵のような。
彼は思ったより、話しやすく、親しみやすかった。皆と一緒にお話しするなら、嫌ではないなと感じた。
でも、レディ・エマの寸評がナターリアの心に刻まれている。
“宮宰様は女性を楽しませるのがとてもお上手。そして、楽しませる自分が楽しい”
わたくしは、主としてミス・マデリンを守る義務がございますもの。
マデリンと一言二言、言葉を交わして、無事を確かめるだけ。この園遊会の感想も彼女に聞いてみたい。
かがり火を頼りにテーブルを回れば、一番の隅のほうにメアリーアンとロバートの姿があった。
「マデリンは?」
ナターリアが尋ねると「お嬢様の踊っている姿を近くで見たいと、音楽堂の方へ」とロバートが答えた。
「行き違いになったようですね」
クロヴィスが残念そうに首を傾げた。
「待ちますか?」
「そうね。いえ、音楽堂に戻るわ」
「このような豪華な宴席に片隅でも参加できるなんて故郷では夢にも思いませんでしたわ」
メアリーアンがうっとりと言った。
ナターリアは音楽堂を振り返った。音楽が絶え間なく流れ、焔に浮かぶ白い音楽堂にきらびやかな衣装をまとった人々が群れている。
美しく、幻想的で、豪奢な風景だった。
それを楽しんでいたナターリアなのに、彼女はジャンブル・セールで大事そうに一ペニーを差し出した節くれだった手の事を思い出した。
「姉上?」
怪訝そうにクロヴィスがナターリアの顔を覗き込んでくる。
「何でもないわ。……またあとでね。ロバート、メアリーアン」
音楽堂へ戻ると友人達は、中央でダンスを踊っているがその中にアーサーの姿はなかった。
ナターリアは不安になって辺りを見回した。
ソールズ伯爵夫人のレディ・シオドラと目があった。
彼女がすっとナターリアに歩み寄ってきた。
「バイアール公爵をお探しかしら?」
何で解かったのだろうと思いながら、ナターリアはあいまいな笑顔を作る。
「まるで、オードリーが迷子になった時のようなお顔をなさっているわ」
「オードリー嬢が迷子に?」
「ええ、カントリーハウスの中だけだけれど。わたくしと初めて会った時に逃げ出してしまったのよ」
くすりとシオドラは笑った。それが決して嫌な笑いではなかったことにナターリアは安心する。
「バイアール公爵は庭の方へ降りていらしたわ。群がるレディ方を置いてね」
アーサーを取り巻くレディ方の光景が目に浮かぶようだ。
でも、そこから離れてくださったのね。
ナターリアは再び庭へと降りようとした。クロヴィスも共に着いて来ようとしたが、ナターリアはそれを断った。
「イングラム子爵、婚約者との時間をお邪魔するものではありませんわ」
シオドラが揶揄うように言う。ナターリアは少し頬を熱くしたが、聞き流した風に「では、また後程」と会釈をした。
煌々と照らされる音楽堂から出ると、かがり火の届かない薄闇がいくつもある。
ナターリアは慎重に暗いところ避けて、庭を歩いた。
時々はテーブル周りで寛ぐ招待客と挨拶をして、飲み物を一口二口、飲んだりもした。
マダム・テレーゼから聞いた心得に従って、アルコールはできるだけ避けた。
かなり酔っている人の傍にも近づかない。
そうしていると、いつの間にかオランジェリーの近くに来ていた。
オランジェリーにも光が掲げられ、中に自由に入れるようになっている。
アーサーは見つからないが、ふと好奇心がもたげて、オランジェリーの戸口から中を覗いてみた。
数人の男女がお互いに持たれるように中を見学していた。
一人で入るには憚れます。
彼女は中の見学を止めてオランジェリーの外側を一回りすることにした。
オランジェリーから洩れる光の陰から浮きあげる風景を堪能して回りを歩くと、館の脇から入る重い木の扉があった。
その扉にも優美な彫刻が施してあった。目立たない場所にも気を配るビヨンヌ伯爵の美意識にナターリアは感心する。
扉の向こうから何か音がする。
ナターリアは慌てて、扉から離れ、木立に隠れた。
扉の開き、また閉まる音がする。
誰かが出てきた。
ナターリアはそっとその場から離れようとしたが、彼らの前の通らなければ音楽堂には戻れない。
一人でこんなところにいるのを見られたらと思うと、ナターリアは動けなくなってしまう。
好奇心、猫を殺すとはこのことですのね。
それでも、暢気に彼らが去るのを待つことにした。
気配は二つ。小さな声で語り合っているのでそれが誰かも内容も解からなかった。
ふいに女性の声が少し大きくなった。
「身分が違うことは、お隠しになっていても察しておりました」
聞き覚えのある声にナターリアは耳をそばだてた。それは紛れもなく彼女のガヴァネス、マデリンの声。
「けれども、止めらない。止めることができなかったのです」
わたくしが、心配をしていたことがマデリンの身の上に起こっていますの?
マデリンは身分違いの恋をしている?
「心が自分の自由にならなことがあるのを私は知ってしまいました」
マデリンの声が静寂の中に低く響く。
相手は、相手は誰なの?
王族や高位の貴族でなければ、ジェントリ階級出身であるマデリンなら、結ばれる可能性はゼロではない。
ゴールディア家は喜んで彼女の後見をするだろう。
「あなたの心は、あのスケッチを見た時から、察していた」
静かな静かな男の声は、彼女の婚約者、アーサー・バイアール公爵のものだった。