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伯爵令嬢の人格形成はロマンス小説と共に(8)

「ナターリアは実にいいですね」

 笑顔のままでアーサーがゴールディア伯爵に告げる。


 自分の書斎でゴールディア伯爵はアーサーの笑顔を苦々しい気持ちで見つめていた。

「あまり、娘の心を弄ぶようなまねはして欲しくないですな」


 贈り物をするとか、親の目の前で口づけ(子供に親愛の情を示すくらいのものだが)するとか、幼く純粋なナターリアが勘違いで、アーサーを想うようになったら。


「ナターリアには真摯に対しますよ。彼女は大切な親戚の令嬢だ。個人的にも可愛いらしくて、好意を持っていますから。運命の恋人が現れなかったら、そのまま花嫁にしてもいいくらいにはね」


「お前にはやらん」

 ゴールディア伯爵は反射的に言った。伯爵の口調はアーサーが公爵家を継ぐ前のものに変わった。


 爵位が上となったアーサーに対して、自覚を持たせる意味もあって丁寧な言葉を使っていたが、身持ちが悪いくせに、大事な娘をさらおうとする男にはこれで十分だ。


 本当はどこの男にもやりたくはない。

 ケイトリンと婚約した時に、義父が苦い顔をしていた気持ちが解るとゴールディア伯爵は思った。


「自分の現状を客観的に見れば気持ちはわかりますが、フレミア侯爵にやるよりは百倍はましでしょう?」

「知っているのか?」


 フレミア侯爵は古い家柄で、かなりの財産家でもある。

 しかし、現侯爵はかなり不穏な噂がある男だった。

 まだ三十前だというのに、すでに三人の妻を貰っていた。最初の妻とは死別。あとの二人とは離婚している。子供はいない。最初の妻が死産と共に亡くなっていた。


 生きている二人は、アッパーミドル階級の娘で、愛が身分を越えたと騒がれたものだった。

 しかし、いずれの妻も十五、六で妻になり、二十になる前にいなくなっている。

 離婚した妻は、二人ともその後、他国に嫁いでいた。


 その男が、先日ナターリアに結婚を申し込んできた。

 ゴールディア伯爵は、娘は「破棄」が目的の婚約ですからと丁重にお断りしたが、破棄してもいいからと再度の申し込みがあった。


「フレミア侯爵の従妹は私の知り合いなのです」

 アーサーはなんでもないことのように言ったが、フレミア侯爵家の従妹、マダム・テレーゼは数々の浮名を流している女性だった。


 非難がましい目をしていたのだろう、アーサーはゴールディア伯爵に軽く手を振った。


「私じゃありませんよ。友人が彼女に熱をあげているのです」

「その友人よりも、お前にマダム・テレーゼは秋波を送っているのではないのか?」

 先日、マダム・テレーゼの開くサロンで、あわや刃を交わす騒ぎがあったという話だ。

 アーサーは、はぐらかすように目を細めて笑う。


「マダム・テレーゼは魅力的なご婦人ですが、フレミア家はビヨンヌ家の縁戚ですからね。深入りはできませんよ」

「だから、ナターリアに婚約を申し込んだんだな」

 ゴールディア伯爵はアーサーの思惑が解った気がした。


 ゴールディア伯爵家とフレミア公爵家がつながるのを阻止し、自分もテレーゼからの攻勢を退けるための手段としてナターリアとの婚約を望んだのだと。


「可愛いナターリアのけなげな望みを叶えてあげたいというのもありますよ」

「いいだろう。いずれは破棄をする婚約だ。許そう」

「ありがとうございます。これでナターリアと私は正式な婚約者ですね」

 アーサーは軽くお辞儀をした。


「で、未来の義父上。お願いがあるのですが」

「なんだ?」

「持参金の前渡しをお願いしたい。今、どうも手元不如意なもので」

「放蕩のつけは払わんぞ」


「私の放蕩程度の金なら困っておりませんよ。そうではなく、カルプ島に投資したいのです」

「カルプ島に。そんなに悪いのか」

「最悪ではありませんが、かなり悪いですね。もともとあの島は独立志向が強い。島民は自分たちが貧しいのは王国に搾取されているからだと思いがちです」


 カルプ島は王国の南にある島だ。アンゲリア王国に組み込まれたのは約三百年前で、その後、何度か反乱を起こしている。

 また、海を隔てた隣国のパリシアと領有権を争っている島でもある。

 たびたびの戦で荒れた土地は貧しく、貧しさはアンゲリア王家のせいとまた反乱を起こして、土地を荒らす。というような悪循環が起きている。


 そのような土地を大公という地位をつけて封じられたのが、前バイアール公爵ウォレスだった。

 しかも、大公は一代限りという条件付きで。


「領地に行かず、本土の領地で静養とすることもできたのですが、父の気性では」

 困ったというようにアーサーはため息を漏らした。


 老獪と言われるウォレスだったが、その実、仕事においては妥協を許さない、頑固な性格だ。

 大公となったとたん、病がまだ癒え切れない身でカルプ島へ移り住んだ。


「長年使われなかった王家の館もまだ荒れていて、部屋の半分は閉ざしているそうです。面白がりな母は楽しんでいるようですが。しかし、治安のために七十人から百人、一個中隊の兵力はおいておきたいところです」

「今は何人なんだ?」

「三十人ほどですね。千人近くいた王国の辺境連隊が解散していなくなりましたから。おかげで辺境連隊を相手にしていた地元の商人などが立ちいかなくなっているありさまです」


 辺境連隊が解散すれば、国庫からの支出は無くなる。臣下に島を下賜すれば、その土地の守備は領主の責任だ。

「ご存知の通り、父は恩を売っても借りは受けないのが信条です。息子の私に借りを作るなんて死んでもごめんでしょう。自分の俸給から蓄財したもの以外、すべて私に譲りましたしね。普通に援助を申し出たら突っぱねられるのは必至です」


「それで」


 ゴールディア伯爵は話の続きを即した。伯爵の深い紺色の瞳にナターリアとよく似た、いや、ナターリア達が引き継いだ金の光彩が散る。

 アーサーはその瞳をそらさず見つめてくる。


「けれど、一人息子がまだ八歳の幼い婚約者をつれて父母に会いに行き、カルプ島でひと夏を過ごすとしたら?幼い婚約者が心配だと多くの兵を連れて行って、その兵が島を気に入って残るとしたら?残った兵が農地を開墾する傍ら、自警団を組んでくれたら?」


 むやみに兵を動かせば、それは王家に疑惑をもたれる。しかし、護衛なら角は立たない。


「移住してくれる兵のあてはあるのか」

「辺境連隊が解散して職にあぶれた人間もかなりいまして。鬱屈した男が憂さを晴らしに行くところは、酒場か賭場か女のところと相場は決まっています。私や友人も好んで行く場所ばかりですね」


 兵力は確保しているということか。

 ゴールディア伯爵はアーサーがただ放蕩しているわけではないと知って安堵するが。


「コンラート殿下も担ぎ出せればいいのですが、そこまでは無理でしょうね」

「だが、お前はそれでいいのか?大公は一代限りなのだぞ」

 公爵家の資産をあてにして、何年か、何十年かは軍費を担わせる。さらに領地経営に定評のあるバイアール家だ。

 上手くすればカルプ島も少しは豊かになるかもしれない。


「王国の誰かが困っているのは嫌なのですよ。私は性格が良いので、気楽に放蕩ができなくなる。すべての人間を幸せにできるとは思いませんが、民を司る王家の血も引くものとしては、民の食い扶持くらいは確保してあげないとね?」

 こともなげにアーサーは言った。その信条はゴールディア伯爵のものと重なる。


「分かった。持参金としてではなく、娘の身の安全を守るための経費として渡そう」

「いや、それは」

 持参金ならば婚約破棄をしたときに返さなければならないが、父が娘を思っての金を出すならば返す必要はない。


「父上の悪癖を習いたくはないのだろう?人の情けは、売るものでも借りるものでもないぞ」

 ゴールディア伯爵は黄金の心を持つ。貸し借りではなく人の情であると彼は若い公爵を諭す。


 それにしても、アーサーの話を聞くと、改めて王家の、いやビヨンヌ家の思惑が透けて見える。

「父の次には、他の誰かの功労ある貴族に、一代大公を与えるかもしれませんね」

 貧しいままなら他の有力貴族に、豊かになれば……。


 未来を想像したゴールディア伯爵の思考を遮るようにアーサーは軽い口調で言った。


「義父上が心配する、婀娜なご婦人の誘惑からも遠ざかりますしね?婚約者とひと夏過ごせば相手もあきらめるだろうし」

 いたずらを企むようなアーサーの顔は艶めいて美しかった。


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