伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(57)
布一枚とはいえ、全身を覆う長い衣装を脱ぐのは手間どる。
それを見てとってアーサーがナターリアのメジャトの白い仮衣に手をかけた。
彼は白い布をそっと手繰り、ナターリアから布を取り去った。
目の前のアーサーが息を飲んだようにナターリアは思えた。
「我は見出したり」
微かに囁く彼の声。ナターリアはつかのま彼に魅入られた。
緑の瞳に自分の姿は美しく見えるかしら。
マデリンの考案したドレスは大胆だ。
片方の右腕は手首まで袖があり、手首までのレースの手袋、左肩はむき出しで代わりに肘上までのレースの手袋がはめられていた。
ドレスの色は青みを帯びた黒。手袋も同色だ。
結い上げた髪はぴったりとは纏まっておらず、顔の周りを囲むように髪が降ろされている。
仮面も黒のレースで主に作られており、目の周りを小さな黄水晶が取り巻いていた。
首元にはエギュプト十字が下がり、そのほかの宝飾品は一切身に着けていない。
「黒い猫の女神、とても美しい。だが」
アーサーは手にした白い布に軽くキスを落としてから、静かにそばにいた彼の従者に布を手渡した。
「ドレスは白にしよう」
どういう意味ですの?
アーサーをナターリアが見上げれば、彼は揶揄うような微笑を浮かべた。
「私の花嫁の衣装は白に決めた」
ナターリアはなんと言っていいか解からない。なにせアーサーと自分の婚約は破棄をする予定だから。
でも、もし。
ナターリアにもアーサーにも婚約破棄をしてまで寄り添いたいと思う人が現れなければ?
「ゴッドネス・バテスト」
コンラートの声がナターリアの思考を遮った。
我に返って会場を見渡せば、アーサーに倣って布を取り去るのに近くの人間が手伝っている。
ユージェニーにはゲオルクが、グレイシーにはオリヴァーとウォルターが近寄ったが、オリヴァーがちょっと考えてから、もう一人のメジャトの方に行っていた。
三人のメジャトから布が取り払われて。
グレイシーはウォルターと微笑みあって、ゲオルクを目の前にしたユージェニーは何だかぎこちない。
ナターリア、グレイーシー、ユージェニーのまったく同じ衣装に人々から賛辞の言葉が洩れた。
「お手伝いをしてもよろしいでしょうか」
オリヴァーが丁寧にお伺いを立てたメジャトが白衣のだというのに、優雅に承諾したと解かる仕草をした。
白絹が取り払われる。
すると黄金の美の女神がそこに降臨した。
レディ・エマ。
黄金にきらめくドレスを纏い、花の盛りの美女が佇んでいた。
ブルネットの髪は幾つもの細かい三つ編みにされて結いあげておらず、そのまま垂らされている。頭上に星の冠、金と銀の華麗な仮面は顔の右半分しか隠していない。
大きな緑がかった青い瞳は神秘的で、柔らかさを称えていた。
星の女神ソプデト。
ナターリア達にはすぐさま上がった賛辞の声。しかし、それはなく。
人々から漏れたのは賛嘆のため息だった。
◇◇◇◇
ゲオルク殿下の手で、メジャトの扮装を解かれたユージェニーが身動きも取れず固まっているのを見て、ミフィーユは少し笑ってしまう。
しかし、自分もゲオルク殿下にそのような事をされたら、同じような反応をするだろう。
彼女の気持ちは分からないでもない。
自分だとてゲオルク殿下があんなに近くにいたら、舞い上がってしまう。
これから二人は手を繋いでブリッジを造るのだと思うと少し羨ましい。
ナターリアもグレイシーも、ユージェニーにもお相手がいる。
仲良しの四人、いや今は五人なのに、自分とフロランスは仲間外れだ。
三人はドレスも同じです。
自分が考えたスフィンクスの衣装はとても気に入っているし、似合っているとも思う。
けれど、彼女達三人が揃ったときの効果は抜群だった。
「オリヴァー様が譲って下さって良かったです」
フロランスがミフィーユに話しかけた。
「それにしても、ナターリア様達の衣装は素敵です」
暖かな眼差しを送る彼女にミフィーユは思いきって尋ねてみる。
「ご自身も着てみたいとは思いません?」
フロランスはあっさりとNOと答えた。
「あんな大胆な衣装は気後れしてしまいます」
言われてみれば、ナターリア達の衣装は肌の露出は多い。
社交界にデビュー前のミフィーユが着るには似つかわしくない。
「言われてみれば、そうですわね」
二人で会話していると、オリヴァーが最後のメジャトの仮衣を取るところだった。
ミフィーユは彼女はマデリンだと思っている。
凛としていながら優雅な物腰は、ナターリアご自慢のガヴァネスのもの。
けれど、次の瞬間にミフィーユの推測は覆された。
煌めく衣装に包まれているのは、アルトブランの姫、レディ・エマだった。
「レディ・エマ?いつの間に」
隣のフロランスの呟きはミフィーユの心と同じ。
ナターリア達三人も驚いていた。
ユアードとピエールも少し挙動不審に見える。
クロヴィスともう一人のメジャトだけが平然としていた。
◇◇◇◇
これは、クロヴィス様が仕掛けたことなのですわね。
驚きが収まると、ユージェニーは直ぐにそう理解した。
では、いま一人のメジャトも別人?
誰だろうと目を凝らしてもユージェニーには解らなかった。
それから彼女はレディ・エマを当てたゲオルク殿下の顔をまじまじと見つめてしまう。
まつげは髪の色より少し濃くて、とても長い。
「君たちも知らなかったようだね」
「はい。おっしゃる通りでございます。でも、どうしてゲオルク殿下は私達がお分かりになりましたの?」
「最初に見分けたのはバイアール公だ。そして皆にヒントを教えた。我がロクサーヌと。
イスカンダルの最愛の妻の名を呼んで。彼の隣に公式に立つのを許されるのは、彼女しかいない」
ゲオルク殿下は僅かに目を細めてナターリアを見やる。
夏の日差しが眩しかったわけではないことは、かなりうといユージェニーにも解る。
茶話会の間、ずっと感じていたこと。
王太子殿下はレディ・ナターリアに惹かれていらっしゃる。
それが恋と呼べるようなものなのか、ユージェニーには判らない。
もしかしたら、強い友情かもしれない。
「ならば、他も彼女の友人達にちがいない。そう考えて回りを見渡せば、私達を迎える人々の中にいるべき人がいないのに気がついた」
「では、残りの四人もお分かりに?」
「おそらくは」
断言はなさらない。ゲオルク殿下は慎重な方。
彼はもう一度ナターリアとバイアール公爵に視線を走らせる。
「バイアール公はナターリア嬢の横がよく似合うな」
ユージェニーに問いかけるようにゲオルクが言った。
「はい。おっしゃる通りでございます」
ユージェニーは前と同じ答えを返した。
満足げに頷く美貌の人。
ゲオルク殿下の心は読みがたい。