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伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(56)

 どうしたものか。

 王家と白いメジャトを交互に眺めてオースティンはしばし悩む。


 自分が挑戦しようか。

 女性が誰であるかは確信がもてないが、男はおおよそ判る。

 細い少年の足が伸びているのだから。

 クロヴィスと王子の茶話会に呼ばれた平民の少年だ。

 この場にいる大多数は、おかしな声を出しているメジャトがクロヴィスだと理解していた。

 が、三人の少年の名前を進んで当てようとするものはいない。


 クロヴィスを当てるのは、あまりに簡単すぎて体裁が悪く、二人の少年は平民だ。

 名前を覚えている貴族は少なく、知っていても平民の名前を間違えることは恥と感じるだろう。

 いや、平民に近付いて、名を囁くことさえ、嫌悪を感じるものもかなりいるのではなかろうか。


 クロヴィスは、貴族という病を患っている人間の心の有り様を理解していない。

 彼らは、階級の違う者を同じ人間とは見なさないのだ。

 オースティンは貴族の家に生まれたが、次男である。すなわち、爵位を継ぐ立場ではない。


 それだけで、上流社会では扱いが違う。

 オースティンも、弁護士の仕事に就き、かつ、庶民院の議席を得るまで、年頃のご令嬢を持つ家には敬遠されていた。


 そのため、かつては筆頭公爵の後継者であるアーサーに対して、強いライバル心を持っていた。

 ちがう。今でもライバル心はある。

 ただ、一方的な敵愾心だけでなくなり、アーサーに友情も感じている。

 学生の頃は、半ば嫌味で“親友”と口にしていたが、今では本当の親友だと思っていた。


 意識が変わり始めたのは、前バイアール公爵のウォレスがカルプ大公に叙爵されて、アーサーが繰上継承勅書でバイアール公爵位を継いだあたりからだ。


 繰上継承勅書とは、多くの爵位を持つ貴族が、長男である後継者に、自分の最高爵位より下の位の爵位を繰り上げして承継させ、議会に召集するための勅書だ。

 十四世紀に定められた手法だが、実際に行われることは滅多になかった。

 ウォレスがカルプ島を問題なく治めるには、バイアールの領地から手を引くことが必要であると主張したとも、王宮側がウォレスに大公を引き受けさせるために提示したとも当時に取沙汰された。


 その時、アーサーは二十歳前。公爵家を継いだアーサーは忙殺された。

 オースティンはアーサーが政治の世界に身を置く前に、大学でしばらく学問を追求したいと考えていたことを知っていた。

 突然降りかかった公爵としての職務に、涼しい顔をして対応していたアーサーだったが、彼をよく知る友人らから見れば、彼が疲労しているのはすぐに解かった。


 オースティンは他の友人二人、今は東インド会社の書記をしているワーレン・ヘースティングスとウィーンで外交官になっているエドウィン・バーグと一計を案じ、アーサーを賭けに誘った。

 ワンゲームごとに負けたものは酒を一杯飲む。三人で共謀すれば、一人を負かすことは容易い。

 彼を飲みつぶして、まるまる一日の休息を与えた。

 ただ、オースティン達もかなりの酒量で、一日動けなくなったのは誤算だった。

 翌日、他の三人もオースティンの部屋で、グダグダと過ごした。


「よく眠った」

 夕方に起きたアーサーは乱れた衣服を整えながら破顔した。

 アーサーが学生らしい馬鹿をしたのはそれが最後だ。

 そのあと直ぐにアーサーはナターリアと婚約をした。


 オースティンはメジャト姿のナターリア嬢の傍らにいるアーサーに視線をくれる。

 アーサーは十代前半からコンラート殿下とゴールディア家の二人の子供の相手をしていたが、それを厭うていた気配はない。

「子供のお守りなんてなんて退屈じゃないか」

 とある友人が言うと「そんなことはない」と否定していた。

「それはお前が子供だからだろ」

 オースティンが揶揄えば、「そうかもしれない」と苦笑していた。

 幼い子供の相手なんてとオースティンは思ったものだが、今ではそれがアーサーにとっての息抜きの時間だったのだと今では理解しており、ナターリア嬢との婚約も政治的な面もあるだろうが、何よりアーサーが欲していたのは、彼らがもたらす安らぎを貴重に思っていたに違いない。


 婚約破棄を前提にした婚約を望んでいると令嬢と聞いて、オースティンはアーサーの選択に首を傾げたものだったが。


 “ナターリア嬢は拾い物だ”


 貴族はえてして、プライドが高く、名誉に重きをなし、自我が強い。

 アーサーもオースティンもそのきらいはある。

 だから、本当の意味で他者に寄り添う心を持っているものは稀だが、ナターリア嬢はその貴重な心を持っている。


 クロヴィスもまた。

 男だからか、跡取りゆえか、ナターリア嬢よりは利と理で考えるようだが、階級をまるで気にすることのないことは、今回のメジャトの件で良く解かった。

 階級を気にしていたら、こんなことに平民の少年達を引っ張りこまない。

 クロヴィスは、突き詰めていえば、人は“平たく同じ”と考え、他の人も大抵は同じ考えだと思っているようだ。

 ゴールディア家の二人が参加しているためか、そういう人間が集まっているのか、王子達の茶話会は自由闊達だと話に聞いている。

 リベラルな校風で知られるバーリッジスクールの生徒の少年達も、階級の差をさほど感じてはいまい。


 その少年の心を傷つけたくないとオースティンは柄にもなく考えていた。


 オースティンが一歩前に踏み出そうとした時、紳士が一人、ヘンリック王の前に出た。

「ヘンリック陛下、我が孫娘が、挑戦したいと申しております。いささか若すぎるとは存じますが、よろしいでしょうか」

 それはソールズ伯爵だった。

 傍らにはまだ幼い少女が、丈の短いエギュプト風のドレスを来ていた。

 少女は顔を輝かせて、メジャト達を見ていた。

 少女はソールズ伯爵の跡取り、チャールズの亡くなった前妻の子であるオードリー。

 父であるチャールズと現在の夫人のシオドラの姿もそばに見えた。


 前の妻コーディリアの実家であるマレット家は、男爵と爵位は低いものの、北部の名家であり、多額の持参金を携えて、ソールズ家に嫁した。しかし、六年前に、初子のオードリーを生んだ際、肥立ちが悪く、一年を経たずして亡くなってしまう。

 意気消沈したチャールズは、まだ赤子の娘を自分の父母に預けてパリシアへ向かい、五年近く滞在していた。

 シオドラと四年前に南パリシアの海岸沿いの避寒地で再会して、惹かれあい、結婚のために帰国した。

 シオドラは若い頃から、篤志家であるミダルトン家の長女としてあちこちの集まりに顔を出しており、社交性が高い性格である。少し内向的であり、ロンディウムの社交界から離れていたチャールズをあちこちに引っ張りまわしている。

 何度かの夜会でオースティンも二人と顔を合わせていた。

 篤志家の娘だけあって、シオドラは病身のチャールズの母にもかなり親身であるらしい。

 オードリーとシオドラは、薄い木綿のカラシリス(よう)のローブのよく似たドレスを身にまとっている。

 継子のオードリーが新しい母親に完全に懐いているとは見て取れないが、反目する仲ではないようだ。

 それに祖父のソールズ伯爵がオードリーを可愛がっているのが判る。


「なんて可愛らしい挑戦者でしょう」

 ヘンリック王が許可を与える前に、マルグリッテ王妃が楽しそうにオードリーに笑いかけた。

「王妃の言う通りだな。小さな挑戦者が勝利を収めることを願おう」

 ソールズ伯爵がかしこまって謝意を示すと、オードリーも淑女の礼をしてから、メジャト達に近づいた。


 オースティンは、ほっと息をついた。


 少年(クロヴィス)がしかけた遊びなのだ。本来ならば、子供が応じるのがふさわしい。


 アーサーが“ロクサーネ”とナターリア嬢に声をかけて流れが変わり、王が褒美をと言い出して大げさになってしまった。


 “わが親友殿はここのところ、ナターリア嬢に関連する事柄については余裕がないな”


 世界覇者に扮しているアーサーに目をやると相手もオースティンに視線を寄越した。

 それからアーサーは、ナターリアの隣にいるコンラート王子と、ナターリア達を気にする風のゲオルク王太子に視線を投げて、オースティンにかすかに首を振って見せた。


 ソールズ伯爵家のオードリーが弾むような足取りでメジャトに近づいていく。


 数年後には、かなりの美人に育ちそうな顔立ちだとオースティンは思う。


 そのあとを追うように別の子供の声が上がった。

「僕もメジャトの名前を当てたいです」

 ヘンリー・ジェームズ・フォック・Jr

 外務大臣を務めていたこともあるヘンリー・ジェームズ・フォックの息子だった。

 父親であるフォックは少し離れたテーブルでワインを飲んでいる。

 大の賭事好きで漁色家、大酒飲みの放蕩家である彼は真面目なヘンリック王とは相性が悪い。

 彼は平民だが、王や前首相のロッテンガム侯爵にも歯に絹を着せぬ物言いをするため、二人には嫌われていた。

 しかし、政治家としては優れていた。論旨は明解で議会で演説をすれば、誰もが説得され、納得する。

 パリシアとの新大陸の領土を争う“コロニシア六年戦争”を勝利に導いたのも彼の手腕だった。

 相次ぐ戦争で人手不足となり、書類の整理など簡易な事務仕事を担う女性官僚を一時的に登用する法案を提案したのも彼だ。

 ただ、その勝利は新大陸が独立して、ほとんどが水泡に帰すことになったのは皮肉だったけれど。

 代わりといってはなんだが、女性官僚の登用は一時的と言う建前ながら、今も続いている。


 そういえば、ウォレス大公とフォックは新大陸に選挙区を儲けるべき、もしくは、自治権を与えるべきと唱えていたな


 そうすれば、その後の独立まではいかなかったかもしれない。

 アンゲリアから独立した新大陸の国は、表面的にはかつての宗主国と友好を保っていた。


 こんな場でも、政治にについて考える自分はやはり、弁護士より政治家のほうが向いている。


 王の意向を気にすることなくフォックJr.はメジャトに歩みよった。

 そこは親譲りだ。


「わたくしも」

「僕も」

 フォックJr.を皮切りに次々と子供達がメジャトに向かった。

 数は二十人ほどもいる。

 メジャト達は子供達に囲まれる。


「しばし、待たれよ」

 妙なくぐった声を出して、クロヴィスらしきメジャトが子供達を制した。


「しゃべった」

「しゃべった」

 子供達は驚きつつも嬉しそうに歓声をあげた。

 大人達は子供の勢いに押されたかのように黙っている。

「誰が挑戦するのか、決まっておらぬ」

 それにとメジャトが続けた。

「そなたらは二十、われわれは四しかおらぬ」

 クロヴィスらしきメジャトは、子供達と自分達の数がちがうのを気にしている。


「おそれながら、メジャト神」

 アーサーがナターリアと思われるメジャトの背をそっと押し出した。


「いかがでしょう?名を当てられたメジャト神に、白い仮の姿ではない、真の姿を表し頂いて、我々挑戦者とアーチを作り、小さな挑戦者を“ロンディウム橋”の要領で選ぶのは?」

「しかし、挑戦者は三人だ」

 クロヴィスらしきメジャトが言う。


「ゲオルク殿下、よろしければ、お一人のメジャト神を私にお任せ願えますか」

 アーサーは二人のメジャトの名前を当てたゲオルクに訊ねる。

「そなたのメジャトはいかがする?」

「親愛なるコンラート殿下にお任せいたします」

 アーサーはナターリア嬢と思われるメジャトの側を離れないコンラートを見下ろして申し出た。ゲオルクも弟と隣のメジャトを確認した。

「よかろう。メジャト神らもそれでよいか?」

 ゲオルクが承諾して、メジャト神達にアーサーの提案を受け入れるか確認した。

 一様にメジャト達が頷くような動作をした。


「では、四たりのメジャト神よ。真の姿をお現しください」

 アーサーが右手を胸に、左手を広げて、時代がかった礼をした。


 四人のメジャト達は、白い仮衣を脱いでいった。

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