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伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(53)

 しなやかに、彼は動いた。


「コンラート殿下、私はすでに名をあてております。このメジャト神はわがロクサーネです」


 バイアール公爵はユージェニーの隣にいるナターリアの前に屈むと白い裳裾に口づけた。


 美しい淑女のドレスなら、絵になるのだろうが、なにせナターリアはメジャト姿だ。

 少し、多少、かなり、おかしな光景だっだ。


 バイアール公爵はすぐに起立すると、ナターリアの耳元のあたりで、「ナターリア、約束をおぼえてる?」蕩ける甘い声で囁いた。

 隣のユージェニーには、はっきり聞こえたが、他の人には届かなかったと思う。


 危うく、隣にいるわたくしまで、蕩けるところでしたわ。

 罪作りな方ですわね。


 ユージェニーは、跳ねあがった心臓を落ち着かせるように息をつく。

 扇で顔をあおぎたいところだが、メジャトではそれもままならない。


 イスカンダル大王。

 彼は信じられない勢いで世界を駆けて、覇王となった。

 しかし、その礎は、大王の父であるフィリッポス二世の手腕による、


 フィリッポ二世は、小国だったマケドニアに富国強兵を敷き、都市国家が乱立していたグリークを従え、グリークの盟主となった。その矢先、祝宴の際に暗殺された。

 その跡を次いだのが、弱冠、二十歳の若者。グリークでは、アレクサンドロス、最大の敵、ペルシアからはイスカンダルと呼ばれた古代の英雄である。イスカンダルの母、オランピュアはグリークの神ディオニソスの信奉者だが、この神はエギュプトのオシリスと同一視されていた。


 彼はグリークの都市国家の反乱を鎮圧した後、オリエント世界に君臨していたペルシアとの戦いに突き進む。

 その中でもエギュプトは、ペルシアに征服されたばかりであり、イスカンダルを解放者として崇め、ファラオとした。


 ロクサーヌはイスカンダル大王の正妃であり、“大王が唯一、恋に動かされた”と言われる、最愛の女性だった。


 マケドニアは本来、一夫多妻なのですよね。

 それが、古代グリークの都市国家とは違うところで。

 イスカンダル大王は、グリークの哲学者、アリストテレスの教育を受けて、正妃は一人にしましたけど、後に、ペルシアの王女を側室にしているのですよね。


 若くして遠征からの帰途の途中で崩御したイスカンダル大王は、死の際に、身籠っていたロクサーヌに自分の指輪を、子供にはじぶんの槍を届けるように腹心に命じたと伝えられている。


 ユージェニーはイスカンダル大王の事績を頭の中で並べ立てて、頭を冷やした。


「ずるいです。アーサー」

 コンラート殿下がナターリアに寄り添うようにして立つバイアール公爵に向けて抗議する。

 憤然とするコンラート殿下に目元だけ覆う白い仮面のバイアール公爵は彼を見下ろした。


「おやおや、私の名前を大きな声でお呼びになりましたね」

 仮装をしているときは、それが誰か解っても、人に判るように呼ぶのはマナーに欠ける。

 せっかくの無礼講が台無しになるからだ。

 身分に捕らわれている上流社会だからこそ、余計に、そのマナーは重視されていた。

 コンラートも事前にその事は言い含められていたのだろう、軽く唇を噛んでいた。

「それに、ずるいのはどちらでしょう?メジャト神の事を、貴方は先に知っておられたようにお見受けしました」


 バイアール公爵が容赦ない。

 まだ子供であられるコンラート殿下にそこまで仰らなくても。

 ほら、少し俯いてしまわれましたわ。


「そう、いじめてくれるな。こやつは不粋であったが、そなたも性急で、少々思慮を欠いたとは思わぬか」

 ヘンリック陛下がバイアール公爵をいなすように問いかける。

「失礼をば、王の王たる方」

 バイアール公爵はヘンリック陛下に対して、謝罪の礼を取った。

「メジャトに変身させられた、わがロクサーネを見つけて、彼女の戸惑いを感じ、矢も盾もとまりませんでした」

「征王が唯一、愛に動いたと伝えられている乙女だな。愛し子よ、今回はそなたにも非がある。次はもう少し、上手に事を運ぶようにならなければな」

 コンラート殿下がヘンリック陛下の言葉を受けて、ちょっと瞬きをして「はい」と返事をした。


 ヘンリック陛下はメジェドをひとしきり眺めた。

「我が君は、どなたかを引き当てたいのかしら?」

 すねるようにマルグリッテ王妃が言うと、まさか。とヘンリックは否定した。

「このようなゲームは若者に譲るべきだ。もうすっかり大人だと思っていたが、そなたの息子はまだまだ若いな」

 ヘンリック陛下は後ろにいるカルプ大公を振り返った。

「さようですな。が、我とてまだまだ枯れてはおりません」

 カルプ大公はさりげなくレディ・フェリシアを引き寄せた。

「今のそなたを見て、枯れていると思うものはなかろう。昨日、電光石火の如く現れて、まんまと私の御者の席を占めるに至ったのだから」

「存分に、乗って、いただきました」

「たまには、違う御輿に乗るのも一興だ」

 ヘンリック陛下はちらりとビヨンヌ伯爵に目をくれた。

 カルプ大公が大笑する。


「マケドニアの獅子の勇み足で、中断してしまったが、メジャト神の名を当てるのは誰であろうか。見事に当てたら私からも褒美をとらせよう」


 わっと、回りから歓声が上がる。


「では、まず私が」

 進みでたのは、誰あろう。

 ユージェニーの兄、オリヴァーだった。


 オリヴァーが、ユージェニーの目の前で王へのお辞儀をした。


 丁寧と言うよりおおぎょうだ。


 オリヴァーお兄様はこれですもの……。


 やれやれとユージェニーは肩をすくめたい気分に陥った。


「臣下の末席を汚す身のわたくしですが、ここは挑戦をいたしませねばなりますまい」

 オリヴァーは自信ありげに宣言したが、当てられなかったら、身も蓋もない。


 ここは兄の名誉を守るために何かきっかけを与えるべきだろか。


 駄目ですわ。ヒントを与えたことが皆に解ってしまったら、余計に不名誉になります。


 一番乗りで当てられないのは、面目が立たないが、ゲームを盛り上げることにもなる。

 ユージェニーは、身を固くして、オリヴァーがメジャトの名を告げるまで、微動だにしない決心をした。


 メジャト達の回りにはウォルター、フロランス、ミフィーユがいて、今しがたバイアール公爵が“我がロクサーネ”と一人を呼んだのだ。

 この場にいる人には、うち、四名の素性は知れている。


 残りの四人、ユアードとピエールは王子達の茶話会で名を知られるようなったので、判る人はいるかもしれない。しかし、マデリンとメアリーアンを当てることは出来ないだろう。


 さて、我がお兄様は。


 オリヴァーはメジャト達の回りを回り始めた。

 時々、意味ありげに「ふーむ」とか「なるほど」とか呟いているが、誰だか解っているとは思えない。


 外れますように。外れますように。


 ユージェニーは、兄に対してはなはだかわいそうなことを願った。


「よし、判った」

 オリヴァーは大きく手を叩いた。

 オリヴァーが、ユージェニーの目の前で再び王へのお辞儀をした。


 先ほどのお辞儀より、さらに大袈裟になっている。


 一同の注目を集めて彼は一人のメジャトにかしずいた。

 バイアール公爵の真似だ。

「芸術の女神に愛されし、淑女にご挨拶を申し上げます」

 オリヴァーは立ち上がると、そのメジャトに耳打ちする。

「レディ・グレイシー、でよろしいのですよね?」


 優しげに言う兄の言葉は、ユージェニーにも聞こえたが、あいにくバイアール公爵の声とは違って平凡だった。

 身内だから、そう感じるのではなくてバイアール公爵の声が特別なのだ。

 心の内に忍び寄るような、滑らかな影のような声。


 だか、そんな特別な声は持たないが、オリヴァーは、グレイシーの名前を当てた。

 グレイシーが降参と言うように頷いた。


 意気揚々とオリヴァーはグレイシーの脇に立った。


「よくぞ、当てた。一番槍に対して、男爵にはのちほど我がエギュプト十字を与えよう」

 ヘンリック陛下の身を飾る金のエギュプト十字。

「ありがたき幸せ」

 オリヴァーは王の思し召しに頭を下げた。


 ヘンリック陛下はオリヴァーを一番槍と言った。これは勇み足だと断じたバイアール公爵は数に入れないと言うこと。


 王家の方々と共に現れたバイアール公爵、カルプ大公の面目はこの上なく立っている。

 それ以上の名誉は求めるなと言うヘンリック陛下の配慮牽制かもしれない。


 それにしても、兄はよくグレイシー様をお当てになりましたこと。


 グレイシーの傍らに、目を輝かせて立つオリヴァーを横目でユージェニーは見る。

 すると、やや暗い目でオリヴァーを眺めるウォルターが映った。

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