伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(51)
ミフィーユはシュゼットの笑顔に何かを感じて、グレイシーを見る。
ああ、今はメジャトなので表情は解らないのを忘れていましたわ。
「ウォルター様、ここしばらくご無沙汰しております」
シュゼットは一歩ウォルターに近付いた。
夏らしい水色のドレスは、なかなか可憐な姿だ。
コルセットをきつく締めて、もともと細いウエストを強調していた。
エギュプト的な所と言えば、猫の仮面を付けているのと、首飾りがややそれらしいところか。
庭を見渡せば、猫の扮装をしている貴婦人はちらほらいる。
中には、バステト神の像そのものといった方もいらっしゃる。
「今日の園遊会で、カンタンベリー家で後援しているバイオリストが演奏いたしますの」
「聞いていますよ。先日、カンタンベリー子爵が開かれた室内楽の演奏会で、素晴らしい演奏をしたそうですね」
「はい。演奏会にいらっしゃったビヨンヌ伯爵が、その演奏をお聴きになられて、是非にとお望みになられて」
「ビヨンヌ伯爵は音楽通でいらっしゃいますから」
ウォルターが柔らかに微笑むとシュゼットがまぶしいように目を細めた。
「カンタンベリー子爵に、お誘いいただいたのに、お断りして、少々残念に思っていましたから、今日、演奏が聴けるのは楽しみですね」
「近々、また、演奏会を開きますの。野外と室内は音の響きが違いますから、ぜひいらしてくださいませ」
「お誘い、ありがとうございます」
紳士らしくウォルターが礼を返す。
「まあ、何て素敵なのでしょう。わたくしも聴いてみたいですわ」
ミフィーユは、二人の会話に割って入った。
「ごきげんよう。ミフィーユ様、素敵な仮装ですわね」
「ありがとうございます。そちらも可愛らしいドレスですわ」
お互いに衣裳を誉めあって視線を交えた。
シュゼット様のお振る舞いは淑女らしく、楚々となさっていらしゃる。けれど、眼差しに挑戦的な光があるように見えますのは、わたくしだけかしら。
「ミフィーユ様のご興味をひいて嬉しゅうございますわ。ただ、我がカンタンベリー家の室内楽の会は、夜が遅うございます」
ミフィーユはまだ社交界にデビューしていない。
招待したくても出来ないとシュゼットは遠回しに言ってくる。
ミフィーユは自分がデビューしていないことに臍を噛んだ。
「では、その演奏者に我が家の詩の朗読会で演奏くださるようにしなければなりませんわね。そろそろ新しい趣向で会を開きたいと母も申しておりましたから。ウォルター様、もし、よろしければ、バソロミュー教会の孤児達の聖歌隊にもご協力いただけませんか?」
ミフィーユはウォルターを見上げた。
これなら、グレイシー様とウォルター様が一緒にいる機会も増えますわ。
ミフィーユは自分の発案に満足を覚える。
「それは、もちろん協力させていただきますが」
ウォルターの返事は歯切れが悪かった。
メジャトのナターリアがミフィーユに回りを見てと言うように、体を巡らす。
ミフィーユはそれでハッとする。
傍から見れば、シュゼットとミフィーユがウォルターを挟んで牽制しあっているように見える。
違いますわ。わたくしは、口を利けないグレイシー様の気持ちを思って。
「先ほどミスター・ローエが激賞なさっていた、グレイシー様の詩を音楽に合わせて朗読していただければ素敵ではありませんこと?」
ミフィーユは慌てて付け足す。
「ああ、それは良いですね」
ウォルターが明らかに肩の力を抜いた。
「ミフィーユ様、わたくしも、喜んでお手伝いします」
フロランスが朗らかに言う。
メジャト達も何となく安心した雰囲気を醸し出していた。
「シュゼット様、よろしければ、我が家の朗読会にもいらしてくださいませ」
ミフィーユはシュゼットを礼儀上誘ったが、
「ええ、都合が合いましたら……」
ジュセットの返事は歯切れが悪い。
カンタンベリー子爵家の方々は、一度もミダルトン家の小規模なチャリティ朗読会に来たことはなかった。
◇◇◇◇
ミフィーユがシュゼットに対抗するように会話繰り広げていたとき、ナターリアは、ミフィーユがウォルターに惹かれているのかと思ってしまった。
回りの人も同じように感じたらしく、二人を好奇の目で眺めていた。
グレイシーは微動だにせず、それが彼女の動揺を表していた。
シュゼットが特別にウォルターを想っているとはナターリアは感じていない。
先日の室内楽の演奏会でも彼女は独身の紳士達に声をかけられ易いように振る舞っていたから。
ナターリアは、違う、違うと、グレイシーとミフィーユに合図をした。
固まってしまったグレイシーは気がつかなかったが、ミフィーユはナターリアの合図にすぐさま反応した。
自家の詩の会に音楽を、さらにグレイシーに触れての言葉に、ナターリアは、ミフィーユの意図を理解する。
彼女はグレイシーのために行動したのだ。
どちらを応援したら良いのかと悩まなくてすみましたわ。
ナターリアは胸を撫で下ろした。
それにしても、口を利けないのがもどかしい。
いっそのこと、今すぐメジャトの扮装を解いてしまおうかと思ったくらいだ。
ナターリアは弟に近寄った。
「そろそろ良いのではないかしら」
彼にだけ聞こえるようにささやいた。
回りの淑女の誰かが
「仲良しなのですね」
と声を弾ませる。
クロヴィスはそちらに会釈をしてから
「もう少し。王家の方々が到着してから」
とクロヴィスが身を寄せて囁き返した。
まあ、と小さな、好意的な呟きが聞こえた。
メジャトは淑女の皆さまに意外に受けがいいのは良く解った。
ナターリアがため息をつくと、それに応じるように少し離れたところから声がした。
「間もなくヘンリック陛下ご一行がご到着になられます。皆様、道の脇にてお控えくださいますようお願い申し上げます」
ビヨンヌ伯爵家の伝令の先触れだ。
人々が陛下達をお出迎えしようと中央の石畳の道へと動き出した。
ナターリア達も固まって移動した。
集団で動くメジャトは、よほどシューリアルに見えるのか、人々は回りを取り囲むように歩いていても、近寄ってこない。
内緒話をするには最適ですけれど。
先をいくウォルターはグレイシーと共に並んで、回りをフロランスとミフィーユ、ユージェニーが囲んでいた。
うちの二人はメジャト姿なので、他の人にはわからないが、淑女四人に取り囲まれている格好だ。
グレイシー様とユージェニー様が扮装を解いていたら、ウォルターは紳士方に、嫉妬されそうですわ。
シュゼットは、いつのまにか、かなり前方にいた。
シュゼットは彼女の兄、ケルシー男爵と一緒だった。
きっと、前方の良い位置で王家の方々をお出迎えしたいのだ。
「アーサー義兄上はどうしたのでしょう」
クロヴィスが囁きかけた。
そういえば、アーサーを見かけていない。
わたくしを探してくれると手紙にあったのに。
どなたかに捕まっているのかしら。
それとも、可笑しなメジャトには近づきたくないのでしょうか?
「あの義兄上なら、この姿を見たら真っ先に見にいらしてくださるでしょうに」
クロヴィスの呟きにナターリアも考えを改める。
アーサーは好奇心が強く、ときどきいたずらっ子のようになる。
多くは良い意味で、少しばかりは悪い意味で。
メジャトのような姿なら絶対にそばに来て確かめるはず。
何人ものメジャトの中からナターリアを判別出来るかはさておき。
「遅れていらっしゃるのかしら」
「ヘンリック陛下より?それはあり得ないと思います」
クロヴィスは、ナターリアの不安を否定した。
「人には誰だか解らないような仮装をしていらしゃるのかもしれません。僕たちのように」
「それはありえますわ」
アーサーは皆を驚かせる仮装を企んでいる。
その考えはナターリアを納得させる。
石畳の近くに来ると、すでに招待客が大勢並んでいた。
中には、少々強引に人を掻き分ける貴族の方もいる。
ナターリア達は大人しく後方で待機した。