伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(49)
グレイシーとユージェニーの馬車がゴールディア家に着いた。
二人は、ここでゴールディア家の馬車に乗り換えて、ナターリアと一緒にビヨンヌ伯爵邸に向かう。
三人の仮装はまったく同じ。
耳つきのボンネットを逆さまにした、籠も用意した。
夏なので黒貂を見つけることは難題だったけれど、なんとか都合をつける。
欲しいのは、ほんのわずか、耳の部分だけだったが、結局、マフを作れるくらいの量を購入した。
今年の冬は暖かでちょっぴり贅沢な黒貂が手を包むことになった。
それも楽しみだ。
猫の仮面と籠はナターリアから二人の友への贈り物にした。
お返しにとグレイシーはバテスト女神の持ち物である楽器シストラムを模した扇を、ユージェニーは近頃ロンデウム博物館が記念品として売り出した銀のエギュプト十字のペンダントを贈ってくれた。
コルセットは、緩やかに絞めることが出来る四枚身頃の自家製、手作りだった。
手袋は、素肌に近い色の皮。
黒猫の仮面は半分だけで、半分はエギュプトの壁画のような化粧をする。
メアリーアンが三人に仕上げの化粧を施した。
素顔の美しさが尊ばれる風潮の中、普段は粉をはたくのと薄く紅を塗るくらいがせいぜいで、こんなに眼の回りに色をつけたのは三人とも初めてだっだ。
「なんだかおかしな感じがいたします」
「目が重く感じますわ」
「変ではありません?」
三人が慣れない化粧に不安を感じているとメアリーアンが注意をする。
「お直しする道具は持って参りますが、擦ると化粧が落ちますので、気をつけてくださいませ」
メアリーアンは、エギュプトのウジャトを模したブローチをつけているだけで、普通のドレス姿だ。
「ミス・マデリンは一緒ではありませんの?」
姿のないマデリンが気にかかったのか、グレイシーがナターリアに尋ねてきた。
「マデリンはクロヴィスの馬車で行くことになりましたの」
とナターリアは答えた。
用意した馬車は四人乗りなので、お付きは一人だけとなる。
ならば、クロヴィスがマデリンを一緒に連れて行きたいと言い出したので、メアリーアンがナターリア達と一緒に乗ることになった。
執事のロバートも同道する。
グレイシーとユージェニーのシャペロンは、二人が乗ってきた馬車で、ナターリア達を追いかける形で付いてくる。
「クロヴィス様の仮装はどのように?」
ユージェニーの問いにナターリアは、「それは会場でお確かめになって」と答える。
「姿見でご確認されますか?」
メアリーアンの言葉に三人は鏡の前に移動する。
同じ大きさの鏡を張り合わせて作った姿見に写るナターリア達。
仮面とエギュプト風の化粧のためか、三人とも似て見える。
背丈も同じくらいなので余計にだ。
「フロランス様とミフィーユ様はどんなドレスかしら」
仕上がりに満足するとナターリアは他の人の仮装が気になった。
「ミフィーユ様はきっと彼女らしい素敵な仮装をしていらっしゃいますわ。フロランスはウォルター様とご一緒だから、二人でご相談して仮装していらっしゃるのでしょうね」
グレイシーはウォルターの名前のところに少しアクセントをつけた。
「お二人もお誘いしたら、良かったのではないかしら」
ユージェニーがちょっと心配げに言った。
ナターリアもそれを考えたけれど、誘うのはやめた。
二人の違う仮装も見てみたかったのと、フロランスは、背が高く、ミフィーユは小柄だった。
今いる三人は背丈も体型も似通っていた。
姿見で確認したら、ほぼそっくりで、近くで見なければ、誰か分かりにくい。
効果は抜群ですわ。
ナターリアは姿見に映った自分たちに満足した。
三人が出発までの時間、おしゃべりをしていると、クロヴィスとマデリンがメイド数人を従えて部屋にやって来た。
「姉上、どうせなら、もう一工夫なさいませんか」
いきなりクロヴィスが言う。
「クロヴィス様の案は面白いと私も思います」
マデリンもいつもの教師然とした表情が抜けて、溌剌とした顔で話す。
「二人して、内緒で何を企んでいるのかしら」
ナターリアは二人にからかい混じりに、叱るような口調で答えた。
「姉上達の仮装を、より印象的にする方法ですよ」
「良いわ。話して」
彼は嬉々として、自分が考えた仮装について説明を始めた。
「仮装は気乗りしないようでしたのに、あれは演技でしたの?」
「楽しむときは思いっきり楽しみなさいとミス・マデリンに忠告されました」
マデリンを見上げる弟の顔は優しい。
「クロヴィスの企みに乗っていただけます?」
ナターリアが友人二人に確認する。
「もちろんです」
まず、ユージェニーが承諾した。
「ええ。わたくしも構いません」
グレイシーがクロヴィスに向かって頷いた。
「ありがとうございます。この衣装は単純ですが、インパクトがありますから、目立つこと請け合いですよ。ああ、メアリーアンの分もあるからね」
クロヴィスが差し出さしたそれを四人は大急ぎで試着した。
マデリンも同じ仮装をすると聞いてナターリアは驚きを倍にした。
「では、ロバートも?」
「彼は固辞をしました。なので、会場では彼には離れているように命じましたよ」
クロヴィスが残念そうに言った。
メアリーアンがそれを聞いて、何か言いたそうにしている。
「姉上の傍にいるなら、この衣装は必須だよ?」
クロヴィスは、爽やかにメアリーアンに断言した。
◇◇◇◇
ビヨンヌ伯爵邸の門を通りすぎた直後、馬車が止まる。
外から御者とビヨンヌ家のフットマンとのやり取りが聞こえてきた。
「大変申し訳ごさいません。ご招待客には、こちらでお降りいただきたく、お願い申し上げております」
「馬車寄せまでは行けないのか?」
「園遊会でございますので」
馬車の窓から覗くと、招待客が次々に馬車から降りているのが見えた。
馬車の背後に立つ従者が降りて、ノックをした。
ナターリアが軽く頷くと従者が扉を開けて、ユージェニー達が馬車から降りるのに手を貸した。
馬車から降り立ったユージェニーは自分達に視線が集まるのを感じた。
それはそうだろう。
こんな格好をしている人はユージェニー達六人以外いない。
ビヨンヌ家のお仕着せを着たフットマンが、眉を上げたが、すぐに恭しい態度で頭を下げた。「我が主人、ロード・ビヨンヌからの伝言がございます。“後ほど、わたくしからお客様にご挨拶を申し上げます。どうぞ、我が庭園をお楽しみください”とのことでございます」
ゴールディア家の従者が「承知いたしました」とナターリアの代わりに答えると、同じように馬車から降りたクロヴィス達が近付いてきた。
「確かに目立ちますわ」
グレイシーが隣で囁いた。
ゴールディア家の紋章入りの馬車を使用しているのだ。
自分達が誰なのかおおよその予測は出来るにちがいない。
だが、誰が誰なのかは声を出さない限り、判らない。
彼女達は真っ白な布ですっぽりと全身を覆っていた。
二つの目は縁を黒い刺繍で囲ってある。
しかし、右目は瞳孔を表す円が黒糸で孔をかがってあるが、左目は瞳が無いこと表すために、透けるベール様の絹を張ってあった。
代わりに左目だけ、波打った眉があった。
口と鼻はない。
クロヴィスがもっとも珍しいものを、と文献を、探して、探して、見つけた神、らしい。
クロヴィスが探しだした文献の写しには、白い布を被ったような姿が描かれているが、その他に像や絵は見つかっていない。
かろうじて、グリークで書かれた文献にある"打ち倒す瞳"と呼称されている神が、それではないかと推測されている。
この神らしきものは、再生を表すホルス神の左目、ウジャトに対して、神ラーの不信心者を罰し倒す目、メジャトと仮に呼ばれているそうだ。
「バステト女神はもともとは太陽神ラーの眼から生まれた雌ライオンの頭持つ女神、しかも、ラーを崇めない者を討ち滅ぼす女神ですから、あながち、関連がなくはないでしょう」
とクロヴィスは言っていた。
ミス・マデリン渾身のドレスは素晴らしいけれど、この奇妙な姿でうろつくのも悪くありません。
人々の驚いた顔を見るのも楽しいし、何より気が楽だった。
「あら、でも。これでは食事が取れませんわ」
ナターリアが呟いた。
「脇の内側に切れ込みがついているでしょう。そこを開けば取れますよ」
衣装は二枚の布を合わせ縫ってある。
その縫い目は重ね合わせてあり、ちょうど腕の部分が、切れ込みになっていた。
クロヴィス様とミス・マデリンのデザインに隙はありませんのね。
「まあ、よく出来ていますわ」
「他の人に見られないで食事ができますわね」
「ご好評いただいて何よりです」
ユージェニーは食事も大丈夫と聞いて、落ち着いて周りを見回した。
定刻を十分ほど過ぎたばかりなのに、すでにかなりの人がいた。
王家の方々は、定刻から一時間経った頃にご到着するようだ。
正面の庭園の中央に、馬車が横並びに四台は通れる石畳の道がまっすぐに伸びている。両側の芝生には白いテーブルが並べられ、飲み物や軽食に手を伸ばせるようになっていた。
少人数に分かれて、招待客が談笑している。
屋敷の柱や基礎部分は灰色の石、それを彩るようにクリーム色の壁が日差しに映えていた。
二階へ上がる馬蹄型の階段の間にある一階玄関と、階段を上がった二階の玄関は白。窓枠も白い。屋根は青みがかった灰色だった。
屋敷の左手にはきらめくテムズ川が見える。
東側にあるガラスを多用した建物はオランジェリーだろう。
調和された美しい空間がそこにあった。
「わたくしたちの仮装、すこし道化すぎてますかしら?」
ユージェニーが言うと、クロヴィスが可笑しげに笑った。
「宮殿に道化はつきものですから、そう気にしなくても。ほら、あそこにマミーがいる」
青黒い仮面の上に包帯を巻き付けた紳士がそこには立っていた。
服装は黒のフロックコートだが、腕や足にも包帯がまかれている。
彼は蛇が腕に巻き付いているようなブレスレットをした淑女と話していた。
エギュプトといえばマミーなのか、庭には他にも包帯を巻いている人がちらほらいた。
「一番、簡単ですから」
「貴方も、最初はマミーにしようかと言っていませんでした?……このメジャト神では、人のことは言えないと思いますわ」
クロヴィスとナターリアがひそひそと会話する。
「姉上、右手のテーブルが空いておりますよ」
クロヴィスは話をそらすように言って、テーブルへ向かった。
三人の令嬢とクロヴィス、そして二人のシャペロンがそろって移動する。
白い目だけの集団が、ぞろぞろと動く姿は、きっと見物だろう。
ユージェニーはさりげなく一番後ろに付き、立ち止まってみる。
五人の白いメジャトが前を行く姿はおかしい。
面白くもあり、多少不気味でもある。
シューリアル。まさにそれだった。
回りの招待客も同じように感じているのか、まだ誰も近づいてこない。
いや、近づいてくるものがある。
白い布、二つの目。
二体のメジャトが動き、寄ってくる。
「子爵」
聞いた声が一方のメジャトから発せられた。
メネフィス碑文の見学会で知り合った、クロヴィスの友人、ピエールだ。
クロヴィス様はお二人にも声をかけていらっしゃいましたのね。
囁き声で挨拶をして、一緒にテーブルに向かう。
「増えましたわ」
「増殖した」
回りから声が聞こえる。しかし、話しかけてはこない。
いったい、どなたが最初にわたくし達に声をかけるのでしょう。
ユージェニーは、メジャトの内側で目を細めた。