伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(45)
メアリーアンの朝は、他のメイドより、少し遅い。
ナターリアが夜の社交から帰ってきてから、ドレスを脱がせ、手入れをしてから、ベッドへと向かうから。
そのうえ、昨夜は、ナターリアのシャペロンとして付き添い、また、ビヨンヌ伯爵とのアクシデントで、余分に疲れてもいた。
だらか、いつもより、十五分ほど遅くなった。
けれど、昨夜のお嬢様のビヨンヌ伯爵への対応は見事だったとメアリーアンは思う。
庇うつもりが庇われて、メアリーアンはナターリアの成長が嬉しかった。
彼女は、心は軽く、使用人用の階段を下りて、台所に身支度のためのお湯をもらいに行った。
ロンディウム・ウォール内の屋敷には、ラーム帝国の遺産である大水道から支管を引いている屋敷が多い。
ゴールディア家もそのひとつだ。
屋敷の庭と台所、洗濯室、そして浴室には流れっぱなしの水道がある。浴室は全部で四。
主人一家と客用の浴室が三つで使用人用が一つ。
使用人は日替わりで浴室を使う日が決められているため、一週間に二度か三度ほどしか順番は回ってこない。
その他の日は毎朝、石鹸とお湯を使って、部屋で立ち洗いをして、身綺麗にする。
生まれた家では冬の最中でなければ、週に一度しかお湯は使わなかったから、毎日、お湯を使うのは贅沢なことである。
「おはよう、良い匂いね」
メアリーアンは台所にいるシェフのゴードン達に挨拶をした。ゴードンは生粋のアンゲリア人だが、パリシアで十年修行をしてきた。彼は自分をコックではなく、シェフと呼ばせている。
「おはよう。夕べは珍しく遅かったな」
ご主人達の朝食を用意しながら、彼はメアリーアンに返事をした。
夜遅くまでの社交をあまりしない、ゴールディア伯爵一家だが、昨夜のナターリアは室内楽の会に招かれて、帰って来たのは、午前一時を回ってからだった。
それでも、貴族としては早いほうだ。
「ちょとした出来事があったから、なかなか帰れなかったのよ」
昨夜、カンタンベリー子爵邸であった出来事は、すぐに噂になると思うが、メアリーアンはあいまいに答えた。
噂話が好きな使用人は、解雇の憂き目にあいかねない。
当たり障りがない、どこそこの貴婦人のドレスの事や、素敵な紳士の話くらいなら披露するけれど。
ナターリア様がビヨンヌ伯爵と親しく会話していたなどとは、メアリーアンからは言えない。
身分が高い方々から噂になるだろうけれど。
お湯をもらうついでに、メアリーアンはさっと朝食を済ませてしまおうと食堂へ行った。
すでに大半のものは食事を終えて、食堂は空いていた。
焼きたてのパンの香り。
卵とベーコン。
卵は、大勢の使用人がいるため、大抵はボイルドだ。
使用人用の食堂に山ほどの茹で玉子とベーコンとパンが並べられて、それぞれが取っていく。卵は一つ、ベーコンは二切れまでと決まっている。
野菜の入ったスープもある。
十五年ほど前に、有名な医者が朝食には野菜を食べると健康に良いと発表してから、富裕層では朝に野菜を食べるのが流行りだした。
ゴールディア家では、朝食に野菜スープを飲むのを習慣にしており、使用人にも飲ませている。
ゴールディア家にくるまで、朝食はポリッジを食べるものと思っていた。
ここでも、ポリッジは出てくるが、美味しくて、まるで別物だ。
ゴールディア一家の朝食は、卵は、その日のご主人達の気分によって、焼き方が変わる。
ベーコンの他に、ソーセージか、日によって塩漬けニシンがつき、バターにジャムやマーマレード、野菜のスープ。
スープがあるので、朝食にお茶は飲まないのが、ゴールディア家のしきたりだ。
ご主人達は、アーリーモーニングティーは飲むが、使用人たちは、十一時まで、お茶は飲まない。
十一時のお茶には、バタつきパンがでる。
昼食は、使用人は、コールドビーフとジャケットポテトが多い。
クロヴィス様も、概ね同じものを食べている。
レディ方は、ゴールディア伯爵が家にいる時は、一緒に昼食を食べることもあるが、午後の訪問に備えて、量は控えめ。
細腰を保つために努力なされている。
夕食は、ゴードンが少し凝った料理を出してくれることもある。
キッチンメイドが作った、フィッシュ&チップスの時もままあるけれど。
ご主人様たちは、お客様がいないときは、アンゲリアの伝統的な料理やシェフお得意の田舎風パリシア料理が出されたりする。
パリシアの首都、シャルルマーニュで修行したのに、田舎風と思うなかれ、最後の一年は、パリシアのあちこちを回ってレシピを集めていた、とゴードンは言っている。
時々、ご主人達がゴードンに賛辞を送っているから、美味しいらしい。
使用人の食事も美味しいので、メアリーアンも何も言うことはない。