伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(40)
宮宰レイモン・ビヨンヌが仮装園遊会を開くとゴールディア伯爵の耳に届いたのは夏の初めのことだった。
社交シーズンの終わりに王家の方々をお招きして大がかりなものになるという。
場所はビヨンヌ伯爵が宮宰の就任直前に、国から買い取ったホワイト・タワー宮殿の跡地の一部だった。テムズ川沿いにあった広大な宮殿は失火により焼け落ちた。
跡地に宮殿が再建されることはなく、貴族達がタウンハウスを次々に建てることになった。
ビヨンヌ伯爵が手にいれた土地は、ボルンブラック公爵の家系が絶えて、国に戻されたものだった。
その後、戦費の捻出のために、国が競売にかけたものを、ビヨンヌ伯爵が落札し、ほどなく彼は宮宰となった。
当時の建物はセント・ジェームズ宮殿と同じ煉瓦造りの屋敷であり、地味な外観だった。それをビヨンヌ伯爵は、十年の時をかけてネオクラシック様式の外見の壮麗な館に変更していった。
建物自体の完成は先年の冬であり、それから内装を施して、この度の仮装園遊会がお披露目となる。
ほどなく、ゴールディア伯爵家にもビヨンヌ伯爵からの招待状が届いた。
「やられたな、アーサー」
ゴールディア伯爵は舞踏会の趣旨をみて呟いた。
仮装舞踏会は夜ではなく、まだ陽のあるうちにから行われる。
王家の第二子であるコンラート殿下をはじめとして十歳以上の子供たちににも参加をしていただくためと記されていた。
そのうえ、仮装は古代エギュプトに因むものをと続く。
ゴールディア夫妻はもとより、ナターリア、クロヴィスにも招待状は届いていた。
アーサーが両殿下をバイアール公爵家の所領の一部であるアイラか、父の所領であるカルプ島に招きたいと画策していたことを知っていた。
両方ともアンゲリアからの独立の気風がある土地である。
次代の王が訪問することに、アンゲリアの王家は、その土地の領民を気にかけていると示すことに意義があった。
そして筆頭公爵であるバイアール家との絆を示すことにも。
王太子が臣下の邸宅に最初に訪問する先は、バイアールと内外に喧伝することが大事だったのだ。
◇◇◇◇
「ビヨンヌ伯の顔を立てたのが裏目に出ましたな」
タジネット侯が仕方ないばかりに肩をすくめた。
メネフィス碑文に関するフレミア侯爵の不始末をビヨンヌ伯爵から王へ伝えるように忠告したのはアーサーだが、それは水面下のこと。
王の思し召しにみあったのはビヨンヌ伯爵となり、今回の臨席となったということだ。
ダジネット候がアーサーを"若い"と思ったことが、的中した形だ。
ウォレス卿ならもっと上手く立ち回ったことだろう。
「バイアール公爵は今、カルプでしたか」
「ええ。彼はカルプ大公の私兵の教練に参加しています」
アーサーは父であるウォレスの元に赴いていた。
彼はバイアール公爵の当主でもあるが、カルプ諸島の一島を父から所領として預けられてもいる。
その義務の中には軍務もあり、年に二度は軍事教練に参加している。
「さて、彼はどうでますかな」
彼とはアーサーではなく、ウォレスのことである。
カルプ大公はタジネットより十才ばかり年上で、本来ならば隠生する年ではない。
再び表に出てくるか、それとも、このまま息子に任せるか。
ゴールディア伯爵にも、タジネット侯爵が言いたいことが伝わったらしく、嘆息をついた。
「誰より為政者向きなのに、誰より政治の中枢にいるのを嫌う方ですからな」
ウォレス卿が、内閣に席を置いたことが一度もないことは、すでに伝説的になっていた。
内閣に入れば、内閣を批判出来なくなると言うのが理由だった。
そのひそみに習ってアーサーも最年少の大臣になる話を断っていた。
人柄の良いゴールディア伯爵は、縁戚であり、娘の婚約者でもあるアーサーの立場を純粋に心配しているが、ダジネット侯爵は国の政治を担う内務卿だった。
バイアール公爵家は以前から王家と議会との調整役である。
だからこそ、内閣には入らない。
それは、一定の理だと認めはするが。
メネフィス碑文の件で、アーサーが自分が考えていたより、王家よりであることが判った。
アーサーが宮宰の台頭を快く思っていないことは、もとより知っていたが、それも王家の傍らに立つのはバイアールであるという自負からくるところが多分に含まれている。
しかし、この園遊会で王家はビヨンヌ家を重んじると意思表示がなされた。
これを機にバイアール家をより議会派に引きつける。
タジネット侯爵は内心、ビヨンヌ伯の勇み足ともいえる園遊会の開催にほくそ笑んだ。
◇◇◇◇
「こちらはやはりロンディウムに比べると日差しが強いのですね」
父であるウォレスはカルプ島で過ごすうちにすっかり日焼けしていた。
ロンディウムにいた頃は、常に身なりに構い、紳士の鑑とも言われた父。
父は船の魅力に取りつかれたようで、カルプ諸島を警邏の名目で船で行き来していた。
そんなウォレスを野趣的で、より素敵になりましたわ、と評する母もすこぶる健康そうだ。
さすがに貴婦人である母は日焼けはしていないが、折れんばかりに細身だった体に適度に肉がついていた。
それが彼女を若返らせてみせる。
軍務伯であるバイアール家は本来、陸の勇だ。
長い歴史の中で、海軍を束ねたバイアール家の男もいるが、どちらかといえば、海軍とは距離をおき、反目しあってきた。
カルプ大公となったのち、ウォレスは海軍の退役軍人を有名無名を問わず、カルプ島に招いていた。
新造艦こそないが、払い下げられた三隻の艦船を有し、カルプ諸島の周りの海を守っている。
白い帆が海風を受けてはらむ。
海上を飾る波頭を掻き分けて艦が進んで行く。
指揮を執るのは、ジャーブル海戦で名を馳せたヴィンス・スペンサーだ。
彼は海軍で叩き上げ、キャプテンにまで登りつめたが、直言をものともしない性格で、上官との折り合いが悪く、艦を下りた。
賭博場で腐っていた彼に声をかけたのはアーサー自身だった。
「カルプは海も気候も、飯も女もいいが、賭博場がないのが唯一の欠点だ」
ロンディウムでは賭事は紳士のたしなみと言えるほど当たり前に行われているが、カルプでは、せいぜい月に一度の競馬くらいしかない。
賭け金も小さい。
ウォレスはささやかな額のカード遊びくらいは多めにみているが、兵同士の争い事になりかねない大金の賭けは禁止としていた。
幾つかの訓練を行った後に、艦は港へ戻る。
漁船が彼らの艦を追いかける。
今日は地元の漁師達を交えた訓練だった。提案者はスペンサーだ。
船で行けば目と鼻先きと言えるほどの距離にパリシアの領土がある。
「何事かある前に準備するのが、戦略というものであります」
新大陸、インディアと海を渡ってきたスペンサーの提言を入れて、ここ二年は、たびたび行っている。
「お二人とも、私の水夫長くらいにはなりましたな」
艦から降りると、スペンサーはウォレスとアーサーに声をかける。
傲岸にも聞こえる物言いが、彼が海軍を去った要因の一つだ。
が、ウォレスもアーサーも、それくらいのことに目くじらをたてる人物ではない。
礼儀は重んじるべき時もある。
真に無礼な、名誉を著しく傷つける振る舞いをされたら、咎め、受けて立つだろう。
しかし、矜持なき者が、些細な礼儀に拘るのだと、バイアールの二人は思っている。
「たいそうな誉め言葉だな」
ウォレスが磊落に返事をした。
下手な士官より叩き上げの水夫長の方が役に立つということだ。
スペンサーはニヤリと笑うと水夫達に帰還の合図をした。
◇◇◇◇
館に戻ると、ロンディウムから急ぎの知らせが届いていた。
執事のヘンリーが鳩を飛ばしてきていた。
軍鳩の育成は軍務伯たるバイアール家に脈々と受け継がれている。
「仮装園遊会か。楽しそうではあるな」
ウォレスがアーサーに文を渡す。
「こう来ましたか」
カルプ島からロンディウムに帰るには、船で本島に渡るのに一日、早馬で二日。
馬車を仕立てて行くならば、さらにかかる。
園遊会は二十日後だ。
王のご臨席の貴族の仮装となれば、趣向を凝らし、他者に後れを取るような真似はできない。
だが、王家の方々と仮装を被らすわけにもいかない。
「王家の方々は古代の神々の仮装をするのでしょうね」
アーサーの言葉に、そうだろうなとウォレスが応じる。
ビヨンヌ伯と懇意の貴族には、招待状を送る前に内々に話はしているに違いない。
「さて、どうする?我が自慢の息子殿」
「本当に自慢と思ってくださっているのやら」
「思っていなければ、バイアールを継がせんよ」
かつての父はこうまで率直に話す人ではなかった。
掴み処のない狷介さを有しており、息子のアーサーにもその本音を窺わせることはなかった。
ロンディウムから遠く放れ、政の第一線から退いた故の率直さなのか。
それとも、カルプ島にあっては、明け広げな態度が領民や兵達に好まれることを知っての態度か。
「父上は母上と共に参加なさいますか」
「するもなにも、招待状が届いておらん」
「必ず来るでしょう。五日か六日後には」
ロンディウムに所有するバイアールのハウスタウンと同時に招待状が届いたとすれば、それくらいになる計算だ。
「ヘンリック王は太陽神でしょうか。いや、パリシアの先々代のルイ王が太陽王と呼ばれるきっかけとなったのが、太陽神の仮装ゆえでした。真似はなさらない」
アーサーは自分の予測を否定した。
「では、オシリス、イシス、ホルスか。コンラート殿下の役がないが」
ウォレスは、よく知られている話だからな。と納得の表情だ。
「そこはビヨンヌ伯が上手く取り計らうでしょう」
アーサーは対立的な立場ではあるが、ビヨンヌ伯爵の手腕は認めている。
なにせウォレスを大公とまつりあげ、ロンディウムから遠ざけたほどだ。
しかし、ウォレスが何の抵抗もせずにカルプ島へ赴くとは思っていなかっただろうが。
領土が広くなりすぎるという口実で、本来なら、当主が亡くなるまで、継げない公爵の爵位をアーサーに譲った意味も。
貴族の当主は貴族院に自動的に議席を持つ。
ウォレスは、大公になってからもロンディウムの議会へ出席こそしていないが、れっきとした議員の一人だった。
「帰る予定を早めるか?」
ウォレスにアーサーはNOと答える。
予定ではアーサーはあと一週間はカルプ島に留まることになっていた。
「いえ、そうはいたしません」
「仕立てが間に合わなくなるかもしれんぞ」
ロンディウムではこの園遊会のために紳士貴婦人たちがこぞって仕立屋を呼びつけ、衣装を注文しているのが目に見えるようだ。
エギュプトゆかりの、とあるので、通常のフロックコートやドレスにエギュプト風の装飾品や、仮面をつけるという手もあるが、手の混んだ仮装で人々の耳目を集めて、評判があがることを望むものは多い。それが社交界というものだ。
「古代エギュプトの衣装は簡易ですからね。さほど手間はかかりませんよ」
「古代様式、そのままで行くつもりか」
ウォレスは感心しないという口調である。無難ではあるが、人を唸らせる面白味はない。
「古代ではありますが、少々気をてらいます。父上と母上にも協力していただきますよ」
アーサーが父であるウォレスを品定めでもするように、上から下へと眺め回す。
「父上が健康に、頑健になられて良かった。今度の園遊会でご心配をかけた方々にその事を知らしめましょう」
「まあ、議会も開催中だ。たまには席を暖めるのも良いだろう」
ウォレスはアーサーの提案を受け入れる態度を示した。
「キャプテン・スペンサーにも協力を仰ぎますよ。たまには、彼にもロンディウムの霧を吸いに来ていただきたいと思っていましたので」
不敵に笑うアーサーをウォレスは満足そうに眺めた。