伯爵令嬢の人格形成はロマンス小説と共に (6)
朝食用のドレスからデイドレスに着替える。
あまり裾の広がっていない、クリーム色に淡いブルー小花模様の愛らしいドレスだ。
ナターリアのお気に入りのドレスのひとつ。
寝室から自分用の居間へ出てくると、メイドのエレナが荷物を抱えてやってきた。
「バイアール公爵閣下からの贈り物です」
「アーサー様から?」
こんな朝早くに贈り物なんて。
「開けてちょうだい」
ナターリアはエレナにプレゼントを開けるように指示をした。
テーブルに置かれた箱が開かれる。
中に入っていたのは鉢植えの蔓薔薇。
白い花弁に少しだけピンクが乗っている。可憐な蔓薔薇にナターリアは見とれた。
添えられたカードを開けば。
「小さな私の婚約者へ。君のために早起きをしたよ」
カードからかすかに香る薔薇とスパイスの香り。アーサーの使っているコロンの香りだ。
蔓バラの香りを殺さないようにほんの少し吹きかけてあった。
ナターリアに心臓が知らずに高鳴る。
「アーサー様はすこし遊びがすぎますわ」
ナターリアは怒ったように呟いた。破棄をする婚約者にこんな優しい贈り物はいるのかしら?
「ご返事をなさいますか?」
レディースメイドのメアリーアンがライテンングディスクを引き出すかと尋ねてくる。
「いいえ、今夜、アーサー様がいらっしゃるとおっしゃていたから。その時お礼を申し上げます」
メッセージが行き違いになってしまったらとナターリアは、返事を書くのを止めた。
「マデリン先生がいらっしゃるまで、詩集を読んでいるわ。それから蔓薔薇を寝室の窓辺に。今すぐではなくて、後でにしてちょうだい。しばらく眺めていたいから」
朝起きたらすぐに、そして寝る前にアーサーからの贈り物を目にしたいとナターリアは自然に考えていた。
「承知いたしました」
ナターリアはソファに腰かけて詩集を開く。
「詩は子供たちの園に響く」
ナンセンスなセンテンスがふんだんに取り入られている楽しい詩集。
ロマンス小説のときめきはないけれど、読んでいて心が弾む。
扉がノックされる。
「どうぞ」
「失礼いたします」
女家庭教師のマデリンが静かに部屋に入ってきた。
ブラウンの髪をきちんとまとめて、落ち着いた、ベージュのドレスを身に付けている。
カーキー色のサッシュがアクセントになっていた。
彼女は、ナターリアの前にくると少し腰を落として挨拶をする。
いつもながら、完璧な所作。
二十歳そこそこのマデリンではあるが、知識も教え方も上手だ。
少しだけ堅苦しいところがあるけれど、そこを含めてナターリアは彼女を気に入っていた。
ロマンス小説に出てくる女家庭教師そのものではないか!
「おはようございます。マデリン先生」
ナターリアは立ち上がって、腰を落とす挨拶をした。本当なら女家庭教師である彼女に礼はしないが、挨拶の練習なのでナターリアは毎朝している。
完璧なお手本を見た直後なら、真似するのも容易い。
「詩集を読んでいらしたのですね」
マデリンはナターリアがテーブルに置いた本に目をとめた。
「はい、マデリン先生が教えて下さった詩集ですわ。とても面白いわ」
「詩は言葉と心を豊かにしますから」
言いながら、マデリンの視線が蔓薔薇に注がれる。
「婚約者のアーサー様から届きましたの」
念願の婚約ができたのだと誇らかに言った。
「ご婚約おめでとうございます」
マデリンが祝いの言葉をくれる。はしばみ色の瞳が僅かに和む。
「お礼のお返事に短い詩を添えると良いでしょう。今日のレッスンはそこから始めましょう」
マデリンは控えているメアリーアンにライティングディスクを引き出すように促した。
「今夜、アーサー様がいらっしゃるから、その時にお礼を申し上げれば良いのではないかしら」
ナターリアが自分の考えを述べる。
「直接にお礼は申し上げます。けれど、お礼状も差し上げることも必要ですよ」
「でも、直接お礼を言った後で、またお礼の手紙が届くのよ?」
無駄ではないかと言うナターリアにマデリンはかぶりを振った。
「帰宅した後にお礼のカードが届く。ナターリア様の綴った文字と素敵な詩を読まれる。相手の方は、口頭だけでないお礼に、より感銘を受けると思いますわ」
マデリンが静かに、けれど力強く言った。
「でも、破棄の予定なので……」
ナターリアは小声で昨日の話をした。
しかし、マデリンの意見は変わらなかった。
「ナターリア様は円満に破棄をなさりたいのでしょう?」
「もちろんですわ」
ナターリアはすぐに頷いた。
「なら余計に礼を失するような行為は禁物です。友好的な婚約期間を過ごすために、円満な破棄をするために、素敵な詩をバイアール公爵様に贈りましょう」
マデリンは微笑みを浮かべて、詩を創るように言った。
読むことは好きだけれど、書くのはやや苦手なナターリアは、密かにため息をついた。