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伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(38)

 ユージェニーに招待が届いたのは、五回目の茶話会だった。

 一覧に書かれた他の招待者はすでに招待されつくされており、二度、三度と招待されている人物もいる。

 ゴールディア家の二人にいたっては、全ての茶話会に出席しているらしい。

 これは、コンラート殿下が、乳兄弟である彼らがいると安心して、茶話会に臨めるからだという話が社交界に流れていた。


「口に戸は立てられないものなのですわね。貴女はこれから離宮にお伺いするでしょう?だから、正確な事をお話ししておきますわ」

 噂が流れてから、グレイシーはユージェニに三回目の茶話会であった出来事を話した。


 ほとんど人の噂話をしないグレイシーだが、それが故に、ユージェニーを含む友人達には尾ひれが付きがちな噂ではない事実を教えておきたいと考えたようだ。

「お三人が仲がよろしくていらっしゃるのは、つとに知られておりますし。今回の事も特に秘密にしなければならないお話しではないのですけれど」

 王宮に伺候するときは、注意が必要でしてよと、彼女はユージェニーに忠告をくれた。


 それにしても、ギャラリー回廊でのコンラート殿下はまるで屈託なく、人見知りとは感じませんでしたわ。それもゴールディア姉弟がいたからこそなのでしょうか。


 とまれ、ユージェニーは、緊張と期待を胸に西の離宮へ伺候した。


 本日の出席者は、ユージェニー、グレイシー、レディ・エマ、ビーチャム、それからゴールディア家の二人。

 ゲオルク殿下とコンラート殿下を加えれば、八名となる。

 ビーテャム氏はユージェニーとは初対面になるが、グレイシーから軍楽隊に所属している軍人だと聞いていた。

「代々軍人を多く輩出しているお家だそうだけれど、戦争があまりお好きではないので、軍楽隊を目指されたのですって」

 茶話会の終わりに、西の離宮の庭を散策した時に、グレイシーとビーチャム氏はいろいろ話をしたらしい。

 “正確なお話”の中には彼のことも入っていた。



 茶話会が始まってしまうとユージェニーは自分が思ったほど緊張をしていないことに気が付いた。

 一度、両殿下に会って話していたこと、グレイシーやナターリアがいること、そして、付添人(シャペロン)の目がないことが理由だった。

 給仕には離宮に仕える女官がいるので、茶話会の間、付添人(シャペロン)は別室に控えていた。

 彼女は自分の付添人(シャペロン)が苦手だった。彼女は、悪い人ではないが、旧式の考え方をする人で、女が学問をするのを厭うていた。


 考えてみれば、友人のグレイシーもそのまた友人のナターリアやフロランス、ミフィーユも自らが行動することを厭わない。

 つまりは、どこか似ている所があり、それを認めているような両殿下やクロヴィスと共に一緒にいるのは居心地がいいのだ。

 話をするにビーチャム氏も軍人としては、さほど旧弊な人物ではないことが判った。


 ユージェニーはメネフィス碑文が三つの文字で刻まれていることに注目した。

 また、碑文を造るということは、誰かに読ませるためで、ローエ氏の説の通り、何らかの告知だとしたら、当時の識字率は高かったと推測できる。

「識字率の高さがナイル文明が発展した鍵ではないかと思うのです」

 知識を広め、蓄えるには、文字に書き起こすのが、どれほど有効か。

「エギュプトのパピルスは周辺各国に輸出されていたほどであり、また数千年の時を経て、現存しているものもあると言うことは、古代エギュプトでは、相当量のパピルスがあったことを示しています」


「国力識字率と比例するとユージェニー様はお考えなのですね。わたくしも賛同いたします」

 グレイシーが熱心に同意をしてくれる。


「読み書きが出来る。それだけで、どれほど人生が変わるか。わがアンゲリアの識字率はおよそ6割に達しておりますが、まだまだ足りないとわたくしは思います」

グレイシーの言葉を受けて、ユージェニーは基礎教育の大切さを訴えた。


 バーソロミュー教会の孤児院で、週に一度、孤児たちにグレイシーは読み書きを、フロランスは算術を教えることを始めようとしていた。

 孤児たちの学力の向上はグリニッジ伯爵家のウォルターも積極的に推進している。

ユージェニーは、子供たちに教える自信などないが、彼らの活動には賛同していた。


ナターリア様達は、直接ではないが、子供達が使う教材を提供する。

ユージェニーもささやかながら、言葉遊びの問題を作ってみた。



「僕は神聖文字の読み解きに対する推論が主で、茶話会に出席された方々のナイル文明から発展させた皆さんの論を拝聴して、なかなか自分の話を持ち出せなかったのですが」


 クロヴィス様は謙遜なさるが、大陸の東の果て、カラ文字やアキツ文字に関する知識には脱帽するしかない。

見学会の主旨に一番添っているのは、クロヴィス様のレポートに間違いない。


「古代のグリークで書かれた“歴史というもの”やラーム帝国時代に書かれた“博物誌”が神聖文字についても言及していたら、と思わずにはおられません」

 クロヴィスの嘆きはもっともだった。


 歴史学の祖と呼ばれるグリークの偉人が記した"歴史というもの"はグリークをはじめとして、オリエントと呼ばれる地域の伝承や実際に起こった出来事について書かれている。

 イシスオシリスの神話もその書に書かれてエウロピアで有名になった。

 “博物誌”はパピルスの製造方法に触れてはいるが、曖昧な部分があり、パピルスの製造方法も失われた技術となっている。


「そういえば、失われた知識、言語については、レディ・ナターリアも触れていたね」

 ゲオルク殿下がナターリアに水を向けた。

「はい。失われた知識は、何らかの形でビブリアに関わっているのではないかと思ったのです」


◇◇

 レディ・ナターリアは、まず旧き契約のビブリアにおけるエギュプトが関わる部分を列挙した。

 ユージェニーも、むろん内容は熟知している。

 旧き契約の書は、古代に生きたヘブルびとの話だ。


 エギュプトで奴隷から立身出世したジョーゼフ。

 エギュプトから奴隷となったヘブル人を連れ出した預言者モセス。

 モセスの物語はこうだ。

 エギュプトに住んでいたヘブル人が増えすぎたので王が赤子を殺すように命じ、殺せなかった母親が川に流して、エギュプトの王女に拾われて育てられたが、長じて、彼はヘブル人を救うため、罪を犯し、逃げた先で老年になるまで過ごした後、神にエギュプトから、エギュプトびとの奴隷となっているヘブル人を救い、エギュプトから連れ出す使命を与えられた。

 エギュプトの王は当然、ヘブル人を解放しないが、モセスとその兄弟達は幾度かの奇跡を起こして、ついに王にそれを認めさせる。紆余曲折の末、預言者モセスは、神から、守るべき戒を与えられ、そしてヘブルひとを約束の地へ導く。


「では、レディ・ナターリアは預言者モセスが記した創世記から、申命記は、神聖文字で書かれたのではないかと推論されるのですね」

 ビーチャム氏がナターリアの論を確かめるように言った。


「はい。彼はエギュプトの王女に拾われたとありますから、預言者モセスが普段使っているのは、古代エギュプト語であり、神聖文字は常に身近にあったはずでございましょう?」

「ですけれど、旧き契約は古代ヘブル語で書かれたものがありますのよ」

 ユージェニーはその事実を指摘した。

「それは、民に解かりやすく写本されたのではないでしょうか。メネフィス碑文も、神聖文字が読めない者のために、グリークで書かれていますから。預言者モセフの戒が書かれた石板は二枚。神の言葉で書かれたとあります。エギュプトで生まれ育った彼にとって神の文字とは神聖文字だったと思うのです」


王の(パロ)の魔術師達が、モセス達と同じ不思議というのは、神聖文字を使った問答だったとも推測できますね」

 クロヴィスが姉の意見を受けて、論を展開する。

「みだりに神の名を唱えてはならない。と言うのも、古代エギュプトでは、真なる神の名前は秘されており、神の名前を知れば、神の力を行使出来る、もしくは神を支配できるという当時の考え方を反映しているのかもしれません。その神の名前を示すのが神聖文字と考えられていたのではないかもと思いましたの」

 ナターリアの仮定は、名前の魔法と呼ばれる風習を知るなら、容易に導き出されるものだ。


「ブリトーンのお伽噺にも、妖精の謎かけで本当の名前を当てる話があるね」

 ユージェニーと同じくコンラート殿下もすぐに思い出していた。

「はい、珍しくはない話です」

「でも、そうなると我らが神は古代エギュプトにも、尊崇されていた事になるよね」

 コンラート殿下の疑問はもっともである。

「尊崇はなされていたと思います。神はエギュプトひとに夢の啓示を与え、ジョーゼフが解き明かすことによって、飢饉に備えることができました。神はエギュプトに恵みをお与えになったのです。ジョーゼフが神について語らなかったとは考えられません」

 ナターリアは預言者モセフの遥か前にエギュプトに生きたジョーゼフの名を上げる。

 ジョーゼフは、様々な人の神の啓示たる夢を解いて、出世し、エギュプトの宰相にまで登りつめる。


 ユージェニーはなるほどと思う。ヨージェフの功績に目が行くが、それによって神はファラオを、エジュプトをお救いになったとも言えるのだ。


「エギュプトからの脱出の記述で、自分は、少し疑問に思うこともあるのです。なぜ、神は何度もファラオの心を頑なにしたのかと」

 口にするのを憚るように、ビーチャム氏は大きな地声を小さくした。

 ユージェニーも気になってはいる点だった。

「お試しになられたのでらないでしょうか」

 ナターリアは少し考えてからそう口にした。

「ファラオを?」

「いえ、モセス達をです」


「彼らが神を信じ切れぬからこそ、ファラオの心を頑なにして、何度も不思議を起こされたのだと、今回、新たな視点で、ビブルスを読み、わたくしはそう感じました」

「そのことによって、恵みも与えていたにもかかわらず、忘恩したファラオとエギュプトびとにも罰を与える事にもなる、か」

 ゲオルク殿下が考え込むようにおっしゃった。


「もしかしたら、モセスへの預言は、奴隷のように酷使されていた神がエギュプトびととの契約からの解放を願われたからかもしれませんわね。モセスには、何度も私は(あるじ)であるとおっしゃっておいですから」

 ナターリアは至高なる方を崇めると言うより、愛しい方を語るように言う。

「レポートにも書きましたが、古代ヘブル語も失われた言葉です。同じく読み方が失われた楔型文字や、その他の言語にはお互いに影響があるだろうと。それが、神聖文字だけでなく、使われなくなり、失われた言語を読み解くきっかけになるかもしれないと思っております」


「そういえば、レディ・ナターリアは、レディ・フロランスがいた時も、御方とエギュプトの関係に触れていたな。では、御方が示された新しき契約についてはどう考える?」

 ナターリアが迷いをみせて、ゲオルク殿下を見返した。

 旧き契約は、ヘブルびとと神のとの話であるが、御方の約束は、我々に直接、関わってくる。

 ユージェニー達はナターリアをじっと見つめる。

 彼女は、少し、天を仰ぐように上を向いた後、ゲオルク殿下の問いかけに穏やかに答えた。


「御方の生と死を得て、ねたむ神から、痛みを知る神へ、恵みと罰だけではなく、許す神へ。我らが仰ぐ神は解放され、常に新生し、成長される神となったのだと、わたくしは信じております」


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