伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(25)
ロンディウム博物図書館は首都の南、ブルーリズリー地区にある。
建物は十七世紀末に建築された隣り合った壮麗な建物、ピュラモス邸とテスベ邸であった。
二つの屋敷を立てたアングシール男爵家は十四世紀に叙爵された古い家柄だが、最後の当主となったケインは幼いころから博物学に興味を持ち、長じて世界中を飛び回り、プラントハンターとしても名を馳せた。
その収集癖で膨大なコレクションを持ったが、男子の跡継ぎには恵まれなかった。
彼の死後、二つの屋敷とそこに収拾したコレクションを散逸させることなく保持するという条件で、一人娘のエルザに現金5万ポンドと生涯年金、年間二千ポンドを政府が支払ってくれるなら、寄贈するとの遺言が公開された。
コレクションと屋敷の価値を考えれば、破格の安さであった。
政府はこれを承認し、さらに時の女王、メアリーアンがエルザにアングルシール男爵位を保持することを許した。有名な、エルザ・アングルシール女男爵の誕生である。
ナターリア達は二つの屋敷の間に広がる庭園の一角にいた。
遅刻はできないので、友人たちと打ち合わせて早くに集まり、余った時間をロンディウム博物図書館の見学に回すことにしたのだ。
令嬢たちはお互いに社交界では顔見知りだが、クロヴィスが連れてきた二人は社交界では見たことがない。
紹介を受けてその訳が分かった。クロヴィスより、二歳年上の彼らは、貴族の子弟ではなく、ロンディウム博物図書館で知り合ったバーリッジスクールの生徒だという。
「ユワード・グラットンです」
「ピエール・ペズリーと申します」
最初は、少しばかり困惑したナターリア達だが、ウォルターが快活に挨拶を返すと、すぐに意気投合する。
バーリッジスクールは十六世紀を代表する俳優であり、実業家であるアーレン卿が貧しい子供たちのために設立したのが始まりだったが、今ではアンゲリアでも有数の寄宿学校となっている。
ユアードとピエールは言葉も態度もしっかりしていて、きちんとした教育を受けてきたことが窺えた。
二人の両親は貴族ではないが、豊かな家のようだ。
「事前にエギュプトの展示室をゲオルク殿下とコンラート殿下が見学なさるのですよね」
ウォルターがクロヴィス問いかけた。
「そのようですね」
「なら、私たちが見学するのは無理そうですね。だだでさえ、エギュプト展示室は大人気らしいから」
では、どうしようと、考える一同にクロヴィスが提案した。
「回廊ギャラリーなら空いていると思います」
提案に従って、二つの建物を繋ぐ回廊へと向かうことにした。
「イングラム子爵はロンディウム博物図書館にお詳しいのですね」
フロリッツ子爵家のレディ・ユージェニーがクロヴィスに声をかけた。
ジャンブル・セールで自分が作成した本を購入してくれた令嬢に好感を感じていたのか、クロヴィスが、にこりと笑う。
「クロヴィスと呼んでください。ユージェニー嬢。貴女はロンディウム博物図書館にはあまりいらっしゃらないのですか?」
「いいえ、よく利用しております。ただ、わたくしは図書館があるテスベ邸の利用が多くて。クロヴィス様はすべてにお詳しそうですわね」
「ユージェニーは、図書館にはここに住んでいるのかと思うほど、入り浸っていらっしゃるのよ」
会話に加わったグレイシーの言葉はからかっているようだが、そんな彼女を大切に思っているのが解かる言い方だった。
「僕も図書館もたびたび利用しますが、本は王宮の蔵書室で閲覧することも多いので」
「王宮の蔵書室!なんて羨ましい。古アンゲリア語で書かれた、エルスの書や、チョーセルの“失われし王妃の書の”など、貴重な本が収められているのですよね」
ユージェニーは夢見るように言った。好きなものを語るその姿は愛らしい。
ロマンス小説と古アンゲリア語の稀覯本とでは、その貴重さがかなり違うが、ナターリアはユージェニーに親近感を覚えた。
それとなく周りを伺えば、クロヴィスの二人の友人は、ロレインとエリザベスと物怖じせずに話している。
二人はオックスブリッジの学長の令嬢ではあるが、父のパーシー氏は学長になった時に準男爵に叙された方だった。
紳士階級ではあるが、貴族ではない。
それに、二人ともオックスブリッジ大学の敷地内で暮らしている。
普段から学生との交流もあるとみえて、自然な対応だった。
ナターリアの方が、弟の友人と聞いて少しばかり身構えてしまっていた。
レディ・エマはウォルターとフロランスとご一緒だ。
ミフィーユはグレイシーの陰に隠れるようにしていた。意外と人見知りなのだ。
◇◇◇◇
エギュプトの展示室の前には人だかりが出来ている。
警備のためか数人の護衛が立って人々を見張っていた。
すでに、両殿下は展示室に来ていたのだ。
「ご退室です。お下がりください」
護衛の一人が人々に声をかけた。人だかりを避けて横切ろうとしていたナターリア達も脇に寄って控えた。
展示室から護衛を従えて両殿下がお出ましになった。
平民達がいつもは近くで見ることができない殿下達を一目見ようと背を伸ばしていた。
ナターリア達は、敬意を表するため、軽く身を屈めた。
その動きが目に留まったのか、コンラートがナターリア達を見つけた。
「クロヴィス、ナターリア」
大勢の前だというのに、自分の居室にいる時と同じようにコンラートがナターリア達に声をかけた。
ゲオルク殿下の足も止まる。
衆人が二人の王子とナターリア達に注目した。
「レディ・ナターリア、イングラム子爵、これはレディ・エマも一緒か」
ゲオルクが改めてナターリア達に声をかけた。
「はい、本日、見学会に参加いたします」
年長のレディ・エマがゲオルクに向かって礼を取りながら、言葉を返した。
「ふむ。レディ・エマ達はこれからエギュプトの展示室を見るのか?」
「いえ、回廊ギャラリーへ向かうところでございました」
「大勢で、楽しそうですね」
コンラートが笑いながら兄を見上げた。
「そうだな。回廊ギャラリーか。見たいか?」
ゲオルクがコンラートに尋ねた。
「はい」
「では、そうするとしよう」
両殿下が回廊ギャラリーを観覧なさる。
では、私たちはどうしよう。
二人が観覧するなら、ナターリア達は別の場所を見学するしかない。
別の候補をナターリアが考えていると、ゲオルクがレディ・エマに声をかけた。
「レディ・エマ、共に回られるか?他の者も一緒に」
「本日は、王宮に伺候できない者もおりますので」
レディ・エマは、ユアードとピエールのことを、婉曲的な表現でゲオルクに伝える。
「かまわぬ、随行を許す」




