伯爵令嬢の人格形成はロマンス小説と共に (4)
コンラートの住む離宮で電光石火に行われたバイアール公爵の婚約劇は、すぐに宮殿中に広まった。
噂、千里を走るどころか、一万里の早さだった。
大蔵卿と共に宮廷に伺候していたゴールディア伯爵は、突如として知らされたその話に内心は驚いたが、表情には出さなかった。
知らせをもたらしたパウエル・デリトリー子爵がしたり顔で「おめでとうございます」と言ってくる。
ゴールディア伯爵は困ったような笑顔を作る。
「お優しい公爵が、娘の遊びに付き合ってくださっただけでしょう」
「ですが、ゴールディア伯爵、貴君はレンネット伯爵家やフレジア子爵家からの婚約の申し込みを、娘は婚約破棄をする婚約を望んでいるからと、お断りになったそうじゃないですか」
デリトリー子爵はゴールディア伯爵の反応を伺うような目付きをした。
「娘はまだ、ままごと遊びが楽しいような年頃ですから。婚約は少々早すぎと考えましてね。ですので、先程も言いましたが、おおかたバイアール公爵と娘がごっこ遊びをしていたのでしょう。公爵はまだ若くて、酔狂な方ですから」
「酔狂と言うよりは遊び人だね」
大蔵卿のリース侯爵がアーサー・バイアール公爵の人物評を一言で表した。
「昔は誠実勤勉と評判の少年でしたが」
デリトリー子爵がバイアール公爵の親戚でもあるゴールディア伯爵を憚って、言葉を濁した。
「まあ、私たちもあの年頃には、様々な花を追いかけたくなりましたからな」
その場にいた内務卿のマルテス・タジネット侯爵が鷹揚に言った。
四十代半ばの内務卿は、かつて王宮で一、二を争う艶福家であった。
年を重ねて、より厚みをました彼を恋慕う女性もいまだ多い。
行き遅れと呼ばれた、女官僚のミランダ・ルーマ男爵令嬢と結婚した時には、国中の女が嘆きの涙を流したと言われていた。
若い頃の浮き名は、ある程度なら男の勲章、そういう風潮なのは、男であるゴールディア伯爵は理解する。
だが、娘の父親としては歓迎できない。
それに。
「これは、国家の重鎮がお揃いで。御前会議は終わったと伺いましたが」
宮宰のレイモン・ビヨンヌがなに食わぬ顔をして通りかかった。
「これは、宮宰殿」
その場にいた貴族達は一様にレイモン・ビヨンヌに礼をとる。
内務卿のタジネット侯爵はかつてのライバルにかすかに会釈をしただけだ。
タジネット侯爵よりわずかに年下のビヨンヌ伯爵は、マルテス・タジネットと張り合う美男であり、今も艶福家として名高い。
彼は王の家政を取り仕切るのが仕事であり、国政を動かす立場ではない。しかし、常に王の側におり、その影響力は絶大だ。
加えて、マルグリッテ王妃の伯父でもある。
「なに、ゴールディア伯爵の小さな姫君のほほえましい話を話題にしていたのですよ」
リース侯爵が穏和な声で言った。
「ほお、ナターリア嬢の」
まるで何を話しているか分からないという風にレイモン・ビヨンヌは言った。
宮宰に知らぬことはないと言われている御仁である。当然、その話を聞き付けてここに来たのだと、みな思っている。
「コンラート殿下の離宮でバイアール公爵がナターリア伯爵令嬢に婚約を申し込んだそうです」
デリトリー子爵が言わなくてよいことを口にした。
「コンラート殿下の離宮で、ですか。そういえばナターリア嬢は先日もコンラート殿下に婚約を申し込まれたとか。昨今、女性の進出は著しいですが、時代の先端を言っておられますなあ」
明らかな皮肉だったが、ゴールディア伯爵は苦笑をして答える。
「娘は物語と現実を混同してしまうような純なところがあるのですよ。先日のコンラート殿下との話もそうですし、今回はアーサー、バイアール公爵は、娘の夢物語のごっこ遊びに付き合ってくださった、と言うところでしょう」
レイモンは一応うなずいたが、さらに畳み掛ける。
「その場には、ゴールディア伯爵夫人もご一緒で、反対なさらなかったとか」
やはり、レイモンはその場の情報を知っていた。
「あれも、近頃はやりの恋物語に夢中でしてな。見目の良い公爵が娘に言い寄られる、などという光景に、年甲斐もなく、はしゃいでしまったのかもしれません」
伯爵は恥ずかしげに言った。
「しかし、そのような所もケイトリンの可愛いところで。その小説の中の台詞を言ってやると、機嫌が良くなったりするので助かります」
ゴールディア伯爵は照れた笑いを漏らした。
「最後はのろけですか。ゴールディア伯爵は本当に愛妻家だ」
内務卿が声をあげて笑った。
「いや、タジネット侯爵の愛妻家ぶりには負けますよ」
ゴールディア伯爵はそう返す。
「いやいや、私は愛妻家ではなく、恐妻家だよ。国事を失策しようものなら、屋敷から追い出されてしまう」
「ミランダ書記官の辣腕は健在ですな」
ビヨンヌ伯爵は形の良い眉をあげる。
「ええ。磨きがかかっております。さて、そろそろミランダに叱られないよう執務に戻らねば。そうそう、ゴールディア伯爵、令嬢のご婚約、おめでとう。ナターリア嬢には申し訳ないが、ロマンス小説通りにはならないことを祈っているよ」
内務卿がゴールディア伯爵に祝辞を言った。
マルテス内務卿は、二人の婚約を歓迎する、そのまま両家が結ばれることを願っていると言う意味である。
「や、それは」
ゴールディア伯爵は複雑な顔をして黙りこむ。
「もちろん、二人の気持ち次第だがね。昨今は家の結び付きより、個人の気持ちを優先させるのが流行だから」
誰よりも早く流行に乗った、というより、その流れを作った張本人の一人であるマルテスがぬけぬけと言った。
その場にいる男達はみな笑った。しかし、ビヨンヌ伯爵は声はあげていたが、目は笑っていなかった。