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伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(18)

 ディナーは、バイアール公爵家が持つタウンハウスの一つで用意されていた。

 アーサーがまだバイアール公爵家を継いでいなかった時に儀礼称号として名乗っていたレイヴァース伯爵の名を冠する屋敷だ。

 バイアール公爵邸のタウンハウスは、広い庭園を持つ邸宅だが、レイヴァース邸はこぢんまりとした集合住宅風の一棟である。

 バイアール公爵邸は華麗だが、こちらは端正といった雰囲気の造りだった。

 大陸の東の島国、アキツの大皿が飾られている。


 通された食事室はこぢんまりとしていて、集まる者たちに親密さを感じさせるように出来ていた。

 パリシアのワインがグラスに注がれる。

 正式な晩餐より皿数は少なく、スープに前菜が一皿、魚料理は省かれて、メインの肉の一皿、それからチーズとデザートと続く。

 メインが終わるころにまで、今日の劇の感想やパリシア文化の話が続いた。


「リューイの原作は確か作者不明なのでしたわね」

 ケイトリンが切り出すと、タジネット卿が、よくご存じですねと返す。

「女はパリシアの流行には敏感ですのよ」

「これはしたり」

 タジネット卿は参りましたと会釈をした。

「原作はカルチェラタンの学生が書いたらしい。表現ももっと過激で、風紀が乱れた貴族への批判のために書かれたのだと噂されているね」

 過激と聞いて、ゴールディア伯爵が眉を顰めた。

「そう聞くとナターリアには少し観せるのを早まったかと考えてしまうね」

 淑やかに、けれど明らかにうれし気にデザートを口にしているナターリアは確かにまだ無邪気な子供のようだ。

 しかし、爛熟といっていい、パリシアの貴族文化はアンゲリアにも輸入されていることをナターリアは解かっていた。

 父もタジネット卿も、アーサーの父上であるカルプ大公も妻に一筋であるが、それが人としては美徳であるが、貴族としては珍しい部類であることも。

 アーサーがかなり浮名を流している(いた?)ことも耳にしている。

 婚約者としてナターリアを尊重してくれているのか、政治や領主としての仕事が忙しいのか、近頃では女性と二人きりで出かけたという話は聞かなかったけれど。

 ちらりとオースティンの言葉が思い出したが、すぐに頭から追い出す。


「マケーが脚本にするにあたって、かなり手を入れています。原作通りでは上演許可が下りないと考えたのでしょう」

 アーサーが口にしたマケーの名前にナターリアは耳をそばだてる。

 アンドロ・マケーはパリシアきっての作家で、脚本だけでなく、様々な小説も書いていた。その中には冒険小説やロマンス小説と言ってよい内容のものもある。

「わたくし、白百合のポレットはとても素敵な作品だと思います」

「世の清らかなる淑女のために」と献辞されているマケーの作品をナターリアは愛していた。

 訳文も、原文もどちらも何度も読んだ。

「ええ、素敵な話ね」

 同士である母、ケイトリンが相槌を打つと、男たちはふいをつかれたように手を止めて、柔らかな眼差しをナターリアに送った。


「しかし、どんなに良い脚本も良い役者がいなければ話にならない」

 タジネット侯爵が主演の三人、特に二人の女優の演技を褒めた。

 確かに二人の演技は素晴らしかったとナターリアも思う。

 ふと、楽屋で微笑みあうアーサーとエディットの姿が頭の中に浮かぶ。

 かすかに胸が痛む気がした。

「おっしゃることはもっともです。ですが、マケーが書いたパリーシャ語を翻訳して、華麗な台詞に仕立て上げた、翻訳家も評価してあげないと。彼はロンディウム博物図書館の職員の一人なのですよ。ロンディウム博物図書館の理事総代」」

 ロンディウム博物図書館。

 アーサーがナターリアの一瞬の憂いを払しょくする。

 この観劇が、ナターリアが悩んでいる問題を解決するためにあったことを悟ったから。

 彼の言葉でゴールディア伯爵もタジネット侯爵の顔も真顔になった。


 デザートの後は、男女に分かれて、しばし歓談の時間を取るのが、社交の習いだ。

 このところ、遅寝もだいぶ慣れてきたが、ワインが甘口だったので、少し多く飲みすぎたようだった。

 幸い、今日は母しか女性はいない。

 機知に富む会話をしなければ、と緊張しなくても良いのがありがたかった。

 母と二人でいれば、自然と最近読んだロマンス小説の話になる。

 ゲオルク殿下達との約束の話は出なかったことに、疑問は残るが、ナターリアは久しぶりにゆっくりと取れた母との時間を楽しむことにした。


「まさか、あそこで“白百合のポレット”の題名が出るとはね」

 タジネット侯爵の声は笑い含みだ。

「社交界へのデビューは果たしましたが、まだまだ、子供だということで」

 ゴールディア伯爵は苦笑を洩らす。


「マケーはクレモンを地で行くような男なのだけれどね。自分の妻や娘には近づけさせたくないような」

「その言い方は、ご本人と面識が?」

 アーサーの問いに然りと答えるタジネット侯爵。

「パリシアに一年ほど赴任していた時とミランダと新婚旅行に行った時にね、会ってしまったよ」

「なるほど、タジネット侯爵の好敵手になるほどの色男というわけですな」

 ゴールディア伯爵は若き日のタジネット侯爵の艶聞を匂わせる。

「マケーは役者もやっていた。自分を演出するのはお手のものだった」

「タジネット卿にそう言わしめるとは」

 海の向こうのパリシアは、王には公的な愛人、公妾を持つことを許されている。

 彼女らは国庫から年金を貰い、公式な場で身に着ける衣服、装飾品は経費として国庫から支出されるのだ。

 そういう訳だから、パリシアが、上に倣えとなるのは必然で、パリシアの男、特に首都のシャルルマーニュの男達は“シャルマン”と呼ばれ、恋愛遊戯に長けているという風聞が各国で確立されていた。

 かつて古代ラーム帝国にあった歓楽の街、ギーヴォンの粋き者(すきもの)の後継者とも呼ばれている。

 本家であるエルトニアの都市国家群の男も負けてはいないのだが、国柄の違いか、その有様は微妙に異なっている。


 アンゲリアでは、王の愛人に正式な公妾という立場はない。王の寵妃に年金が支給されることもあるが、それは王家の私有財産から賄われるのが慣例だった。

 これは多くの女王を擁立してきた歴史的背景が根本にあるようだ。


「そのマケーも稀代の女優フランソワーズ・シュシュと結婚してからは、遊びも控えるようになったとか」

 フランソワーズ・シュシュは、マケーの友人でもあるガルニエ劇場の支配人、ギー・ダンピエールが見出した女優だったが、恋のさや当ての末、先に結婚を申し込んだマケーの勝利となった。

「マケーはフランソワーズにぞっこんだそうだよ。“リューイ”のメルジーヌ公爵夫人はフランソワーズの当たり役だったけれど、再演の時に、原作のクレモンやリューイとの際どい場面をかなり削る改変をしたと言うよ」

 人のことは言えないが、とダジネット侯爵は肩をすくめた。

「そのおかげで、“リューイ”は原作よりも上品、かつ深みのある話になりましたけれどね」

 アーサーが苦笑半分といった笑いをもらす。

「しかし、フランソワーズは第一子を産んだ後、女優に復帰していないのですよね。パリシアの演劇界にとっては大打撃ですね」

 歴史的に国家として利害が対立するパリシアの動向を気にしているアーサーは、政治だけではなく、パリシアの世相や流行にも目を配っている。

 数年前に訪れたパリシアでアーサーは彼女の演技を見ていた。


「もっとも、マケーに子供ができたことによって、リューイをはじめとするアンゲリア語での上演が実現できたわけです」

 妻と子供のためにと、マケーは借金をして邸宅を建てた。その借金のために、アンゲリアの劇場に「翻訳」されたリューイの上演を許可したのだ。

 パリシア、特にシャルルマーニュに住む者たちは、パリーシャ語を世界で最も美しい響きの言語と言ってはばからない。

(ラテン語は世界で最も神聖な言葉とも言ってはいるが)


「パリーシャ語からの翻訳を手掛けたのは、トーマス・エリオットという名だったか」

 タジネット侯爵が今夜の目的について具体的な話を口に登らせた。

「ええ、考古学を専門にしている男です」

「なぜ考古学の学者が演劇の脚本の翻訳をすることになったのだ」

 ゴールディア伯爵は、身を乗り出して葉巻の灰をトレイに落とした。

「考古学は古代の文字を解明することでその時代のありようを研究する部分もある学問ですから。また、彼は古代の祭礼についての研究をしているから、歌劇や芝居にも足繁く通っていたとか。その縁でパリシア語の訳を頼まれたようです」


 バイアール公爵家はいくつかの劇場や芸術家個人も何人か後援しているが、アーサー自身がそのすべてを把握しているわけではない。

 バイアール家の優秀な執事からの報告で、トーマス・エリオットの背景を知った。

 彼が、ロンディウム博物図書館の正規の職員となるのを熱望していることも。


「彼はアンゲリア、パリシア、ラテン、グリーク、エルトリア、イスパニア、ゲルマン、ノルド、ルーシー、ピザンチーム、アラム語を自在に操れるそうですよ」

「そんなに優秀なら、とっくに正規職員になってもおかしくないはずじゃないか。いや、それより外交官として各国に派遣したいくらいの人材だよ」

 ゴールディア伯爵も貴族のたしなみとして、パリシア語、エルトニア語は話せるし、ラテン、エスパニアの素養もある。

「確かに」

 タジネット侯爵もゴールディア伯爵の意見に同意する。

「ロンディウム博物図書館の正規の職員になるには、上司の推薦と理事の承認がいります。ここ三年、彼は上司の推薦を受けながら、最終的な候補として名は上がっていない」

「それはどうしてかね」

 博物図書館の理事総代が鋭い視線を投げる。

「今いったように彼が言語学者としても優秀だということが関係しています。彼はとある論文でサー・モリスの仮定を否定的に書いています」


「サー・モリスか。ビヨンヌ伯の子飼いだな」

 さすが長年ビヨンヌ伯と張り合ってきたタジネット侯爵である。アーサーも知らなかったサー・モリスと宮宰との関係を把握していた。

 けれど、総代としてサー・モリスをことさら忌避する態度をみせたことはない。政治と学問を切り離して行動するタジネット侯爵にアーサーは感じ入った。

 今、政治的な理由で動いている自分は彼の目にどう映っているだろう。

 アーサーは自身にわずかに嫌悪感を持ったが、アンゲリアの将来を憂慮し、自分の考えを推し進める。

 救いは、ナターリアやクロヴィスの希望に沿い、ひいてはゲオルク、コンラート殿下のためにもなると思えることだ。


「考古学者の論文が言語学者の仮説を否定することなどあり得るのか」

 ゴールディア伯爵は経済や数字には強いが、その他の分野の学術的興味は薄いようだった。これが息子のクロヴィスなら、すぐに考古学と言語学の学者たちが熱狂的に追及している古代文字と結びつけるだろう。


「メネフィス碑文か」

 タジネット侯爵が答えを出した。

「ええ、ロンディウム博物図書館で、一部が公開されているメネフィス碑文についての論文です」

 ナイル文明の神聖文字を解き明かす手がかりなると言われている石碑だ。

 読み方の失われたナイル文明の神聖文字の研究はラーム帝国時代の末期から行われているが、いまだ解読には至っていない。

 エギュプトを含むヌビア大陸は現在、アンゲリアとパリシアをはじめ、各国が覇権を争っている地域でもある。

 いままで発見されたメネフィス碑文の大部分はパリシアにある。


「ゴールディア伯爵は、学芸員の講義をご自分の屋敷で開くことを提案なさったと言うことですが」

「ええ。ナターリアがコンラート殿下の所へご訪問の際の同行者を誰にするか、という問題ですから」

「それも一手ではあります。ただ、それだとビヨンヌ伯の面目が立たない」

 アーサーが宮宰への配慮を口にする。彼は今の勢力バランスを大きく崩すつもりはない。

「しかし、幸いなことに、最近、新しいメネフィス碑文が発見され、ヘンリック陛下にお披露目、顕示された」

 エギュプトで起った小規模な争いのために派兵された軍隊の将校が発見して持ち帰ったのだ。

 発見した将校は。


「ロバート・フレミア侯爵」

 唸るようにゴールディア伯爵がその名を口にする。かつて、幼いナターリアに婚約を申し込んできた人物だった。


「顕示式はフレミア侯爵の意向で内閣と公爵以上の爵位を持つ者しか列席できなかった。そして、顕示された石碑は未公開のまま発見者が保管している」

 アーサーとタジネット侯爵は王にお披露目された石碑を見ているが、ほんのわずかな間だった。


「そのせいで、発見されたのは実は偽物ではないかと取沙汰されているようだね」

 タジネット侯爵は二本目の葉巻の端を切り落とした。

「私の提案が通れば、その噂も払拭されるでしょう」

「そのためには、フレミア候を説得しなくてはならない。そう簡単なことではないぞ」

 ゴールディア伯爵は渋面を作った。

「私達が説得するのは難しいでしょうね」

 アーサーはゴールディア伯爵にあっさりと同意する。

「ですが、男を口説き、動かすのは女性と相場が決まっています」

「ナターリアには無理だぞ」

 ゴールディア伯爵はアーサーに釘をさした。アーサーも彼女にそのような役割を期待しているわけではない。

「ナターリアには、フレミア公爵を落とすときに、同席してもらうことになるとは思いますが、フレミア公爵を動かすのは、彼のミューズ達にお願いしますよ」


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