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伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(16)

 バイアール公爵のロンデイルムの屋敷が、傾いた西日に包まれる頃、屋敷を差配する執事ヘンリー・マクミランは主人であるアーサー宛の手紙を選別していた。


 的確に素早く分けられる手紙の一つに彼はふと手を止めた。

 差出人はイングラム子爵、クロヴィス・ゴールディア。ゴールディア伯爵家の長男で、主人の婚約者のレディ・ナターリアの弟御である。

 ヘンリーはその手紙を脇によけて他の手紙の選別を終えた。

 区分けした手紙は書斎へと持って行き、翌日にアーサーが見聞する。

 ヘンリーは、手紙の束を書斎へ運んだ。それから、よけてあったクロヴィスからの手紙を銀の盆に乗せてアーサーの私室へと向かう。

 ナターリアからの手紙は最優先で運ぶよう命じられていた。弟のクロヴィスからの手紙も、それに準じた扱いをしたほうが良いとの判断だった。


 部屋に入ると主人は外出をするための服を選んでいた。

「どうした。ヘンリー?」

 従僕に上着を着せかけてもらいながら、主人が要件を尋ねてきた。

「イングラム子爵、クロヴィス様からお手紙でございます」

「クロヴィスから?」

 アーサー封を開けるようヘンリーに仕草で示した。

 ヘンリーは部屋にあるテーブルに銀の盆を置いて、主人の命に従った。

 手紙を広げて、アーサーに差し出すが、中身を覗くような無作法な真似はしない。


「確か、ロンディウム博物図書館から毎年、人事についての承認用の一覧が送られて来ているな?」

「はい。今年の分はまだ来ておりませんが、昨年のものでよろしいでしょうか」

「いや、五年分の資料を用意してくれ」

 ヘンリーは心得ましたと目を伏せ、「すぐにご用意いたします」

 と部屋を出る。

 書斎に戻ると、すぐにロンディウム博物図書館の人事一覧を机に並べた。


 ほどなく着替えを済ませたアーサーが書斎に入った。

「ロンディウム博物図書館でパリーシャ語に関しての権威といえば、サー・モリスだが」

 アーサーの呟きに、ヘンリーは、サー・モリスが宮宰と同じ紳士クラブに通っていることを告げる。

「そうか」

 ちらりとヘンリーの情報収集能力を褒める笑みを浮かべて、主人はまた一覧に目を落とした。

「お茶をお持ちいたします」

「ああ、頼む。それから花を」

「心得ました」

 ヘンリーは自ら台所まで行き、メイドに茶の用意をさせた。さらに馬車の用意をしていた従者達に、アーサーの外出が無くなったことを告げる。

「ミス・エディットの楽屋には花を送っておくように」

 ペイジ・ボーイに指示を出して、主人が今夜行くはずだった舞台の主演女優へ花束を贈る手配を済ませる。

「ああ、私としたことが」

 ヘンリーはもう一度、台所まで戻る。

「お茶と一緒に、サンドウィッチをお付けするように」

 アーサーは考え事をする時には、軽食しか取らない。

 だが、ヘンリーに指示されるまでもなく、料理長はキューカンバーとチーズのサンドイッチを作っていた。



 人事一覧を一通り見終わったアーサーは、ヘンリーが運んできたお茶とサンドウィッチを口にした。

 バイアール家はロンディウム博物図書館へ多大な寄贈と寄付をしている。そのためにほぼ世襲といっていいほど、代々理事を務めていた。ウォレスから、その理事職も受け継いだアーサーだが、内部の人事にさほど積極的には関与してこなかった。


 それは、組織が上手く回っているためだ。


 むろん、人間が集まっているのだ。

 博物館と図書館の館長は別々であり、予算取りの係争や人事に関しての多少のもめ事はある。

 ただ、ここ十年の間、博物館と図書館の館長を務めてきたアイザック・バローとサミュエル・ブラウンは長年の友人であり、人品も優れ、組織は極めて穏当な運営を行っていた。


「クロヴィスには悪いが、言語学ではなく、芸術的な方面に詳しい人物が良いか」


 クロヴィスの最終的な目的は、ゲオルクとコンラートと話をする相手を選ぶことだとは既に把握している。

 ナターリアやクロヴィスが真面目に、学究的向学心がある人物を選びたいのも理解している。


 しかし、その事が政治的なバランスを崩してしまうのはまずい。


 アーサーには、ヘンリック陛下と宮宰、レイモン・ビヨンヌ伯は王権の強化を狙っており、数世紀前に王の処刑や追放を経験し、まつりごとの中心を議会に移したアンゲリアのあり方を変えようとしている風に見えた。


 翻ってパリシアは王権の強い国だ。王を中心とした中央集権国家。ビヨンヌ家はアンゲリアの貴族だが、パリシアにも領土を持っていた。


 アンゲリアとパリシア。

 かつては、パリシアの大貴族がアンゲリアの王位を持っており、また、アンゲリアの王家がパリシアの王位を請求したこともある。

 十六世紀のアンゲリアの王が旧教と決別し、その後の様々な争いや革命で、今のアンゲリアとパリシアは宗教的にも政治的にもまったく違う国になっているけれど。

 パリーシャ語は外交官用語であり、パリーシャ語が話せない者は上流階級ではないと言っていい。

 さらに言えば、パリーシャ語の起源の一つであり、偉大なるラーム帝国の言葉であり、後には神の言葉として扱われたラテン語の基礎がないものは一流の教養人とは見てもらえない。


 バイアール家は、表向きは、宗教的には中立的な立場を取ってきた。どちらの派を選ぶかは個々の判断に委ねられていた。

 だが、歴代の公爵は旧教を選んだ者も多い。

 しかし、政治的には、議会に重きを置き、王権の肥大をけん制する立場だった。


 大陸でのブランシュバイツ家を重要視していた初代と二代目の王。

 自らを、アンゲリアに生を受け、アンゲリアと共に生きると宣言するヘンリック王。


 その覚悟と思いが、アンゲリアの政治の安定を揺らがせる。

 皮肉なことだった。

 純真にゲオルクとコンラートを思って人を選ぼうとしているだろうゴールディア家の姉と弟の思いの外で、政治的な駆け引きをしなければならないことに、アーサーは小さなため息を漏らした。


「ヘンリー、ロンディウム博物図書館の職員について他に何か知っていることはないか?」

 ヘンリーは部屋の隅に影のように控えていた。

「今夜、ご主人様が観劇予定であった“リューイ”は、元々パリシアで上演されたもの。パリシアの文豪、マケー氏の脚本をアンゲリア語に翻訳したのは、ロンディウム博物図書館の臨時職員の方でございましたね」

「トーマス・エリオットという男だ」

 リューイがかかっているロータス座の劇場主であるミラーからも、今日、花を贈ったエディットからも名前は聞いていた。


「トーマス・エリオット氏は、パリシア語にも堪能ですが、他の言語も精通しておられると聞き及びました。ですが、研究しているのは言語学ではなく……」

 アーサーはヘンリーがもたらす情報を興味深く聞いた。

「ゴールディア伯爵とタジネット内務卿に話を通さねばならないな」

 そして、要となる人物をアーサーは頭の中に描き出した。


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