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伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(14)

 一方、そのやり取りを聞いていた周りの人間は

「やっぱり、ふたりはいい仲だったんだ」

「残念だわー」

「まあ、お似合いよね」

 と口々に取沙汰していた。

「兄さんが、このやんごとないご令嬢を上手く射止めたってことか」

「上手くやったな」

 彼らはすっかり、ナターリアのほうが身分が上だと思っているようだった。

 下町訛りを感じさせる言葉をしゃべるアーサーが筆頭公爵だとは夢にも思わないのだろう。

「よし、ご祝儀だ。これで買えるだけくれ」

 イーストエンドの労働者と思われる男が1シリングを差し出した。

 アーサーとナターリアがそれぞれ6杯のコップが並んだ盆を差し出した。

「ほら、そこの坊主に娘っ子、おごりだ」

 見るからに、自分よりお金がなさそうな、少女や少年を男は手招いた。

 彼らはわっと、駆け寄ってきて、盆からコップを取っていった。

 思ったより人数が多かったのか、男の分まで無くなってしまう。

 それでも、あぶれた子供もいた。

 近くにいたやや上品な初老の男がさらに1シリングを追加した。その場にいる大人たちもさすがに1シリングを出すものはいなかったが、既定の1ペニーを払って、次々にコップを手にした。

 その場にいる人々のほぼ全員にレモネードが行きわたり、最初の男が「乾杯」と叫んだ。

「心優しい二人の未来に、教会の孤児たちに、恵み深き神の祝福を」

 人々の口から乾杯と祝福の声。

「ありがとう。神の同胞に、同じく祝福を」

 アーサーの応えに合わせて、ナターリアも心からの礼を取った。

 空になったコップが戻されて人々が笑顔で去っていく。

 最初にシリングを渡した男がにやりと笑って言った。

「これにジンでも混ぜてありゃ、もっと最高だったんだがな」

「今日は、孤児たちのためのジャンブル・セールですから」

 アーサーが笑い返して、片目をつぶって続けた。

「二人の結婚式には、ジンをたっぷり振る舞いますよ」

「そりゃ、いい。約束だぞ」

 男も茶目っ気たっぷりに言い返して、軽く手を振り、去っていった。

 その後もレモネードは売れに売れ、途中で急遽材料が足りなくなった。

「ささやかながら、貢献しよう」

 とオースティンが教会外の市場に材料を買いに走ってくれた。

 おまけに、果汁を絞る手伝いまでしてくれたのは驚きだった。




 セールは成功に終わった。


 すっかり売り物が無くなったのは、午後の三時前。

 遅れてきて何もないと知って残念そうな最後の客を送り出す。


 売り上げは過去の最高になり、セールに関わった者たちはみな満足げだった。

 子供たちが日頃の行儀良さを忘れて、はしゃぎ、喜び合っている。



「もともとお美しいが、笑うとますます魅力的ですね」

 オースティンは手にしていた花束を差し出した。セールの会場で売っていた花束だ。

「ありがとうございます」

 礼を言ってナターリアは受け取った。受け取らないのは礼を失する行為だと判断した。

 それに彼は、ナターリアだけでなく、グレイシー達やその付き添い嬢にも花束を渡していた。

 もちろん、マデリンにも。

「似顔絵を描いていらっしゃいましたね。私も書いて欲しかったのですが、人気があって時間内に間に合いませんでした」

 オースティンがマデリンに話しかけていた。

「それは申し訳ないことをしました。もし、次のジャンブル・セールにいらしてくださったなら、優先してお描きします」

 バーソロミュー教会のジャンブル・セールは年に一回である。社交辞令だが、やんわりとしたお断りともいえなくもない。

「貴女は、アーサーのお身内ですか?」

「いいえ、私はゴールディア家に仕えております」

「マデリンは私の先生ですの。亡くなられたお父様はお医者をなさっておいででした」

 医者は、貴族の次男、三男がよくなる職業だ。実際、マデリンは母の血縁のソードベリー男爵の遠縁にあたる。

 使用人でなく、レディとして扱われるべき女性なのだとナターリアは主張していた。

「ああ、そうなのですね。だからクロヴィス君とも、アーサーとも親しげ気に」

 オースティンがアーサーに視線を流した。

 アーサーはウォルターとセールについて熱心に話していた。

「ありがとうございます。公爵」

 宣言通り、セールで一番の売り上げを記録したアーサーにウォルターが礼を言った。


「彼らの準備と熱意によるものだよ」

 会場を片付け始めた孤児たちに視線を投げかけるアーサーを、ナターリアはまた初めて知ったような気持ちになる。 


「これから、教会の牧師様が労いのお茶を振る舞ってくださいます、公爵もご一緒にいかがですか」

 元通りになった教会の前庭でウォルターがアーサーを誘った。

 孤児たちは院の食堂でお菓子とミルクを振る舞われる予定だ。

「いや、残念だが、これから予定があってね」

 当然、お茶会に参加し、一緒に帰るものと思っていたナターリアはアーサーを仰ぎ見た。

「ナターリア、送っていけなくて申し訳ないが、急にオースティンと話をしなくてはならなくなってね」

 彼が、オースティンが来たのは、ただセールを見に来たのではないことを彼女は悟る。

「構いませんわ」

 彼女が微笑むと、アーサーはわずかに複雑な表情を作った。

「すまないね。この埋め合わせは近々必ず」

 アーサーがナターリアを引き寄せて軽く髪に口づけした。周りの人がため息をつくのを聞いて、彼女の頬は紅潮する。

「アーサー様」

 抗議をしようとナターリアは彼を追いかけた。周りの者は微笑まし気にその姿を見送った。

 教会の門の前に止められていた馬車に足をかけたアーサーが、ナターリアに振り向く。

「あれは前払いだよ」

 その言葉を残して扉が閉められた。中からオースティンの声がする。

「この女たらしめ。先日、彼女の女家庭教師(ガヴァネス)とも二人で会っていた……」





 牧師様が用意されたお茶を前にしても、ナターリアは上の空だった。


「ナターリア様、わたくし、ミス・マデリンの絵を買わせていただきましたわ」

 フロランスの声に我に返る。彼女が手にしていたものは、ナターリアのガヴァネスが描いた風景画だった。

 ゴールディア伯爵領にマナーハウス近くの風景だった。

「まあ、わたくしも欲しかったわ」

 会場を見ることもできなかったナターリアはセールで何も買えなかった。

 友人たちはそれぞれにいくつかの品物を購入していた。

「わたくしも何か購入して寄付の一助となろうと考えておりましたのに」

「でも、バイアール侯爵と直接のお客人に対応していたのだから、貢献は十分すぎるほどですよ」

 ウォルターが言えば、

「わたくしもお手伝いしたかったです。公爵とはほとんどお話しできませんでしたもの」

 ミフィーユが残念そうだった。

「わたくしも次は子供たちと一緒に売り手になってみたいです」

 おっとりとした口調でグレイシーも言った。

「教会に来るものの大半は善良な男女ですが、イーストエンド近くのこの教会には、少々行儀の良くない輩も混じることがありますから」

 教会の執事であるジョゼフ牧師が穏やかに言った。

「レディ・ナターリアはバイアール侯爵とその従者が睨みを利かせていましたから、不埒な輩は近づいてきませんでしたが」

 ウォルターもそう言う。

「ですが、子供たちは?」

 グレイシーが問いかけるとジョゼフ牧師は苦笑を交えて答える。

「子供たちは、そのあたりのあしらいは、馴れていますから。レディ達の前では大人しいものですが、院内では喧嘩もそこそこありますからね」

 令嬢たちは顔を見合わせた。彼女たちに見せているのは表の顔ということだ。それが少し寂しくあるが、正しくもある。

「なので、レディ達が表舞台に出るのを強いては推奨しませんが、今回、レディ・ナターリアは得難い経験をされましたね」

 ジョゼフ牧師が穏やかな言葉にナターリアは神妙に頷いた。

 そういえば。

「レモネードの対価として、銀細工の指輪をいただいたのですが、よろしければ、そちらをわたくしが買いあげたいのですが」

 ユージェニーの指輪は、寄付の一部として売られるだろう。誰とも知れない人に買われるより、今日の記念に自分が持っていたい。

「もちろん構いませんよ」

 快くジョゼフ牧師は承諾してくれる。

 ナターリアは指輪を寄付も含めて、ソブリン金貨1枚で購入した。



「今日は疲れました」

 屋敷に戻ったクロヴィスはため息をついた。

 二人を出迎えてくれたケイトリンがお疲れさまと二人を労ってくれる。

 父はいない。

 珍しくクラブに出かけていた。

 たまには、殿方同士の交流もさせてあげないとねと母は笑う。



 弱音を吐くのはクロヴィスにしては珍しいことだった。

「子供の相手は大変ですね。面白くはありましたが」

 自分もまだ子供だというのにそんなことを言う。だが、そう言えば彼はあまり同い年の少年と交流を持たない。

 王宮育ちということもあるが、コンラートと親しい間柄というのが、彼に壁を作っているのかもしれない。

 もともと勉学にのめり込みすぎる嫌いのあるクロヴィスが、半ば貴族の義務とはいえ、売り物の本を手ずから作り、当日は売り子までこなすとは思ってもみないことだった。


「そんなに疲れるなら、売り子は止めれば良かったのに」

「貴族としての義務です。それに経験でしか得られない知識もありますから。姉上は生き生きとしていらっしゃいましたね」

「そうかしら」

「アーサー様とも息が合っていらっしゃったし」

「次々と注文が来たのですもの。合うも合わないも、必死だっただけですわ」

 どんな様子だったか聞きたがる母に「私も疲れてしまいましたわ」と自室に下がる許しを請う。

 食い下がられるかと思いきや、ケイトリンはあっさりと二人を解放した。

「そうね。今日は二人ともお疲れさま。あとはゆっくりなさい。ああ、マデリンは私のおしゃべりに少し付き合ってちょうだいね」

「承知しました」

 付き添いをしていたマデリンが母の要望に応える。母はマデリンから今日起ったほぼすべてを聞き出すだろう。



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