伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(13)
バーソロミュー教会はセントラルシティとイーストエンドと呼ばれる下町の境目にある。シティを取り囲む城壁の一部として造られており、かつては修道院も併設されていた。宗教改革で取りつぶされた修道院が今は孤児院となっている。
教会の周りには市場が立ち、今日もにぎわいを見せていた。
富める者と貧しき者の交流する教会。ジャンブルセールが行われるのはそのような場所だった。
教会前庭は活気づいていた。
いつもは静かな教会の前庭に人々が行き交いにぎわっている。
朝早くから運び込まれた品々がテントの下で買い手を待っていた。
売り子は孤児達だ。
孤児たちはナターリア達の前ではいつも極めて行儀が良い。けれどいつにない興奮ではしゃいでいる雰囲気だった。
「オットー、用意はいいか?」
孤児達に混じって自ら動いていたウォルターが、みなしごの中で一番年上のオットーに確認した。
「はい、大丈夫です」
はきはきした様子でオットーが答えた。彼らはウォルターに対して驚くほど物恐じしない。
それはウォルターと孤児達のきずなを示していた。
そんな彼らを微笑ましい想いでみていると、ジェーンがナターリアに何か言いたそうな目見ていた。
「何かしら?」
ウォルターを見習ってナターリアは気さくに声をかける。
「あの、花はこれでよいでしょうか?」
おずおずといった調子のジェーンに、ナターリアはウォルターのようにはなかなかいきませんわと心の中で呟く。
孤児院の庭から摘んだ花を束にして、それも売るのだ。豪華さはないが可憐な花束が並べてある。
「ええ、とても綺麗」
にっこりと答えると、相手の顔に喜びが走った。ジェーンは十一歳でまだまだあどけない。
ウォルターが主宰するジャンブルセールは、貴族が行うチャリティとは趣を異にしていた。貴族からの一方的な施しではなく、持てるものと持たざる者との共同作業。
ウォルターに協力するのは、これで三度目になるが、そこが素晴らしいとナターリアは思っていた。
「そんなに熱い視線で見つめて、焼けるな」
ふいに近づいてきた男が背後からナターリアに言った。
「アーサー」
驚いて振り返えれば、いつもの装いとはまるで違った婚約者の姿があった。服はそれなりに上等なものの、かなり着古して、くたびれており、タイもゆるく結んでいるだけ。普段なら隙なく整えられている黒髪も乱れている。
立ち姿もやや違っていた。
とまどうナターリアを前にアーサーは「先にイーストエンドを散歩してね」とこともなげに言った。
そんな二人にウォルターが近づいてきた。ナターリアの友人達も。
ひとしきり挨拶を交わすと、ウォルターが言った。
「アーサー、今日は一日、よろしくお願いします」
「まかせたまえ。今日は一番の売り上げにしてみせるから」
「それは頼もしいです」
男二人が笑いあった。短い間に二人はかなり親しくなったようだ。
◇◇◇◇
「どうだい、奥さん、見て回って喉が渇いたろう?」
気さくというよりぞんざいといった口調で売り子をしているアーサーの隣でナターリアはレモネードをコップに注いでいた。
本来ならナターリアは売り手としてなく、買い手として会場を回る予定だった。自分達が用意した物以外の品を買って売上に貢献するつもりだった。
しかし。
「ウォルターの話を聞いたら、直接、参加しない手はないと思ってね」
アーサーはセールの売り手となることを自ら申し出たのだそうだ。その手伝いとしてナターリアも一緒に。
「聞いていません」
「だって、君は私と会ってくれなかったから」
「ですけど、一言あっても」
抗議をしようとするナターリアの唇をアーサーが人差指で押さえる。
とっさにナターリアは身を引いた。
「子供たちの前で争うのは良くないよ。それに」
君はやってみたいと一度も思わなかった?
そう尋ねられれば、ナターリアは否定できなかった。アーサーは彼女が好奇心旺盛なことをよく知っているのだ。
クロヴィスが孤児達と一緒に、自分が翻訳して写本した手作りの本を並べている。彼はこの日のために一年間で、5冊もの本を作成した。
「クロヴィスも教会の執事と一緒に売り手をやるそうだよ。自分が作った本をどんな人物が買っていくのか知りたいそうだ」
「クロヴィス」
ナターリアは弟を呼んだ。
駆け寄ってくる弟に言い聞かせる。
「ウォルター様の言うことをきちんと聞くのよ」
「もちろんです。姉上。姉上もアーサー義兄上とレモネードを売るのですよね」
ナターリアがアーサーの提案を受け入れることを確信している返事だ。
そして、弟の確信は間違いなかった。
アーサーの声掛けに女性が足を止めた。
「そうね。いただくわ」
買った物を抱えた、見るからに中産階級の人。彼女がアーサーからコップを受け取る。
アーサーはにこりと笑った。
そんなに笑顔を振りまかなくても、よろしいのに。
レモネードは主に女性客に売れていた。若い女性の一人がうっとりとアーサーを見上げている。
「なかなか似合っているじゃないか」
一目で上流階級とわかる紳士をクロヴィスが案内してきた。
紳士はクロヴィスの作成した本を片手にしてくれていた。
弟の足取りは弾むようだ。売れるかどうか内心心配をしていたのをナターリアは知っている。
紳士はナターリアもたしか一度お目にかかったことがある。
「オースティン」
下院の議員であるオースティンだった。モノクルをかけたその姿は特徴的だ。
笑っていてもどこか皮肉気なところも。
「では、僕は執事様の所に戻ります」
クロヴィスは軽く会釈をしてその場を離れていく。ただ、意味ありげな視線をナターリアに投げかけていくのが気になった。
「ちょっとひやかしにきたんだが、まさか、やんごとない君たちが自らセールの売り子をなさっているとは」
レモネード売り場の周りにいた男女が「やんごとない」とささやきあって遠巻きになった。
「ひやかしなら帰れ」
にべもなくアーサーが言う。
「つれないな、親友」
「誰か友人を連れてきたのか?」
アーサーが自然な調子で辺りを見回した。オースティンが露骨に顔を顰めた。
「アーサー、俺にも一杯、これで客だ」
オースティンが注文した。アーサーは事務的な動作でコップを渡す。
「どうせなら、そちらのお嬢さんに手渡しされたかったが」
「彼女は、女性と子供専用だ」
アーサーが答えるとオースティンがやれやれと肩を竦めて硬貨を投げてきた。
それは半クラウン銀貨だった。レモネードは1ペニーだ。慌ててナターリアがお釣りを数え始めるが足りない。
「釣りはいらないよ」
アーサーが当然だというように頷き、ナターリアに渡す。
そういえば、少額な硬貨をこんなにも扱ったのは初めてだった
オースティンは上流階級らしく、半クラウンでも無造作に渡したが、親に言われて一ペニーを大事そうに渡す子供や、たった一杯を回し飲みする家族もいた。
今まで裏方に専念していたナターリアには、それは新鮮な経験だった。
下町訛りまでうかがわせるアーサーの受け答えに、改めて彼女は驚かせられる。
そんな二人を少し離れた場所でオースティンが眺めていた。
やんごとないと聞いて一瞬ひるんだ庶民たちが、アーサーとオースティンとのやり取りを聞いて、冗談だと判断したらしい。
いつもより格段に地味な服装をしているナターリアも、良いところのお嬢さんだとは感じているものの、伯爵令嬢だとは思われていないようだった。
「私達と子供たちに」
人気があるアーサーから貰うのをあきらめたのか、二人の子供を連れた母親がナターリアに声をかけてきた。
「はい、ただいま」
孤児たちの返答を見習ってナターリアは答える。
ふと見渡すと、会場には社交界で見知った顔がいた。
だが、そうした人々は、自らセールの売り子をしているアーサーとナターリアを見て眉を顰めている。
オースティンのように近づいてくるものはほとんどなく、いても、アーサーとナターリアに、会釈をするくらいだ。誰もレモネードを購入する者はいない。
レモネードを立ち飲みするのは紳士淑女としてありえないことなのだろう。
ピクニックでランチをするのと大差はないとナターリアは思うのだが。
コップにレモネードを満たしながら、また一人、彼女は顔見知りを見つけた。
あれはユージェニー様。フロリッツ子爵家の令嬢だった。ナターリア自身はあまり親しくはないが、グレイシーとは屋敷が近いこともあり、親交があるらしい。
確か、一つ年上だが、あまり社交界には出てこないという。
グレイシーが言うには勉強家で、話すと博識だとか。
もしかしたら女官僚を目指しているのかもしれない。
見つめていたせいか、相手がこちらに気が付いた。
一瞬、驚いたように目を見張ったのは、アーサーとナターリアが孤児たちに交じって、品物を売っているからだろう。
他の貴族たちのようにその場を去るかと思いきや、彼女はナターリアに近づいてきた。
「何をなさっていらっしゃいますの?」
ジャンブルセールで物を売っているのだ、寄付のためだとは解かっているのだろう。するとこの質問は貴族のナターリア達が何故、立ち働いているかとの問いかけだ。
ナターリアが口を開く前にアーサーが答えた。
「私がウォルターに無理を言った。金を寄付をするだけなく、自らの労働で志に応えたいと。ナターリアは婚約者としてその手伝いをしてくれている」
「自らの行動で」
空になったコップを客の一人から受け取るナターリアを見てユージェニーは意を決したように頷いた。
「わたくしにもそれをください」
ユージェニーの言葉に少し離れていた付き添いの夫人が慌てたように近づいてきた。
「いえ、一杯ではなく、二杯、彼女の分もね」
ナターリアはすばやく二杯のコップを盆にのせて差し出した。さすがにアーサーのように手渡しはしない。
ユージェニーがコップを受け取り口をつけると、付添人はあきらめたように自らもコップを手にした。
「美味しかったわ。ありがとう」
ユージェニーの言葉と共に付添人が硬貨を盆の上に置く。
「ああ、これも」
ユージェニーは自らの身に着けていた銀の指輪を盆の上に置いた。
「お二人の優しさと勇気に」
ナターリアとアーサーはお互いに目を見交わして声を合わせる。
「ありがとうございます」
立ち去るユージェニーの背中は晴れ晴れとしているように見えた。