伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(6)
メアリーアンは銀のペーパーナイフを使って封を開けていく。
隣では開けた封筒からナターリアがカードや手紙の中身を確かめていた。
デビュタントが終わったとたん、ナターリアに次々に招待の手紙が舞い込み始めた。
一日に二十通近くは届いている。
「ナターリアは人気者ね。わたくしの時にはこんなに沢山は届かなかったわ」
メアリーアンが山になった封書をナターリアに届ける時に行き合ったケイトリンは、笑ってお出掛けになった。
「夜会の招待状はアーサー様と相談をした方が良いかしら?」
ナターリアが部屋に控えているミス・マデリンに尋ねた。
「そうですわね。まずバイアール公爵が招待を受けた夜会に一緒に参加されるほうが望ましいと思います。おそらく今日の午後にはバイアール公爵から打診があるのではないでしょうか」
「では、こちらの招待状は保留にしておくわ。三日後はグレイシー様の屋敷にご訪問をするとお約束したし、その次日はクロヴィスとコンラート殿下に会いに行く。とバーソロミュー教会も訪ねるし、来週のご招待はお断りのカードを送れば良いわね。あら、これは」
タジネット家からの晩餐会の招待状だった。
「これはお父様とお母様宛では」
ナターリアが小さく呟いて、宛名を確かめた。
「間違いなくわたくし宛てね。晩餐会はジャンブルセールの二日後。これはご招待をお受けしなければならないわよね?」
「タジネット侯爵家のお誘いでございますから」
ナターリアは招待状を幾つかの束に分けるとペンを取り上げた。
まず、お断りの手紙を書いていく。
ついで、ご招待を受ける旨の手紙。
書き上げた手紙にひとつひとつ蝋で封をしていく。
「では、これをロバートに渡して。二時間ほど読書をするからそのまま休んでいていいわ。マデリンもありがとう」
メアリーアンはナターリアから手紙の束を受け取った。
ナターリアの封筒はアイボリー色である。
あらかじめ名前が印刷されている特注の封筒だった。
ナターリアは届いたばかりのロマンス小説を読むつもりなのだ。
読み終わったら、ケイトリン、マデリンが読み、それからメアリーアンにも本が回ってくる。
メアリーアン自身は実をいえば、怪奇ものが好きなのだけれど、お屋敷勤めである身であり、貸本屋に行く機会はほとんどない。
このゴールディア家ではケイトリン、ナターリアが大部分の小説を低俗と切り捨てず、好んで購入して、使用人にも提供してくれる。
だから、コートの下やポケットに入れて、隠して屋敷に持ち込まなくてよいし、貸本屋に1ペニーを払わなくても本が読める。
ファッション・プレートで飾られたポケットブックはメアリーアンのレディース・メイドとしての仕事にも役立ってくれる。
ファッション・プレートは昨年に流行したドレスを載せている。
もちろん、流行は先取りするものであり、大陸の、特にパリシアからの情報にも敏感でなくてはならない。
レディース・メイドたるもの、仕える主人が最高に美しく見えるようにしなければならないのだから。
13歳から15歳までいたお屋敷は、コック長がパリシア語しか話せなかったので、片言のパリーシャ語を見知っていたが、今は語学に堪能なマデリンがメアリーアンの先生だ。
彼女のあやつるパリシア語はめきめき上達していた。
他の屋敷の家庭教師と違い、マデリンはメイド達にも距離を置かない。
主人のエドモントを始めとするゴールディア伯爵家の人々も、他家に比べれば、使用人に対しておそろしく気さくではあるが。
何せ、使用人の名前を全て本当の名前を覚え、呼んでくれるのだ。
例え、それが下級のスカラリーメイドやペイジ・ボーイであっても。
ハウス・スチュワードのブライアンは常々言っている。
「ゴールディア家では、旧いラームの習慣の名残が息づいている」
領主と使用人が共に食卓を囲むことが日常的であった旧い習慣。
ともすれば蔑ろにされる使用人が、主人から一個の人と扱われることがどれほどうれしいことか、ナターリア達は知らないだろう。
ゴールディア家の人に取っては当たり前のことだから。
メアリーアンは次席バトラーのロバートに手紙を渡した。
「ご苦労様です。確かに預かりました」
ロバートはメアリーアンを労ったが、ご苦労なのはロバートの方だ。
手紙は主人一家が王都内に出すものは、彼自身やページボーイが各お屋敷へ。地方や使用人のものは彼が郵便局へ運ぶ。
お屋敷へはペイジ・ボーイが行くことが多いが、雨風がある日は、必ずロバートがその大部分を行っていた。
メアリーアンはロバートのそんなところが良いと思っていた。
ゴールディア家の黄金の心は使用人達の中にも息づいている。
「雨が降りそうよ。ロバートも気をつけて行ってらして」
メアリーアンはロバートに労いの言葉を返した。