伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(5)
ナターリアとアーサーがバルコニーに消えた後、ゴールディア伯爵夫妻は幾人かの貴族に囲まれた。
マルテス・タジネット侯爵と奥方のミランダ夫人、法務次官のパウエル・デリトリー子爵、上司でもある大蔵卿のリース侯爵。外務次官のデニス・ハーバー伯爵とその夫人のレディ・クリスタ。
「大胆ですね、バイアール公爵は」
アーサーと一番年の近いデリトリー子爵は少し呆れた風だ。
先ほどの王太子とのことだろう。
ゴールディア伯爵は曖昧に頷いたが、内心頭を抱えていた。アーサーがあの場面であのような行動をするとは思いもよらなかった。
自分が娘に声を掛けるべきだったと臍をかむ。
その上、二人でバルコニーに消えるとは。
アーサーはナターリアが今日、社交界にデビューしたばかりだと言うことを忘れているのだろうか。
賢明なマデリンがバルコニーへの入口から少し離れた場所に立っていてくれているが、物見高い貴族の格好の話題になるのは目に見えていた。
「バイアール公があんなに独占欲が強いとは」
含み笑いをしているのはリース侯爵だ。
「あの見事な黒真珠はバイアール公からですか」
「ええ」
苦い口調でゴールディア伯爵は肯定した。
耳飾りどころかドレスや靴までアーサーから贈られたものだとは彼らも想像していないだろう。
ゴールディア伯爵はケイトリンに目を走らせた。彼女は慎ましい様子で皆の話を聞いているが、面白そうに目をきらきらさせていた。
ケイトリンは昔からこうだ。恐れを知らず、好奇心が旺盛。大抵の事を楽しむ事ができる。
「陛下と王妃殿下は何か仰っておいででしたか」
ゲオルク殿下とアーサーが、ナターリアを挟んでやり取りをしていた時、王と王妃の一番近くにいたタジネット侯爵にゴールディア伯爵は尋ねた。
臣下としては王の反応が気になる。
「陛下は特には何も。王妃殿下は、レディ・ナターリアは人を惹き付けるところがあると陛下に仰っていた」
少し思案するようにタジネット伯爵は顎に手を当てた。
「ご自分も話をしてみたいとも」
「それは光栄な事ですが」
顔を片手で覆いたい気持ちを押さえて、ゴールディア伯爵は言葉を出した。
誰ともなく一同は王と王妃の方に視線を向けてから、中央で踊る王太子を眺める。
最初の固さは取れて滑らかな動きだ。
けれど、表情はまるで動かない。それでもお相手のステンリー伯爵家のレディ・マーガレットはゲオルクにぼうっとなっていた。
「どうも、我々が想像していた方とは中身は違うようだね」
タジネット侯爵は一同の共通した気持ちを口にした。
繊細な美貌とめったに公式行事に出て来なかったことで、王太子はもっと柔弱な青年と皆に思われていた。
ナターリアと踊っていた彼は想像より生き生きとしており、アーサーと対峙した時は、かなり年上の相手と対等にふるまっていた。
いや、アーサーが王太子への配慮があるにせよ、対等以上だったかも知れない。
アーサーが一緒と言う条件は付いたものの、ナターリアを自分の元へ招くのを当然の事として、貴族達に周知したのだから。
「ゲオルク殿下に若いレディ達は魅入られたようですな」
リース侯爵が会場を見回した。
ダンスに加わっていない令嬢達が熱心にゲオルクを見つめていた。
「若い令嬢ばかりではなさそうですけれど。紳士も淑女も注目していますもの」
ハーバー伯爵夫人クリスタが小さく笑った。
「我々もね」
ハーバー伯が合いの手をいれる。
曲が終わり、踊っていた者達が礼をして離れた。
ゲオルクがバルコニーに顔を向ける。
ざわりと会場の空気が揺れた。
ナターリアとアーサーが会場へ戻ってきたのだ。
二人は睦まじい様子で中央へと滑り出た。
音楽が始まる。
パリシアが発祥のメヌエット。
上品な仕草で踊る二人は節度ある距離感を保ち、二人を見つめる貴族達の表情を見るかぎり、好意的に取られているようだった。
メヌエットが終わると、ナターリアの既知であるクラリッジ伯爵家のウォルターが二人に近づいていく。
「しばらくお会いしませんでしたね、レディナターリア。最近は慈善バザーにも朗読会にもいらっしゃらなかった」
「なにぶんデビュタントの支度で忙しくて」
「もちろん解っています。グレイシー嬢もお見かけしませんでしたから」
「二週間後のバーソロミュー教会の慈善バザーには必ず参りますわ。レースの小物を何枚か編みましたのよ。わたくしもグレイシー様も」
「私の孤児達の奨学金集めにご協力感謝します」
「とんでもありません。恵まれない人に手をお貸しするのは、貴族として、いえ、人として当然ですもの」
「私達の孤児達?」
ナターリアとウォルターの会話にアーサーが口を挟んだ。
「ええ、我がグリニッジ家はバーソロミュー教会の運営する孤児院の後援をしています」
「それは素晴らしい」
「ありがとうございます。バイアール公爵が行っている慈善事業に比べればささやかなものです」
「私は君やナターリアのように直接関わってはいないから」
謙遜するアーサーにウォルターは尊敬の眼差しを向けていた。
「バイアール公爵は昨年、10歳未満の労働を禁止する法案を出されていましたね」
「残念ながら、可決されなかったが」
「でも、今年も出されるのでしょう?」
「そのつもりだ」
「そうやって毎年法案が出されれば、少しずつ意識が変わっていつかは法案が通るでしょう」
ウォルターが断言した。
「ありがとう。そう言って貰えると心強い。……慈善バザーは二週間後だったね。私もナターリアと一緒に何か協力させて欲しい」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「慈善バザーに直接参加するのは初めてだ。いろいろ教えてくれるね、ナターリア」
「わたくしがお役に立てるのでしたら」
ゴールディア伯爵は3人の会話に耳をそばだてて聞いていた。
「王太子だけでなく、アーサー様も人気ですわね」
ケイトリンがゴールディア伯爵にだけ聞こえるようにささやいた。
当たり前だ。アーサーの評価はもともと高い。
特に変革を望む若い世代には。
申し出があったのか、ウォルターがナターリアの腕を取って中央へエスコートする。
アーサーは、自分は踊らず、先ほどとは違い無表情で踊る二人を見つめていた。
「レディ・ナターリアに不用意に近づく男は容赦なく排斥されそうですね」
デリトリー子爵が同意を求めようにゴールディア伯爵に視線を寄越した。
「でも、どなたにかしら」
ミランダが不穏な発言をした。その視線の先に。
中央では、王太子が令嬢とステップを踏んでいる。
しかし、彼はたびたびパートナーではないナターリアを気にしていた。
やがて、晴れやかなデビュタントにも終わりが訪れる。
ゴールディア伯爵も一度だけケイトリンと踊った。
舞踏会の主役は社交界にデビューした若者達だが、立て続けに踊れるものではないから。
王と王妃は舞踏会が三分の二ほど過ぎた所で退出していた。
しかし、いつもは王達と共に引き下がる宮宰がまだ居残っている。
参加者ではなく、舞踏会を取り仕切る彼は踊りはしなかったものの、様々な人々と話をしていた。
王太子はラスト・ワルツを踊らなかった。
アーサーとナターリアは軽やかに最後のターンを回ってみせた。