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伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(4)

 ワルツが終わってナターリアの視界に真っ先に飛び込んできたのはアーサーだった。


 ゲオルク殿下の肩越しに目が合う。緑の双眸が燃えるように輝いてみえた。


 ナターリアの背に震えが走る。

 怒っていらっしゃる?でも何故?


 アーサー様が怖い。

 初めて彼女はそう感じた。目を反らしたいのにナターリアは身動き出来ない。

「レディ・ナターリア」

 彼女を抱擁したような形でダンスを終わらせたゲオルク殿下が彼女から離れた。

 殿下の体がアーサーの視線からナターリアを隠した。

 同時に体の緊張がほどけた。


「疲れたのか」

 ゲオルク殿下のお訊ねにナターリアは「少しだけ」と正直に答えた。

 注目を浴びながら踊るのは考えていた以上に消耗する。


「そうか。では、あちらで少し休もう。」

 ゲオルク殿下はそのままナターリアを伴ってアルコーブのある場所へ向かおうとする。


「それはいかがなものでしょうか、殿下。」

 静かな声がゲオルク殿下の行動を遮った。

 いつの間にかアーサーが近づいていた。

「バイアール公」

「レディ・ナターリアはお役目を果たされたと存じます」

「ああ、見事に」

「でしたら、今度はゲオルク殿下がお役目を果たさなければ。みな、殿下のお声がけを待っております」

「バイアール公は待っていられなかったのか」

 ゲオルク殿下は自分の行動を遮ったことが不快だと仄めかす。

「これは年長者としての責務でございます。王家に連なるものとしてご忠告申し上げました」


 筆頭公爵バイアールのアーサー。


 彼の祖父はゲオルク一世の長女ヴェルフィーネ王女と結ばれていた。

ブランシュバイツ王朝の第二代ルドルフ陛下の姉上である。


 さらにバイアール公爵家はブランシュバイツ王朝より以前の王朝に仕え、支え、かつその血をも引いている。


 前王朝であるウェセックス朝の断絶が決定した時、バイアール公爵家が王座を継ぐという話もでた。


 しかし、時の公爵の妻が元は旧教徒であり、バイアール公爵家も旧教に比較的寛容であったことに加え、代々の公爵は統治ではなく、政治を選んできた。

 打診をされた公爵は、我の任には非ずと王位を辞退した。

 ブランシュバイツ家が王座に着けたのは、バイアール公爵が辞退した上で、ブランシュバイツを(すい)したためである。



「王家の御者」と口さがない者は言う。

 王は馬車の中で行き先を指示するが、その道筋を選ぶのはバイアール公爵家だと。


 恩人であり、庇護者であり、目障りでもある公爵家。

 ブランシュバイツ王家にとってのバイアールはそのような立ち位置だろう。


「そうだったな。再従兄弟(はとこ)殿。コンラートと違い、今まであまり親族としての交流がなかったが」

「お望みでしたら、これからいくらでも」

「ならば、美しき婚約者を伴って私の無聊を慰めに来て欲しい。()()()()()()()()()()彼女は未来の親族なのだから」


 二人のやり取りをやきもきしながら見守っていたナターリアにゲオルク殿下が微笑む。

 ナターリアは微笑む相手に息を飲んだが、すぐに顔を伏せて、膝を折った。

「光栄にございます」

 それ以外に何が言えよう。ナターリアは顔を上げたくないと心から思った。




 ゲオルク殿下がナターリア達から離れると、彼の周りを人々が取り囲む。

 ナターリアとアーサーに注視する人もいるが、王太子の希求力には及ばない。


「こちらへ」

 アーサーがナターリアを即した。アルコーブではなく、バルコニーへ(いざな)う。

 途中、心配そうに見ている両親に大丈夫ですと笑いかけた。


 バルコニーに出ると、月明かりが王宮の庭を照らしていた。

 春宵の月はどこかおぼろげで、強張ったナターリアの体と心を(ほぐ)していく。


「ナターリア」

 春風より優しい声でアーサーが彼女の名を読んだ。

 ほっとして彼女が彼の目を覗き込めば、幼い頃から慣れ親しんだ緑が瞬いていた。


 踊り終わった時に感じた怖さはどこかに消えて、ナターリアの知る彼が体温を感じるほど傍にいた。

 名前を呼んだきりアーサーは何も話しかけてこない。

 でも、不安はない。彼はナターリアが落ち着くのを待っていてくれるのだ。


 心地好い沈黙が二人の間にある。


 彼が傍にいてくれれば私は幸せなのだ。昔から。


 それはナターリアの中に光のように差し込み、心を照らし出す。


 信頼と愛情。


 突如として顕れたそれは、ロマンス小説で語られているような陶酔や甘美さを伴うものではなく、ただありのままの事実がそこにあるだけ。


 めくるめく恋が自分に訪れなくても、アーサーの傍らで人生を歩めば、どんなことにも立ち向かえる。


 健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、 悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、 これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすこと。


 結婚の誓句がごとく。



「踊ろうか」

 ナターリアの心に気がついたかのようにアーサーが誘う。


 月明かりの中で二人は踊った。

 ワルツのようなホールドはない。ただ手を合わせて回転する。

 誰かに見せるためではなく、お互いを感じるためのダンス。


 アーサーのカフスがラピスラズリだと気がついて、ナターリアは喜びに顔を輝かせた。


 紫紺に金が散る宝石は彼女の瞳の色だ。


 ダンスが終わるとかすめるようにアーサーの唇がナターリアの唇に触れる。


 少し驚いてアーサーを見れば、彼はいたずらを成功させた子供のように笑っていた。


 わたくしは婚約破棄をしなくても幸せに生きられる。


 アーサーの瞳に映る自分はとても嬉しそうだった。

 



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