表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/120

伯爵令嬢の禍福得喪は舞踏会の音楽と共に(2)

「クリノリンを勧めてくれてありがとう」


 隣にいるマデリンにナターリアはささやいた。

 舞踏会が始まるまでのしばしの休憩の時間だった。


 西翼にある広間と部屋が解放されて謁見を終えた貴族の子女は大地に夜のとばりが降りるのを待つのだ。

 淡いクリーム色の優しい雰囲気の室内は重厚な玉座の間と異なり、人をリラックスさせる。


 広間には飲み物や軽食が用意されていた。

 マデリンが飲み物を渡してくれた。


 ナターリアはマデリンに微笑みながらグラスを受け取り、口に運ぶ。

 エルダーフラワーの香りをつけた炭酸水が喉を滑り落ち、緊張のために乾いた喉を潤していく。


 ナターリアはそっとゲオルク殿下の姿を探した。

 しかし、彼はいない。自室で一人休んでいるかもしれない。


「ナターリア様」

 ウェインテッド家のグレイシーがナターリアに声をかけてきた。

 とび色の瞳が生き生きと輝いている。

 膨らんだ袖にバッスルスタイルのドレスは愛らしく彼女を引き立てていた。


「緊張しましたわ」

 グレイシーはため息をつくように言った。

「わたくしも」

「ナターリア様が?落ち着いていらして、さすが王宮で暮らした事のある方は違うと思っておりましたけれど」

「陛下や王妃殿下とお会いしたのは片手で数えられるほどですもの」

「そうでしたわね。でも、先だって王妃殿下やゲオルク殿下と王宮の薔薇園を散策なさったとお聞きしましたわ」

 王宮の噂は流れるのが速い。

 アーサーのリュートの演奏から薔薇園での出来事は王宮に出入りする者なら承知しているだろう。


「ええ、コンラート殿下や弟と一緒にアーサー様のリュートを聴いておりましたら、たまたま陛下と王妃殿下が通りかかられて」

「その後、怪我をしたナターリア様をゲオルク殿下がエスコートされたのですね」

「怪我などしておりませんわ。アーサー様が王妃殿下のエスコートをしていらっしゃったので、後からおみえになられたゲオルク殿下が礼儀上、エスコートして下さっただけですのよ」

 噂はどこかで尾ひれがついたらしい。

 ナターリアはゲオルク殿下のエスコートは、あくまで礼儀のためと言う。

「それでも、まるで物語かお芝居のようですこと」

 グレイシーはうっとりとした顔をする。

 詩や物語が好きな彼女は物事をロマンチックに受けとめて解釈する。


 お芝居。

 確かにあれはお芝居だった。宮宰が演出した一幕の劇。


 では、これから始まるデビュタントの舞踏会も、ビヨンヌ伯爵が演出する舞台となるのだろうか。


「それにしても、ゲオルク殿下は素敵ですわね」

「そうですわね」

 ナターリアは相手を否定しないという感じの返事をした。

  もっと熱心な同意をしてくれると思っていたらしいグレイシーは二三度まばたきをした。それから

「バイアール公爵様とは違った雰囲気ですものね」

 納得したように言う。


 そうかしら?

 外見はまるで違うが、二人は、根本の雰囲気は似ているとナターリアは思った。それが何なのか、まだはっきりとはしないけれど。


 ナターリアは広間を見渡した。

 こちらを見ていた人達と視線が合う。

 中にはこちらへ近づくそぶりをする人もいた。


 目の端に王宮の小姓がマデリンに何事かささやく姿を捉えた。


「ナターリア様、お部屋が」

 マデリンが控え目にナターリアを呼んだ。

 彼女は一呼吸おいて、ごめんあそばせとグレイシーに言った。

 広間近くの部屋が確保出来たのだ。

 このままグレイシーと歓談するのも良いが、薔薇園の出来事が思う以上に話題になっている。

 ちらちらと投げかけられる視線からしばらく離れたい。

「では、またのちほどお会いしましょう」


 これは戦略的撤退。


 戦記物で覚えた言葉を思い浮かべて、ナターリアは広間から離れた。


◇◇◇◇


 広間から少し離れた小部屋は、深い海色の絨毯が敷かれていた。


 広い机が二つ。テーブルと椅子。壁際に長椅子がひとつ。柱も壁もいたってシンプルだ。


 長椅子に座って彼女の父と母が待っていた。


「おめでとう、ナターリア。謁見での態度はとても立派だったわ」

 ケイトリンがにこやかに言った。

 ゴルーディア伯爵は他の廷臣達と一緒に玉座の間にいたが、ケイトリンの姿は見かけなかった。




「コンラート殿下と一緒にいたの」

 いたずらっぽく、ケイトリンが明かした。

 玉座の間に隣接する王族用の控え室にいたと言う。

 成人前のコンラートはそこで兄の儀式を見ていたらしい。

「私も誇らしかったぞ」

 ゴルーディア伯爵は娘を軽く抱きしめる。

「ありがとうございます。お父様」


 両親に勧められるまま、ナターリアは軽食を摘まむ。

 舞踏会では飲み物も食べ物も出されるが、淑女は口にしないのが普通だから。

 男性に飲み物を勧められた時は、儀礼的に一口か二口は口にしてもよいけれど、お酒は極力避けるようにと両親とマデリンに厳命されていた。




 部屋の扉が軽く叩かれた。

「なんだ」

 ゴールディア伯の従者であるジェームズが扉を開けて告げる。

「バイアール公爵がナターリア様にご挨拶したいとお見えです」

 アーサーの名前を聞いたゴールディア伯は渋面を作った。

「入っていただいて」

 代わりにケイトリンがアーサーを招き入れた。


 長身のアーサーが部屋に入ると部屋が手狭に感じる。


 いいえ、彼の存在感がそうさせるのだわ。


 久しぶりに顔を合わす仮初の婚約者。

 アーサーに贈られたドレスに身を包みながら、彼はどこか遠い。

 彼は親しい態度を取るが、ナターリアから一歩引いたところで彼女を観察している気がする。


 アーサーはゴールディア伯爵夫妻に挨拶をした後、ナターリアに向き直った。

「ディア・ナターリア、素晴らしい謁見式だったね」

「はい、つつがなく終えることが出来て、わたくしも安堵しております。これも一重に皆様のおかげですわ」

 淑女の返事としては完璧なはずなのに、アーサーは少し眉をひそめた。


「謁見を終えたら、急に大人になってしまったようだね。これでは舞踏会が終わったらどれだけ成長するか。どうかナターリア、私の背より大きくならないで欲しいな」

 アーサーはナターリアをからかう。


 まだ、彼の中では私は子供なのですわね。

「大きくなったらいけませんの?」

 少しつんとした声が出た。

「もちろん。君を抱えて我が屋敷に迎える時に、落としてしまったら大変だからね」


「失礼ですわ。わたくし抱っこをされるような子供ではあり…ま…せ」


 反論する途中でナターリアはアーサーが花嫁を迎える時、抱き上げて家に入る慣例について言ったことに気が付いた。

 ナターリアは自分の勘違いに顔を紅く染める。


「ああ、ナターリア。ああ、ナターリア」

 アーサーが破顔した。愉しくて仕方がないと表情(かお)が云っている。




「バイアール公爵、デビュタントを迎えた娘を祝福にきたのではないのかね」

 ゴルーディア伯爵は気心のしれた幼なじみであり、婚約者であるアーサーだとしても、やや無作法な彼の言動を注意した。


「失礼しました。急に大人びたレディ・ナターリアを見て淋しく思ってしまいまして。長年、妹のように接していましたから。ですが、伯爵、貴方にはこの気持ちを理解していただけるものと思っております」


 頭を軽く傾げて、アーサーはゴルーディア伯爵夫妻に謝罪をする。


 夫妻は許すと言う印に頷いた。伯爵はやや憮然と夫人は面白がるような表情を持って。


「レディ・ナターリアも私を許してくれますか」

 両親が許したら自分も許さないわけにはいかない。


 ずるいですわ。


「許します」

 短く固い声でナターリアは答える。許しの印の手は与えない。今、手に口づけをされたらピシャリと彼の顔を打ちたくなりそうだ。

 淑女としてはあるまじきことに。


「良かった。お許しが出た。せっかくデビュタントのお祝いの品を持って来たのに、披露もせずにすごすご帰らねばならない所だった」


 アーサーは自分の部屋の外の従者に合図をした。

 従者は恭しい態度で中へ入り、手にした小箱を開けた。


「素晴らしいわ」

 ケイトリンが。感嘆の声をあげる。


「マイディア、受け取って下さいますよね?」

 アーサーがナターリアにお伺いをたてる。


 ナターリアは言葉もなかった。これは受け取って良いものなのかしら?


 彼女は母、父、そしてマデリンに問いかけの視線を向けた。

 父は首を横に、母は縦に振った。


 では、マデリンは?


 マデリンに視線で解を求めると、アーサーがにこやかに言う。


「よく分かりましたね。これはミス・マデリンがデザインをした品です。とても良く出来ているでしょう?」


「いつの間にうちのマデリンに頼んだのかしら」

 ケイトリンが探るような目付きをアーサーに投げた。

「ドレスのデザインが決まった後に。ミス・マデリンの美的センスはレディ・ケイトリンのお墨付きでしたから」


 マデリンと、ひいてはそのセンスを認めるケイトリンへの賛辞を口にするアーサー。


 そんな会話の中でナターリアは小箱の中身に釘付けだった。

 マデリンがデザインした宝飾。ナターリアの好みを良く分かっている品。


 贈られて嬉しくないわけはない。


 でも、ずるいですわ。とナターリアは繰り返す。


「この後の舞踏会で是非、身につけてください。そのために作らせたのですから」

 アーサーがささやくように話す。


 ああ、もう、否やは言えない。


 これはナターリアの盾でもあるのだから。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ