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伯爵令嬢の人格形成はロマンス小説と共に(26)

 アーサーが弾いたのは、妖精に捕らわれた騎士のバラッドだった。彼は乙女の愛で解放される。


 リュートが最後の音を鳴らす。

 一同が称賛の拍手を再びアーサーに送った。




 ヘンリック陛下は、アーサーの曲を聞き終えると「時間切れだ」と残念そうに執務に戻っていった。


 ナターリア達は王妃殿下に誘われて、薔薇園の散策に加わる。


 アーサーがマルグリッテ王妃殿下に請われ、エスコートをしている。

 代わりにナターリアはエスコート無しで控え目に後方から付いていくことになった。



 マルグリッテ王妃がアーサーに話しかけて、側においている。


 コンラートとクロヴィスは貴婦人方から構われていた。


 ナターリアにエスコートを申し出る紳士がいないのは、婚約者のアーサーがいるためだろう。


 彼女はこれ幸いとゆっくりと薔薇の花を眺めていた。

 かぐわしい香り。ナターリアは可憐なオールドローズの花に目を止めた。

 薔薇の足元には小さな黄色い花も控えめに咲いている。


 立ち止まって薔薇と野の花を観賞していたら、ナターリアは一行からやや遅れてしまった。

 前方の華やかな集団をナターリアはぼんやりと眺める。


 コンラートが振り返って手招いた。

 ナターリアが追い付こうと足を踏み出したとたん、脇の小道から人影が彼女を遮った。


 見上げれば、丈高く、繊細な美貌を持つ青年の顔。




「ゲオルク殿下」

 ナターリアは礼を取ることも忘れ、相手の名前を呼んだ。

「こんにちは。レディ」


 慌てて膝を折ろうとするナターリアに、挨拶はいらないとゲオルク殿下が言い、彼女に手を差し伸べる。

 マルグリッテ王妃譲りの金髪に王家の琥珀色の瞳。

 光の加減で綺羅と輝き、金色に見える。


 あまり表情が動かないこともあって、彼の容貌はどこか彫像めいている。


 エスコートをすると申し出られ、ナターリアは一瞬、迷った。しかし、王子の申し出を断るのは不敬だ。

 ナターリアはそっとゲオルク殿下の手に自らのそれを重ねる。

「ありがとうございます」

 ナターリアが礼を口にすると、ゲオルク殿下は少し唇の両端をあげる。微笑みの一歩手前の表情だった。


 手のひらから腕へ。正面から脇へと、横並びになる。


 病弱と言われていて、あまり人目に出ない彼の手は、レディのように柔らかいのかと想像したけれど、意外に固くてしっかりしていた。


「君はコンラートと仲が良いのだね」

「緑児の頃からお側におりましたから」

「そうだったね。君はゴールディア家の令嬢だった」

「はい、光栄なことに母はコンラート殿下の乳母としてお仕えさせていただきました」

「覚えているよ。乳母は普通なら自分の子供を置いて宮廷に来るものだけれど、その慣例を覆した女丈夫だ」

「先駆けとなられたのは、マルグリッテ王妃殿下ですわ。おかげでわたくしと弟は母と別れずに済みました。感謝しております」


 そう、第一王子、隣にいるゲオルク殿下が生まれた時、マルグリッテ王妃殿下は、子供は自分元で育てる、乳母は要らないと宣言したのだ。


 ただ、ゲオルク殿下があまりに病弱だったのと、コンラート殿下を生んだ時には、マルグリッテ王妃殿下の母乳の出が良くなかった。それ故にケイトリンが乳母になったのだ。


 折悪しく、質の悪い風邪が巷で流行っていた。コンラートは離宮へと隔離され、そのまま戻されることなく、今にいたる。


「確かに私は母の元で育ったが」


 二人は連れ立って歩いていく。薔薇を観賞するナターリアの速度に合わせて、歩みは遅い。


 先行しているマルグリッテ王妃殿下達から大分離れてしまう。王妃殿下達はゲオルク殿下とナターリアが一緒にいるのは気がついている。

 ビヨンヌ伯爵がこちらを見ながら、王妃殿下達に囁いていたし、取り巻きの貴族達もちらちらと後ろを見返る。

 コンラートとクロヴィスはナターリア達の方へ来たそうだが、レディ達に阻まれている様子だ。


 ただ、アーサーだけが、こちらを振り返ろうともしない。

 傍らには、王妃殿下と美しい貴婦人。


 彼が何事かを言って、王妃殿下と回りの貴婦人が笑った。


「薔薇が好きなのか?」


 ナターリアの揺れる心に滑り込むように、ゲオルク殿下が話しかける。


「薔薇も好きです」

「他に好きな花があるのか」

「花なら大抵のものは好きです。木に咲く花も、地を這う花も。手入れをされた花園も素敵ですが、野に咲くシロツメクサの広がりも素敵です」

「野に咲く花か。私は見たことがないが、美しい光景なのだろうね」

 ゲオルク殿下は遠い目をする。蒲柳の質のうえに王太子という立場の彼は王宮から離れられない。

 彼は二度、王家の持つ夏の離宮へ行ったことがあるが、そこも人の手で整えられた場所だった。


 ナターリアも母やコンラートと共に夏の離宮に行ったことがある。

 その折、母は何度か離宮の範囲の外、近隣の村や近くの川に連れ出してくれたが、常に王妃殿下の近くにいるゲオルク殿下がそのようなことは許されなかったろう。


 母の側にいるのは幸福なこと。

 ナターリアはそう思っていた。彼女が母と共にいるのは幸せだったから。

 けれど、ナターリアには母から離れ、自由になる多くの時間もあった。

 常に、誰かに見守られるゲオルク殿下。

 彼はもうすぐ17歳だ。成長した彼は、それを少しばかり息苦しく感じているのかもしれない。


「野辺の花を今見ることが出来なくても、想像することはできますわ」

 ナターリアは視線を地に向ける。薔薇の影にひっそりと咲いている黄色い花。カタバミ。


 人の多くは華やかな薔薇に目を奪われてしまうが、春は隔てなく、どの草木にも訪れる。


 できるのか?

 と目だけで問いかけるゲオルク殿下の瞳を真っ直ぐに受け止める。


「わたくしは竜にも、妖精にも会ったことはありませんが、想像はできましたし、恋も未だに知りませんが、想像はできますもの」


 突拍子もない答えだったのか、ゲオルク殿下の大理石を彫り上げたような顔に驚きがわずかに滲む。


 彼の端正な顔に今度こそ微笑が浮かぶ。


「その想像力が、我が弟に婚約を申し込んだのだね」


 小さな頃の逸話を持ち出され、ナターリアの頬が紅潮した。


「まるで綻ぶ薔薇のようだ」

「からかっていらっしゃいますのね。ゲオルク殿下は面白がりなお人柄と初めて知りましたわ

「そうだな。私も初めて知った」



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