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伯爵令嬢の人格形成はロマンス小説と共に(25)

 四阿(あずまや)には心地よい風が通っていた。

 壁は無く、六本の支柱が屋根を支えている。白い柱には華麗な彫刻が施されていた。


 四人は設えられたベンチに腰かけた。


 コンラートの応接間ではナターリアはコンラートの隣だったが、今度はアーサーの隣に座っている。


 端から見れば婚約者のリュートを熱心に聴く令嬢といった様子に見えるように。


 もっともアーサーが弾きはじめれば、彼女が熱心な聴者になるのは間違いない。


 アーサーがリュートを爪弾いた。

 耳に優しい音が風に乗って辺りに広がる。


 彼は音階を確かめると国の誰もが知っている古謡を弾きはじめた。


 談笑を交えながら彼が二曲弾くと、陛下が王妃殿下をエスコートして来るのが見えた。

 ゲオルク殿下の姿はない。代わりに宮宰と幾人かの紳士とレディが付き従っていた。


 アーサーはそ知らぬ素振りで、ナターリアに顔を寄せる。


「何か弾いて欲しいものはあるかな?でも、このところ忙しくてあまりリュートに触っていなくてね。複雑な難曲は口にしないで欲しいな」


 アーサーがいかにも大切そうにナターリアに言った。

 年下の二人が物珍しそうにこちらを見ている。

 次第に近づいてくる陛下一行もこちらに気がついたようだった。


 少し、いたたまれない。


「恋の歌がいいね。私の気持ちを表すなら」

 答えないナターリアに代わってアーサーが言い、有名なバラッドを弾きはじめた。


 難曲は無理と言いながら、中盤の盛り上がり部分はかなりの腕を必要とするバラッドだ。

 アーサーはそれを楽々と弾きこなした。


 彼が弾き終えると、三人の手から拍手が起きた。

 いや、少し離れたところからも規則正しい拍手が聞こえた。

 陛下が王妃殿下のエスコートを解いて拍手をしていた。


 アーサーが今気がついたと言うような(てい)で楽器を置き立ち上がる。


 もちろん、後の三人も。


「父上、母上」

 コンラートが一歩前に出て挨拶をした。

 追従してアーサー、ナターリア、クロヴィスも礼を取る。

 ナターリアの目の端にヘンリック陛下か軽くうなずく姿が映った。


「佳き演奏だった。アーサー」

「お褒めいただき、ありがとうございます」

「アーサーのリュートの腕前は、ウァレス叔父上より耳にしていたが、実際に聴くのは初めてだな」

 気さくに陛下はアーサーに話しかける。

 陛下とアーサーは近しい縁戚。アーサーの父であるカルプ大公ウァレスとヘンリック陛下は今のコンラートとアーサーのような間柄だったそうだ。


 宮宰のレイモン・ビヨンヌ伯爵が台頭してくるまでは。


 レイモンは海を隔てた隣国に出自を持つマルグリッテ王妃殿下の親戚だった。

 彼がマルグリッテを海の向こうから呼び寄せた。


 麗しのマルグリッテ王妃。

 豊かな黄金の髪を結い上げた、その姿は二児の母とは思えない。


 ヘンリック陛下はマルグリッテ王妃を熱愛している。


「素晴らしい演奏ですわね。コンラートはバイアール公爵のリュートをいつも聴いているのね」


 マルグリッテ王妃殿下がコンラートに視線を下ろした。


 美しい母に声をかけられたコンラートは少し頬を上気させて返事をした。

「子供の頃にはたびたび弾いていただいていました。ですが最近はあまり聴いておりませんでした」


「まあ、どうしてですの?」

 王妃殿下がアーサーに問いかける。

 アーサーが少し目を伏せた。


「公爵位を継いでから、人前で演奏するのは控えておりました」


「でしたら、わたくし達はとても幸運でしたのね。滅多に鳴かない鳥がさえずる時に行き逢わせて」


 吟遊詩人をバードと呼ぶことに掛けて王妃殿下が声をたてて笑った。

 回りの貴族達も控え目に笑う。


「素敵な小鳥さんは、今日はどうしてさえずりましたの?」

 王妃殿下はアーサーを鳥に例えることを気に入ったようだった。


「春風と妖精達に誘われて」

 唇に笑みをはいてアーサーは応じる。

「あら、わたくしの息子はいつチェンジリングにあったのかしら」


「チェンジリングにあったのは王妃殿下では?変わらぬその艶やかさ。女神デメーテルの拐われた娘、プロセピナと取り替えられたのではありますまいか」

 リュートの弦を鳴らして軽口めいた台詞を口にするアーサー。


 まるで、王妃殿下を口説いているよう。

 艶然と微笑めば、王妃殿下の回りにいた貴婦人達が彼にうっとりと見とれる。


「それでは私が冥府の王ハーディスということか」

 アーサーと王妃殿下のやり取りに陛下が口を挟む。その顔は少しばかり鋭い。


「大地の富の支配者」

 クロヴィスが小さく、だがその場にいる者に聞こえるくらいの声で呟いた。


 それは、冥府の王の別称。


「ゴールディア伯のご子息、王の御前ですぞ」

 ビヨンヌ伯爵がクロヴィスの不作法を咎めた。

 クロヴィスが体を屈め、礼をして謝意を表す。


「よい。妖精は人の(のり)の外に有るもの。案内人の言うがまま、妖精の集いに許可無く迷いこんだは我らのほうだ」

 ヘンリック陛下は軽く手を振ってクロヴィスを許す。

 この成り行きは宮宰の差し金と気がついた様子である。

 陛下の声に怒りはない。ハーディスの別称は王を称賛するものだったからだろう。


 弟を許されたナターリアは淑やかに膝を折った。


「妖精の友であるバイアール公爵、その演奏を我ら人にも聴かせてくれまいか?」

 陛下がアーサーに演奏の再開を命じた。アーサーは少し間をおいて返答する。


我が妖精(マイ・フェアリー)が許すならば」


「コンラート?」


 王妃殿下がコンラートの名前を呼ぶ。もちろん、彼は両親と週に何回かはご機嫌伺いの挨拶は交わしている。

 しかし、あくまで挨拶であり、交流時間はあまりに短い。

 王妃殿下の優しい声はコンラートが欲してやまないものだ。


 コンラートはマルグリッテ王妃殿下とヘンリック陛下を交互に見た。

 二人の顔にコンラートへの愛情が垣間見られると思うのはそうあれと願うナターリアの気持ちのためか。


「アーサー、お願い、もう一度リュートを弾いてくれる?」

 コンラートはまっすぐにアーサーを見つめる。

 クロヴィスもうんうん、とうなずいていた。

 ナターリアも「お願い」と唇を動かした。


「では、我が運命(フェアリ)の赴くままに」


 アーサーは、軽く礼をして、ベンチに腰かける。

 典雅な音色が彼の指先から流れ出る。


 ナターリアの背後で茂みがざわめいた。


 もしかしたら、本物の妖精がアーサーのリュートを聞きに来たのかもしれない。


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