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伯爵令嬢の人格形成はロマンス小説と共に(20)

 なんで、こんなにたくさんの布が必要なの?


 ナターリアの心はその言葉を胸の中で叫ぶ。


 シフォン、シャンタン、ジョーゼット。

 サテン、タフタにベルベット。


 かなりの広さの部屋の中は、白、白、白。

 白い布地で埋め尽くされている。


 メリーアンを筆頭に使用人達はやや興奮ぎみに。

 母のケイトリンは嬉しげに。


 そして。

 この騒ぎの張本人はゆったりと椅子に掛けて女たちの喧騒を眺めていた。


 騒ぎの只中にいるナターリアと言えば、驚きも興奮もとうに過ぎ去り、疲れとかすかな倦怠感を感じていた。


 アーサーが、絹商と大量の絹織物を伴ってゴールディア邸を訪れ始めてもう、三日。

 今日こそ決めると、この部屋にナターリアが来てから、かれこれ二時間は経っている。

 いくつもの布地をあてがわれ、これがいい、だが、これも捨てがたいと悩む母。(とメリーアンと母のレディス・メイドのスザンヌ)


「貴女はどう思って?アーサー」

 ケイトリンが振り返ってアーサーに問いかけた。

 捻られた肢体は優美で、落ち着いた艶を漂わせていた。


「そうですね」

 アーサーはまじまじとナターリアを見つめてきた。

 推し測るような視線を受けて、彼女はなんとなく身の置き所がないような気持ちになってしまう。


「少し、不躾ではないかしら」

 ナターリアの言葉と声は内心の戸惑いから非難の色が滲んでいた。

「不躾?」

「紳士たるものそんなに女性を見るものではありませんわ」

「これは失礼、マイレディ。我が婚約者に一番似合う色はどれだろうと考えていました」

「どれと云っても、全て白ではありません?」

 織り方は違っていても、白は白。さほどの違いはありはしない。


「その僅かな違いが大事なのですよ」

 アーサーの言葉に母を始め回りの大人達がうなずく。

 アーサーは軽い身のこなしで立ち上がり、ナターリアに近づいてきた。


 テーブルの上に置かれた母謹製のレースを手に取りナターリアの肩に掛けた。

 ナターリアのドレスは仕立ての見立てのために肩やデコルテが大きく開いている。

 アーサーの指先がむき出しの肩に触れると皮膚が微かに震えるような気がした。


「ああ、やはり良く似合う。さすがはご母堂であるレディ・ケイトリンの手に成るものですね」


 繊細なレースを良く見ようとしてかアーサーが顔を近づけた。

「バイアール公爵」

 その動作を押し留めるようにアーサーに声をかけたのは部屋の隅にいたマデリンだった。

 家庭教師(ガヴァネス)であり、今はナターリアのレディス・コンパニオンも兼任しているマデリンの声にアーサーは屈めていた姿勢を正す。

 その顔には苦笑が浮かんでいた。


 ナターリアは詰めていた息を静かにはいた。


 近頃のナターリアはアーサーが近づくと少し緊張する。子供の頃は遠慮斟酌なく、自ら近づいていたのに。



「ケイトリン様、わたくしも意見を言わせていただいてもよろしいですか」

「もちろんよ。マデリン。貴女のセンスは素晴らしいもの」

 マデリンは家庭教師としてナターリアに女性の教養の一つである水彩画も手解きをしてくれていた。彼女の美的センスはゴールディア邸にいるものなら誰もが知るところである。


 アーサーが興味深そうにマデリンを一瞥してから、広がる絹布(けんぷ)の波に視線を移した。マデリンがそれを追うように首を巡らせた。


 マデリンは視線の先の絹布を取り上げた。

 巻かれた布を広げて子細に眺める。

「バイアール公爵のお目は確かでございますわね」

 満足げにマデリンが言った。広げた布が彼女の手でナターリアの体に当てられる。


 艶やかに光る絹。しかし、それは煙るようなとろみをもっていた。


「まさしく。これだわ」

 ケイトリンが高らかな声で裁定を下した。母のイエスがあれば他の者が口を挟めるはずもない。


 布は決まった。次はドレスのデザインだ。


「やはり、デビュタントだから、クリノリンを使ったドレスが()いと思うのだけれど。どうかしら、ナターリア」


 ケイトリンが娘に問いかける。


「流行遅れに見えるのではなくって?お母様」

 鉄や鯨の髭で作られた大きなクリノリンは、転倒などの危険性が問題視されてか、昨今では廃れはじめていた。

 今もナターリアはペティコートだけのスッキリとしたドレスを身につけている。

 コルセットも着けているが、さほど締め付けはしていない。締め付けなくても十分にナターリアのウエストは細い。


「最近はシルエットが細身になってきているけれど、膨らんだドレスは乙女のロマンが詰まっているのよ」

 形の良い指を頬にあてて、ケイトリンが呟く。


「コルセットは最新の医学では、推奨できないと言われていますよ」

 アーサーがさりげなく意見を述べた。

 ナターリアとしても、ぎゅうぎゅうと締め上げられるのは御免被(ごめんこうむ)りたい。


「貴女はどう思って?」

 ケイトリンがマデリンに尋ねた。


「一昔前に流行ったような大きなクリノリンは論外と存じますが、ダンスをなさるのでしたら、クリノリンを使用したほうが動きやすいのではありませんか?広がりを控えめに、かつ、膝丈までの小さなクリノリンを使用してはいかがでしょう?」


 マデリンが部屋の隅のテーブルからスケッチブックを取り上げ、さらさらとペンを走らせる。

 そして、ケイトリンに歩み寄り、彼女にスケッチブックを手渡した。


 満足そうにケイトリンがうなずいた。

「素晴らしいわ」

 ナターリアとアーサーが揃ってケイトリンに近づく。

 優雅な手つきでケイトリンは娘にスケッチブックを差し出した。その絵を見てナターリアは、「素敵」と呟くとマデリンに視線を投げた。


 そこには微笑んだ彼女の理解者がいた。


 アーサーが脇から覗き込むようにして、スケッチブックを眺めた。

 アーサーのつけている香水の薫りが彼女をくすぐる。


「貴女の家庭教師(ガヴァネス)は天才だね。早くこれを着た貴女を見てみたい」

 甘くささやくような声を耳もとで聞いて、ナターリアはアーサーを見上げた。

 木の葉色の瞳は優しげに細められているのに、何故かナターリアは怖いと思った。


「公爵様もお気に召していただいたようですね」

 マデリンがアーサーに言った。

「ええ、貴女の才能は素晴らしい」

 上機嫌なアーサーの声はいつも通りだ。ナターリアはほっとして力を抜いた。


「お褒めいただき光栄です。裾の膨らんだドレスは過剰でなければ、優美でごさいましょう?」

 マデリンがナターリアに「スケッチブックを」と云うように手を差しのべた。

 ナターリアはスケッチブックを渡すために、数歩アーサーから離れた。


 彼女からスケッチブックを受け取りながらマデリンが言う。

「それに、膨らんだドレスの広がりは、よからぬ考えを持つ殿方から距離をおく為にも有効です」


女達の視線がアーサーに集まる。

 一瞬の後、彼は下心はないと言うがごとく両手を広げてみせた。


思った以上に、読んで下さった方がいてとても感激しています。

ありがとうございます。


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