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伯爵令嬢の人格形成はロマンス小説と共に (1)

 ナターリアがロマンス小説に夢中になっていたのは、八歳の時。


 当時、流行りだしたその小説を手にしたきっかけは、身近にロマンス小説を愛する人がいたから。


 誰であろう、母である。


 ナターリアに、と言う名目で購入されたそれを母ケイトリンは先ず自分が読んでから娘に渡した。


 自分と同じ楽しみを分かち合うため、同好の士を作るため。


 子は親の鏡と言う。


 ナターリアは母の期待通り、いや、期待を越えるほど、夢中になった。


 夢見る幼い少女に甘いラブロマンス。

 中毒になるのも無理はない。


 そのロマンス小説を実現しようと行動を起こすほどに。


 そして、その頃の最先端なロマンス小説の流行りは「婚約破棄」だったのである。


 婚約破棄ものが出始める少し前に主流だったのは、貴賤結婚。

 アッパーミドルが、上位貴族や王族に見初められて結婚する話だった。

 しかし、それでは貴族には、あまり受けない。


 そこでニーズを満たすために作られたのが、貴族の令嬢の婚約破棄ものであった。


 落ち度のない娘(大抵貴族)が、言われなく婚約者から婚約破棄を(だいたい人前で)告げられる。


 けれども、振られ貶められたヒロインは急展開で救われ、初めの婚約者より何倍も素敵な恋人ができ、愛に満ちあふれた世界で生きる。


 初めの婚約者は、別れたヒロインをもう一度好きになったり、友情を分かちあったりもする。



「婚約破棄すれば、幸せになれますのね」

 伯爵令嬢で、王家の離宮育ち。

 純粋培養を極めていたナターリアである。


 指針である母は、第二王子の乳母に選ばれたのは、その善良無垢さゆえと言われたケイトリン・ゴールディア。

 まったきロマンス脳を持つ女性だった。


 幼き少女がロマンスとリアルを重ね合わせることに何の罪があろう。



 無垢なナターリアは、まず父親のゴールディア伯爵に頼んでみた。

「幸せになりたいので、婚約破棄を前提にした婚約をさせてください」


 しばらく離れて暮らしたせいか、子供たち、特にナターリアには甘い伯爵である。

 しかし、「却下する」とにべもない。


「何故ですの」

「私のキャベツちゃん、良いかい。婚約とは約束と同じだ。約束を破るのは良いことかな?」

「悪いことですわ」


「そうだろう。婚約破棄を前提に、ということは、私はあなたに悪いことをしますと言っているのと同じことだよ」

「でも、破棄をするのは相手の方ですわ」

「だが、婚約破棄はお前が望んでいることだろう?」


「でも、婚約者さまも、好きな人ができるから。それは素敵なことで」


 ロマンス小説の中で、破棄をする相手には、真実の愛を捧げる女性が現れる。

 そんな人が現れるなら、相手にだって良いことだろう。


 つたない言葉でナターリアが言うと、伯爵はかぶりを振った。

「でも、相手は、落ちぶれたり、不幸になったりすることが多いだろう?」


 なぜか内容を熟知している父だった。


 父は、それでは婚約した相手が気の毒と言う。

 さすがは、名前通り、黄金の心を持つと言われる父である。


 ちなみに、ゴールディア家は、運が良く、苦労しなくても富が集まる。なので、黄金に好かれているとも言われていた。


 ちょっぴり、誇らしく思いつつ、仕方なく引きさがるナターリア。




 その事に、ゴールディア伯爵は安堵する。


「仮にでも、あまり早く他の男のものになってほしくないのだよ」

 という、父親らしい本音をゴールディア伯爵は隠していた。



 ナターリアは、引きさがったが、諦めた訳ではない。

 とうてい不幸せになりそうもない相手をターゲットにしたのだ。


 すなわち、第二王子、コンラート・マクシミリアンである。


 コンラートの乳母と言う立場から、ケイトリンが降りてから二年経ったが、親子三人は、たびたび離宮に招かれていた。


 コンラートが会いたいと回りに懇願していたからである。


 王太子ではないコンラートは、比較的自由な立場だったし、愛くるしい王子の願いを無下にできる大人はいなかった。


 実際、ゴールディア伯爵が妻と子供をそろそろ返して欲しいと願いでなければ、伯爵夫人はまだ、乳母としてコンラートに仕えていただろう。


 その日も、三人はコンラートの住む離宮の一室にいた。


 一緒に午後のお茶を飲んで、そろそろ帰ろうかと言う頃、ナターリアは挨拶でもするように軽く言った。


「コンラート、私と婚約破棄を前提に婚約してください」


 コンラートなら、よく知っているし、性格も良い。

 五歳だけれど、頭も良くて、かわいい。

 婚約している最中は一緒に遊べるし、婚約破棄した後も仲良くできるだろう。


 何よりそんな彼に、真実の愛をプレゼントできる。

 これなら、お父様も賛成してくれるはず。


 そんな単純な考えだった。


 だが、ナターリアの希望はコンラートの愛らしくも優しい言葉で粉々になった。


「破棄をしない婚約ならしても良いです。あまり一緒に遊べなくなって淋しいから」


 これを聞いた大人達は驚いた。


 婚約をしても、つまりは結婚をしてもいいと思うほど、ナターリアをコンラートが気に入っていると。


 ケイトリン伯爵夫人だけが、

「あら、まあ」

 と、微笑んでいた。


「婚約したら、前みたいに一緒にねんねできるんだよね」

 コンラートは嬉しそうに言う。


「一緒にねんねは、結婚してから。いや、そうではなく」

 離宮を束ねる侍従長が慌てていた。


 コンラートが「ダメ?」とナターリアに訊ねる。


 うん、とナターリアは言ってあげたかった。けれども、それではナターリアもコンラートも真実の愛をつかめない。


「ダメ、婚約破棄をしなくちゃ幸せになれないもの」


 ナターリアの言葉にしょんぼりするコンラート。


 彼女は慌てて言った。

「でも、私はコンラートのお姉さまよ。一緒に遊びたかったら、いつでもお城にくるわ」


「一緒にねんねもしてくれる?クロヴィスも一緒に。一人だとベットが広すぎるの」


 コンラートの言葉に、回りの大人達は、胸を撫で下ろした。


 第二王子は、いといけない五歳。離宮で一緒に過ごした二人の乳兄弟が恋しいだけだと。



「コンラート様、ナターリア様、よろしいですか。お二人は、大きくなったら一緒にねんねはできません」

 侍従長が、ゆっくりと諭す。


「婚約してないからだね。やっぱり、婚約して結婚しようよ、ナターリア」


「いえ、いえ。ナターリア様はお断りしましたでしょう。それが正しい選択なのです」

 ナターリアがもう一度断る前に侍従長が言った。


「なんで?」

 とても悲しげなコンラートの声に、侍従長は少し躊躇ったが、意を決したように言った。


「お二人は乳兄弟でございます。法で決まってはおりませんが、王家の方は、しきたりとして乳兄弟とは結婚しないことになっております」


 ナターリアもコンラートも初めて知った「しきたり」に驚いた。


 二人のそばにいたクロヴィスは、良くわからなさそうに、二人と侍従長やケイトリンを見ていた。


「でも、一人は淋しいの」

 コンラートは泣きそうになった。


 そのあまりに悲しそうな様子に、王宮でのお世話係り達は、顔を付き合わせて相談を始める。


「お昼寝の時なら、構わないのではないですか」

 侍従長が言う。


「そうですな。たまになら。五歳と八歳ですし、ゴールディア夫人に付き添っていただけるなら、問題ないかと」

 コンラート付きの近衛も頷く。


「ゴールディア夫人だけにご負担をかける訳にはまいりませんわ。私も付き添いいたします」

 第二王子の女官頭も賛同する。


「お泣きなさいますな、コンラート様。今はまだ大きくないので、お昼寝は一緒にできますから」


 聞いたとたん、コンラートの顔は明るくなる。


「良かった。ナターリア、お昼寝は一緒だって。これから三人でお昼寝しよう?ケイトリン、良いでしょう?」


 王子に言われて断れるはずもないし、ケイトリンも断る様子もなく、承諾する。


 コンラートはナターリアとクロヴィスの手をとり、弾むように寝室へと向かった。


 ケイトリンと女官頭がそれに続く。


 侍従長は、寝室へ向かう王子に頭を下げた。




 ◇◇◇◇




 その一連の出来事は、

「まあ、おませさんね」

 と、ほほえましく見られ、成長した親戚に、お前はこうだったと、ちょっぴり恥ずかしいエピソードとして、からかわれる。


 そんな成り行きになるはずのもの。


 ナターリアの「婚約破棄」に拘る心を知って、自分の恋の後始末に利用しようとする、女たらしの公爵が、彼女に婚約を申し込まなければ。


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