伯爵令嬢の婚約破棄は教会の鐘と共に(17)
城の主であるバイアール公爵アーサーにウィリアムは呼び出された。
断る理由はない。
ウィリアムにしてみれば、同じ上流階級でも、雲上人と言っていい、バイアール公爵と言葉を交わしたことなど、この城に来るまでまったくなかったが、その人となりには以前から興味があった。
お呼びだしが来たと言うことは相手もウィリアムに興味を持った証だ。
バイアール公爵にことさら媚びるつもりはないが、既知になっておくのは、やぶさかではない。
ウィリアムが案内されたのは、バイアール公爵の私的な書斎だった。
重厚な造りをイメージしていたが、予想に反して、明るくさわやかな印象の部屋だった。
古い城館なので、明り取りの窓こそ大きくはないが、白と銀を基調としたタペストリーが壁を覆い、光を反射させている。
黄ばむことなく、白を保っているタペストリーはバイアール公爵家の家事使用人が手間を惜しむことなく、手入れをしている事を物語っている。
バイアール公爵の話は、先日、レイチェル達と盛り上がった、令嬢達の学習の場と交流のためにコーヒーハウスを利用の事だった。
「面白い意見だとは思うが、既存のコーヒーハウスにレディが出入りするのは問題がありすぎると思わないかな」
バイアール公爵がウィリアムに問いかけた。
問いの形は取っているが、相手はウィリアムがイエスと答えるのを知っている。
ウィリアムとバイアール公爵は男で、男が自分達のテリトリーを侵されるのをどんなに嫌うか理解している。
建前上は男ならば万人が入店できるコーヒーハウスが敬遠され、代わりに幾多のグラブが設立されたことか。
しかし、それを知っていても、彼女達の意見は興味深いし、挑戦する価値はあるとウィリアムは思う。
「淑女達は男達が、どれほど彼女らを怖れているのか理解していない。彼女達がコーヒーハウスに入店したら、男は狼に狩られる鹿のように逃げ出してしまうだろう」
茶目っ気を出しながら、バイアール公爵は話す。
「つまりは、どういうことでしょう」
知らず、人を惹き付ける公爵の有り様に、抵抗しようとウィリアムは口調を固くした。
「君は、長く海軍に身を置いて、軍人としての出世を望んでいるのか」
バイアール公爵は、急に話題を変えて、ウィリアム個人の話を訊いてきた。
「一応は」
はぐらかすように応じると、公爵が「一応か」と繰り返す。
ただ、とバイアール公爵は思慮深い表情で続けた。
「私は、彼女達が創ろうとしている組織が、力ある他の人間の思惑に左右される組織になって欲しくはない。意味はお分かりだろう」
バイアール公爵はカーランド家が淑女達が立ち上げようとしているこの試みに、必要以上に食い込まれる事を危惧しているようだった。
しかし、ウィリアムは、そのカーランド家のレイチェルと、出来れば婚姻を結びたいと思っている。
バイアール公爵も、ウィリアムがレイチェルに接近しているのは、承知のはずだ。
「我がバイアール家に長く勤めていた者が、ロンディウムに出る事を望んでいてね。新しく、淑女が集まる店を創造るなら、その者に任せてみても良いと思っている」
ウィリアムは公爵の言い様に不満を覚えた。
「あなたの息のかかった者なら、良いということですか」
彼は皮肉を込めて返したが、バイアール公爵は微塵も表情を崩さなかった。
「発起人である私と我が家が責任を持つのは当然の事だからね。むろん、ゆくゆくは、自立した組織として立ち行く事を願っている。女性の自立を目指す組織がパトロン頼りでは洒落にならない。しかし、最初は支援が必要だ。我々、男達のね。同時に世の多くの女性の賛同も。既存のコーヒーハウスを使うのは、どちらにも反発を受けると予測される。故に、女性のための店を開き、スタッフを女性にする。
コーヒーハウスを女性のために開かせるのではなく、反対に紳士が利用する時間を設ける。と言うのが、彼の意見だ」
「彼?どなたです?」
このアイディアはバイアール公爵のものではなかったのか。
「今は引退しているが、かつて我が家を差配していた、グレアム・ジョンソンだ。彼はナターリア達の挑戦にいたく刺激されてね。自身も生まれ育った地であるロンディウムでもう一花咲かせたいのだそうだ」
前バイアール公爵、ウォレスには、極めて優秀な執事が常に付き従っていた。
若いウィリアムも、昔語りをする年上の者達から聞いて名は知っている。
ウォレスが大公に叙されたので、カルプに付いていっていたと思われた彼が、バイアール公爵領に留まって、ゼネラルストアを開いていることは、妹のユージェニーから聞いていた。
「彼はロンディウムにゼネラルストアをより多彩に、大きくした店を構えたいと望んでいる。手始めに、一階は高級なゼネラルストア、二階は淑女のための、パリシアのサロン風のティーハウスを創造りたいらしい」