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伯爵令嬢の婚約破棄は教会の鐘と共に(15)

 何不自由なく暮らしている貴族の令嬢がわざわざ働くために勉強をしている。


 その中でも申し分のない婚約者がいるナターリア・ゴールディアが率先して。


 レイチェルはやや冷笑的に彼女達を見ていた。

 父親に命じられたので、バイアール城に来たが、日々、学問付けの毎日。


 けれど、お父様も現金なものね。これまで女には学問など必要ないと、貴族の令息に見初められるために着飾らせて、社交界での催しに送り出してきたのに。


 レイチェルは自分の容姿が男性に好まれるものではないことを自覚していた。


 長すぎる手足。

 面長な輪郭。鼻は高いがやや鷲鼻で、目は切れ長で、重い鉛色。まるで甘さを感じさせない。

 唇の形だけは、整って、唯一の美点だと思っているが、色味が薄い。


 近づく男は、おおよそカーランドの財産目当て。

 だから、フロリッツ家のウィリアムも。

 父は悪くない相手として彼を扱っているけれど、レイチェルは少し煩わしく感じる。


 官吏を目指しなさいと言いながら、結婚相手を探せという両親の矛盾。


「レディ・ミランダという先例もある」

 と父は言ったけれど、実際にあったレディ・ミランダは賢い上に美しかった。

 おまけに、かなり没落したとはいえ、元々が男爵家の令嬢。成り上がりの商人の娘である自分とは訳がちがう。


「先ほどから浮かない顔ですね。勉強疲れかな」

 音楽室で一人でピアノを弾いていたレイチェルのところにやって来たウィリアムが、一曲弾き終わった彼女に声をかけてきた。

 部屋にはレイチェルとウィリアムの二人だけ。むろん、扉は開いており、その外にはレイチェル付のレディースメイドのイネスが控えていた。


 あなたのせいです。とはまさか言えない。

 ウィリアムは平民だが、フロリッツ子爵家のお坊ちゃんなのだ。

「そう、かもしれません」

 言いながら、レイチェルは片手で旋律を爪弾く。

 パリシアの鍵盤はアンゲリアのものより幅が狭い。

 ふとレイチェルはナターリアの演奏を思い出していた。

 狭い鍵盤でもナターリアは目一杯手を広げて鍵盤を押さえていた。

 広い方の鍵盤だったら、ミスタッチを多くしていたかもしれない。


「このピアノフォルティはナターリア様のためのものなのですわね」

 レイチェルは隣にウィリアムがいることを忘れて呟いた。

「どういうことですか?」

 ウィリアムの問いかけにレイチェルは手を止めた。

 彼女は彼を忘れていたことに慌て、ごまかすように自分の憶測を口にした。


「バイアール公爵はご婚約者のレディ・ナターリアを大切になさっていらっしゃる。羨ましいことです」


 けれど、あの夜からナターリアはピアノフォルティを弾いていない。宝の持ち腐れです。


 そんな思いを隠しつつ、レイチェルは、父の指示に従ってウィリアムに愛想笑いを浮かべた。


「その笑顔は良くない」

 少し強めな口調でウィリアムが言った。

 相手も礼儀上、笑い返してくるとのレイチェル予測が外れた。

 レイチェルはあからさまに眉をひそめると。

「その顔のほうがずっといい」

 ウィリアムが満足げに笑う。


「君が疲れてるのは、勉学ではなくて、自分の感情を押し殺しているからではないかな」

 レイチェルが黙っているとウィリアムは腕を組んだ。

 その様は海軍で鍛えられた立派な体格と相まって、やや傲慢にレイチェルには見えた。


「感情を露にしないのが、淑女のたしなみです」

「けれど、わたしが最初に見た君は、雌狼のようだった。初めて口説いた時もね。だから、赤を連想した」

「女性を狼に例えるなんて、紳士とは思われません」

 レイチェルは腹立だしくなる。

 この男は最初からそうだ。レイチェルを淑女と扱わない。

「だって君は淑女を嫌っているようだから」

 ウィリアムが放った言葉は、レイチェルの胸に突き刺さる。


 そんなことありませんと言うべきなのに言葉がでない。

「なぜ……」

「まず、言葉。貴族が使うイントネーションとは微妙に異なっている時がある。カーランド家の令嬢だから、その辺りは教育されただろうに。これだけピアノを見事に弾けるのだから、音感が悪いわけではない。時折、意図して違う発音をしているのだろう?ドレスの選び方もだ。もっと自分に似合うドレスだって選べるだろうに、甘ったるいドレスに装飾。レディースメイドのセンスが悪いのかとも思うが」

「イネスはパリシア生まれですわ」

「いくらパリシア生まれでも主人ではなく、自分に似合う服を選んでいる時点で、レディースメイド失格だ」

 ウィリアムの指摘にレイチェルは内心怯んだ。

 思い当たるからだ。

 父も母もレイチェルが着飾ることに金を惜しまない。

 わざわざパリシア生まれのイネスをある屋敷から引き抜いて、レイチェルのレディースメイドにしたほどだった。

 だから、レイチェルは次々にドレスを新調し、着なくなったドレスをイネスに下げ渡すのが常態化している。

 イネスもレイチェルほどではないが、背が高いほうであり、靴の高さを調整すれば、レイチェルのドレスをあまり直さずに着られるから。


 ドレスは淡い色どりのものが多く、リボンやフリルもふんだんだ。

 "若々しさを出すためですわ"

 とイネスは言っている。

 背が高くても、"姿の良い"と言われる範疇で、ブロンドの髪と甘い顔立ちを持ったイネスには、その淡い色のドレスが似合っていた。

 反対に、お仕着せのような地味なドレスはイネスにはあまりしっくりこない。

 イネスは自分の好みドレスを自分の代わりにレイチェルに着せることで満足感を持っているのだとレイチェルは思う。

 それに、パリシア仕込みのレイチェルのドレスは社交界で褒められる。

 それがカーランド家には一番重要だった。


「わたくしの家の事に口を挟まないでくださいませ」

 レイチェルが椅子から立つと相手も立ち上がった。

 レイチェルは自分より背の高いウィリアムを睨み上げた。

 ウィリアムの唇が僅かに開いた。

 彼の唇はほとんど自分の目の位地と同じ。

 6.5フィートを軽く越している。

 貴族の血を引いているものは、えてして庶民より背が高い。

「つまり、貴女も気が付いているということだね」

 ウィリアムの形が良い唇から、皮肉げな言葉がこぼれた。

 レイチェルは言葉を詰まらせ、扉の方へ視線を向けた。

 二人の声は大きくはないが、イネスには聞こえているだろう。

「わたくしは、ドレスに不平を申したことはございません。第一、会ったばかりの貴方に、わたくしの装いについてあれこれ言われるいわれはありませんわ」

「未来の妻になる君に美しく装って欲しいからね」


 "妻?彼は妻と?"


 レイチェルはウィリアムの言葉に混乱した。

「取り繕われた態度は嫌いだ。だから、お愛想笑いはいらない。もちろん、心からの笑顔なら喜んで受けとる」

 切り込むような口調でウィリアムは宣言した。


「会ったばかりで、何を言い出すのです」

 レイチェルも切り口上で返す。


「会ったばかりだが、君は俺にふさわしいと思った。だから、俺も君にふさわしいはずだ」

「ふさわしい?」

「年齢、身分の釣り合い、決まった相手がいない、お互いが自立できる収入、体も丈夫で、背丈もバランスがいい」

 ウィリアムが口にするのは、まるでロマンスとはかけ離れた言葉だった。

 レイチェルは怒りを越えて、呆れ返る。

 こう言われて、わかりました、妻になりますと言う女がいるだろうか。

 ウィリアムが莫迦なのか、それともレイチェルを莫迦にしているのか。


「お説は承りました。ですが、わたくしは、貴方が……」

 ふさわしいとは思いません。

 と冷ややかに答えようとした時、ウィリアムが感に堪えないように言った。


「その、挑みかかるような瞳が、俺には何より魅力的に見える事」


 ウィリアムの視線に、レイチェルは言葉を続けることが出来なかった。


「それに、俺は君が官吏になろうとピアニストになって公演旅行に行こうと、気にしない」


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