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伯爵令嬢の婚約破棄は教会の鐘と共に(13)

 雲の間に光が射し、まだ緑残る牧場を照らした。

 明け方に降った雨が草を濡らしている。

 良いとも悪いとも言えぬ空模様だった。


 ナターリアはアーサーが薦めてくれた栗毛の馬の背にいた。

 横鞍はドレスを着る淑女のためのもの。

 女性が多いためか、馬の速度は押さえられている。

 アーサーも同じ栗毛だった。ナターリアの馬と兄弟だそうだ。

 ナターリア達が朝駆けをするきっかけとなったレイチェルはなかなかの腕前をしていた。

 ウィリアムは彼女に付かず離れずといった間隔で並走していた。

 アーサーは自分が乗っている馬を止めた。

 いきおい、後ろで馬を走らせていたナターリアも馬を止めた。

「レリアンをうまく宥めている」

 アーサーがウィリアムに視線を向けて呟いた。

「仮装園遊会に私が乗っていた(フィロス)の妹で、能力は素晴らしいのだけれど」

 ウィリアムの乗っている馬は、気難しいという。

 アーサーの言うところ、ウィリアムは、かなりの腕前らしい。

「オースティンは少し馬のパワーを制御できていないようだ。ミス・マデリンは馬の選び方も乗馬の技術もすばらしいね」

 屈託ない口調でアーサーが言った。

 以前なら、「そうでしょう」と我がことのように胸を張ったナターリアだが、今はなんとか笑みを浮かべるだけ。

「明日にはミス・マデリンはロンディウムに帰るそうだね」

 マデリンの動向を気にするそぶりをアーサーがする。

「ええ」

 舌が上手く回らずにナターリアは短く答えた。

「何故、彼女は君を置いてロンディウムに帰るのだろう。絵を描きたいのなら、こちらでそれようの部屋を用意したのだが」

 君をという言葉が、"私を置いて"と聞こえてしまう。


 重症です。


「お気になるなら、マデリンに直接お尋ねになればよろしいでしょう?」

 そっけない言い方でナターリアは返した。

「彼女に何か言われた?」

「マデリンにはいつも色々言われておりますわ。ガヴァネスですもの」

 ナターリアは馬の胴を蹴って走り出したい気持ちを押さえる。

「どうした、ナターリア。泣きそうな顔をして。マデリンと何がかあったのか」


 あったのはあなたの方でしょう。

 ナターリアはこらえきれず、囁いた。


「アーサー様が、わたくしと婚約破棄をしてくれないからですわ」


 ナターリアは、アーサーの次の言葉から逃げ出すために、馬に蹴りを入れた。


 馬が走る。速く。

 呆然としたアーサーを置き去りにして。


 良い馬だ。

 アーサーが選んでくれただけある。


 ◇◇◇◇


 ここにいたくない。

 アーサーと一緒にいるのはやはり辛い。

 いっそのこと、自分もロンディウムに戻ろうかとナターリアは思う。


 でも、グレイシーとフロランスはまだこちらに来ていない。

 自分が誘ったのに、顔を会わせずに帰るのは失礼だ。


 午後の講義もどこか身が入らない。

 マデリンがこちらを気遣わしげに見ているのもわずらわしい。


 だって、ナターリアは見たのだ。

 ナターリアを追いかけなかったアーサーにマデリンが駆け寄り、一言、二言、言葉を交わすのを。

 すぐにオースティンが寄って、二人だけの会話はすぐに終わったけれど。

 それから、ナターリアは一人で城に戻り、体調が優れないと午後の講義まで横になっていた。


 講義が終わると、ナターリアは、頭痛を理由に部屋へ戻る。

 実際、こめかみに鈍痛を感じる。

 メアリーアンの手を借りて、コルセットが必要なドレスから緩やかなガウンドレスに着替えた。


 腰を下ろしたところでノックがあった。

「お茶をお持ちしました」

 マデリンの声だ。

 いらないと言いたいのを我慢して、ナターリアは「入ってちょうだい」と返事をした。


 マデリンは侍女のように、手ずからポットとカップを持ってきてくれた。


 ナターリアは黙ったまま、マデリンがお茶を入れてくれるのを見つめていた。

 紅茶とは違う香りが立った。


「ハーブティーです。フロランス様にブレンドの割合をお訊きしておりましたので」

「そう」

 マデリンが一匙、蜂蜜を入れてかき回した。

 子供の頃はミルクだった。


 鼻の奥がつんとするのを紛らわすために、ナターリアは急いでカップに手を伸ばした。

 ハーブティーの香りと一緒に蜂蜜の甘さが口に広がる。

 マデリンがメアリーアンに出ていくように目で合図した。


「アーサー様に、ナターリア様とお二方の婚約について、否定的なことを口に出ししたのかとお訊ねがありました。わたくしには覚えはありませんでしたので、そうお答えしました」

 ナターリアは視線をカップに落とした。

「そう」

「ナターリア様、先日の園遊会のおり、何か不興をかうようなことをしましたか?それとも、わたくしが高貴な方々と踊ったことで、ナターリア様に何か風当たりがあったのでしょうか」

 マデリンの表情には憂いがあった。

 ナターリアがマデリンを遠ざけているのは、不興ではなく、嫉妬だ。

 二人を応援しようと決めたのに、"婚約者"という立場がナターリアをアーサーの傍らにいることを強いる。

 婚約者で無くなれば、もっと諦めもつくだろうに。


「そんなことは、ないわ。踊るように勧めたのはわたくしよ。ただ」

「ただ?」

「幼い頃の約束や身分に縛られて、愛を失うのは、違うと思ったから」


 云ってしまった。


 マデリンが、アーサーを想っていることを知っていると、仄めかしてしまった。

 マデリンの頬から血の色が引く。


「察していらっしゃったのですわね」

 青ざめたマデリンが低く囁いた。

 ナターリアは視線を剃らし、窓を見る。切り取られた空は、厚い雲がかかっていた。


「もしかして、あの夜、図書室にいらっしゃった?」

 ナターリアは覚悟を決めて告白をした。

「アーサー様と話しているところを少しだけ聴いてしまったの。ほんの少し。あなたが、身分違いの相手の姿を、想いを込めて絵を描いたことを」

 本当にそれだけよとナターリアは念を押した。

 アーサーの名前を具体的に出さない。口にできなかったのだ。


 マデリンが唇を噛み締めた。

「だから、踊るようにわたくしにお勧めになった。信頼を裏切るような真似をしたのに。あの方と踊るチャンスを下さった」

 ナターリアは否定も肯定もできなかった。

「ゴールディア家の信頼を裏切るような想いを持ってしまったわたくしを哀れんで」

「哀れみではないわ。わたくし、わたくしは、マデリンが好きな方と踊って欲しくて」

「……けして結ばれない相手とですか。ナターリア様は優しくて、でも残酷な方ですわ」

 残酷?二人を応援したいと思って行動している自分が?

「マデリン。お願い、そんなことを言うのは止めて。二人は想い合っているのでしょう?」

「アーサー様に諭されました。ゴールディア家を裏切る真似はしないで欲しいと」

 だから、二人は諦めると言うの?そして何食わぬ顔でアーサーはわたくしと結婚をすると。


「そのようなこと、許しません」

 ナターリアは立ち上がり、マデリンをひたと見つめる。

「愛を、努力もせずに真実の愛を諦めるなんて、許されないことです。マデリン、貴女はわたくしに不屈の精神は何より自分の力になるものだと教えてくれましたわね。それは嘘でしたの」

「嘘ではありません。ですが」

「ですが、ではありません」

 ナターリアは反論しようとするマデリンを撥ね付ける。

「身分が今、無いなら、これから勝ち取ればよいではありませんか。お相手は、身分が高くても、王家の方ではありません。では、官吏という地位を得て、その上で、絵の才能を世間に認めてもらえば、愛する方に手が届くとは思いませんか?」

 マデリンは驚きに目を開いている。

 あの冷静なマデリンが。

「わたくしが官吏となることを勧めたのは、マデリンの真実の愛を応援するためです。そしてあの夜、わたくしは、自分もアーサー様も、幼い頃のたわいない約束に縛られることなく、真実の愛を向き合うべきだと決意しました」

 アーサーの名前を出し、言い切る。ナターリアは、これで本当に後戻りは出来ないと想い定めた。


「ナターリア様。ナターリア様は、大人になられたのですね。わたくしを思い遣り、励まし、いく道を示すほど」

 長い沈黙のあと、マデリンが感慨深げに言葉を紡ぐ。

「承知しました。諦める前に出来うる限りの努力をいたします。本当に、結ばれるかどうか未来は判りませんけれど、愛を捨てることなく、自らの糧といたします」

 マデリンは毅然とした態度で断言した。

「それでこそ、わたくしの最愛なるガヴァネスですわ」

 誇らしさと、嬉しさと、悲しみを持ってナターリアはマデリンに返事をした。


「でも、マデリン。今の話、わたくしが気がついていることをアーサー様には言わないで。わたくしはわたくしなりに自分を見つめて、自分からアーサー様に告げたいの。そして幼い頃の約束の延長でなく、婚約破棄の向こうで真実の愛をみつけたいのです」

 マデリンは静かに微笑んだ。

「はい。マイ・レディ。仰せのままに」

 優雅に腰を折ったマデリンに見えないようにナターリアは涙をこらえた。

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