伯爵令嬢の婚約破棄は教会の鐘と共に(12)
ユージェニーは夕食後の交流もそこそこにウィリアムを引っ立てるようにして、彼に宛がわれた部屋へと入った。
引き下がる時に、オリヴァーが頑張れよと言うふうに視線を二人に投げ掛けてきた。
応援はユージェニーにか、ウィリアムにか。
「ウィリアムお兄様、あんな派手な真似をして、いったいどういうおつもりですか」
「ミス・レイチェルと親しくなるつもりだよ」
いけないかいと言う兄にユージェニーは頭を抱える。
「親しくなるにしても、段取りというものがあるでしょう?」
若い男女が社交の場で知り合ったら、礼儀正しい会話を重ね、両親にお伺いを立てて、相手の家に訪問したり、パークに馬車で連れ出したりして親交を深めていく。
それをいきなり、宝石を贈りたいとか言い出し、本人と直接に約束を(ほぼ一方的に)取り付ける。
マナー違反も甚だしい。
食事の間、ユージェニーは心の中で、レイチェルに謝り通しだった。
「あれでは、ミス・レイチェルがお気の毒です。貴族の出自でないために、侮られたと世間では言われるでしょう」
「世間?誰がそんなことを言うのかな?」
ウィリアムが苦笑混じりにユージェニーに問いかけた。
「ねえ、ユージェニー。僕の態度は強引だった。だけれども、これが、麗しい貴族の令嬢に対してだったら、僕の態度は多少ぶしつけだったけれど、相手を侮るという発想は出てこないのではないかな」
ウィリアムが手を伸ばしてジンの瓶をとった。
「何故、君が、ミス・レイチェルを"侮った"と感じたのか、自分に問いかけてごらん」
……それは、ユージェニー自身に、ミス・レイチェルを下に見る気持ちがあったから。
押し黙ったユージェニーを見ているウィリアムの顔は少しばかり意地悪に見えた。
それが悔しくて、ユージェニーは反論を試みた。
「多少、ぶしつけ、ですか?かなり不作法な態度でしたけれど?」
「それはこれからお詫びする。貴女を置いて海に戻らなければならない男の非礼を許して下さるようにね」
楽しそうにウィリアムは言うが、ミス・レイチェルは気丈そうだ。
「そう上手くいくかししら」
「僕には賢くて優しい妹がいるからね。上手く取り成してくれるだろう」
ウィリアムの言いようにユージェニーはあきれた。
「わたくしをダシにしようというのですか」
「どちらかというと、僕がダシなのだけれどね。明日は僕と一緒に朝駆けをしてくれるね?それならば、ミス・レイチェルも、貴族のすべてが乗馬に長けているわけではないと解るから」
ユージェニーは乗馬があまり得意ではない。
大人しい馬で慣れた領地の道をキャンターでは走らせられるくらいだ。
乗馬が上手な貴婦人は紳士達に混じって、狐狩りなどをするが、彼女はそんなことはとても出来ない。
「わたくしがなんで乗馬をしなければなりませんの!?」
ユージェニーはちょっと怒った。
「妙齢の女性と二人きりになるわけにはいかないだろう?それに、お前とミス・レイチェルが仲良くなるきっかけになる。未来の姉になるかも知れない人だからね。仲良くなって欲しい」
ウィリアムはくすくすと笑っているが、ユージェニーは聞き捨てならない。
「ウィリアムお兄様、それは本気で仰っていますの?」
「悪くない相手だとは思っているよ」
ウィリアムはとらえどころのないない顔をして、グラスの縁を弾いた。
◇◇◇◇
「悪くはない」
ロイス・カーランドは妻に向かって言った。
「ですけれど、あの方は嫡子ではありませんことよ」
妻のエレンは難色を示した。
しかし、ロイスの考えは違う。
ウィリアム・フロリッツは嫡男ではないが、由緒正しい貴族の血を引いている。
ウィリアムは海軍士官でもある。
海に囲まれたアンゲリアは陸軍より海軍のほうが上と見なされている。
カーランドが扱う保険にも関わりが深い。
カーランド家の後押しがあれば、海軍でもそこそこの地位に登れるだろう。
退役をして、庶民院の議員になる道も見える。
妻は貴族の嫡男に嫁がせて、娘を"レディ"と呼ばれる身分にしたいようだが、カーランドは、それほどこだわっていない。
下手に気位の高い、放蕩癖のある貴族や貴族の嫡男より、自らで身を立てなければならない次男や三男のほうがカーランドにとっては都合が良い。
ウィリアムは最初の晩餐会での態度でも、見栄を張らずに、だが、堂々と自分が出せる金額を提示してきた。
そしてウィリアムの発言が、その後の金額を決めたと言っていい。
なかなか切れる男だ。
「そうだね。だが、彼はレイチェルに本当に関心を持っているようだ。それが一番大事ではないかね」
妻は、そして娘はウィリアムの強引な態度に憤っている。ロイスも最初は鼻白む思いだった。
「レイチェルにドレスを変えたほうがいいといい、似合う色を考える。ただ、取り入りたいならそんなことはしないと思わないか」
カーランドの財産に引かれて、おべんちゃらをいう、良家の子息達はこれまでもいた。
貴族と縁戚になりさえすればよいと考えれば、それらにレイチェルを嫁がせることも出来た。
しかし、ロイスには、貴族と繋がりは持ちたいが、カーランドの娘を安売りするつもりはない。
「それはそうですけれど……」
エレンは指を頬に当てた。
「むろん、レイチェルの幸せが大事だ。他にふさわしい相手がいるのなら、そちらを選べばいい」
「候補のお一人として接すれば良いのですね」
妻が納得したようなので、そうだとロイスは力強く頷いた。
◇◇◇◇
ウィリアムがレイチェルを朝駆けに誘った。
それは、ナターリアにもちょっとした波紋を呼んだ。
オースティンもマデリンを乗馬に誘ったのだ。
いつものように断るだろうと思ったナターリアだったが、マデリンは承諾した。
朝駆けはアーサーの日課だ。
ナターリアは朝、目が覚めると馬を駆る彼を塔の窓から眺めていた。
明日の朝は、早起きをしない。
ナターリアはマデリンがイエスと答えた時にとっさに思った。
なのに。
「アーサーもレディ・ナターリアをお誘いなさい」
レディ・ジェーンが穏やかだが、断固たる口調でおっしゃった。
アーサーは喜んでと大伯母に従って、ナターリアを誘い、ナターリアも従った。
「ミフィーユ様もご一緒しましょう。それからユージェニー様にもお声かけいたしますわ」
ナターリアは側にいるミフィーユを誘い、早々に部屋に引き取ったユージェニーも朝駆けのメンバーに入れようと考えた。
「ほんとうに、貴女方は仲がよろしいのね」
レディ・ジェーンの関心したような声。
「そうなのですよ。時々、私は、彼女の友人が羨ましくなるほどです」
アーサーが嘆息するが、声にはからかう響きがある。
「未来の妻が良き友人を得ていることに嫉妬するなどと。仮にナターリアが官吏になったら、もっと大勢の人と交わることになるのよ。それはすでに覚悟をしているのでしょうに」
同じ様にレディ・ジェーンはからかいの笑みを浮かべた。
「覚悟と感情は別なのですよ」
そう、覚悟と感情は別。
ナターリアの今の思いもそうだ。
時々、心配そうにオースティンが隣にいるマデリンを見るアーサーも同じく。
「雨にならなければ良いですわね」
ナターリアは心とは反対のことを口にした。