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伯爵令嬢の婚約破棄は教会の鐘と共に(7)

 旧市街を抜けると、視界が開けた。

 道幅が旧市街の二倍以上はある。

 特にメインストリートの広さは目を見張るものがあった。


 馬車が四台はゆうに通れそうな道の脇に、立ち並ぶ街路樹。人々が往来する歩道も十二分に取ってある。

 行き交う人々の顔も明るい。道に敷かれている石畳は補修が行き届いていて、馬車の轍の音も軽やかだった。


 そして、何より物売りの声がほとんどない。

 ロンディウムで響き渡る物売りの声はとても酷く、カントリーハウスから移動してきたばかりの社交シーズンの初めは、比較的静かなロンディウムウォール内の屋敷界隈でも、音に馴れるまで少し苦労する。


 アーサーに帽子を上げて挨拶する男性や笑顔を見せる女性がいるが、ランドルフのように声をかけてくる人物はいなかった。

 立ち並ぶ店の多くがロンディウムでも増えてきているディスプレイ・ウインドを採用している。


「ロンディウムの目貫通りにも負けないですね」

「褒めてくださってありがとう」

 フレミア侯爵の感心にアーサーが嬉しそうに返した。


「大きな貸本屋ですね」

 クロヴィスが一軒の店に立ち止まった。そこにも板ガラスの向こうに、いくつかの本が並べられていた。

 ナターリアも弟の声につられて中を覗き込む。

 数人が借りる本を吟味している。


「寄りたい?」

 アーサーがナターリア達に尋ねた。寄っていきたいのはやまやまだけれど、ナターリアは「いいえ」と返事をした。

「時間を取ってしまいそうですから」

 まず、紙とインクとペン。それを買わないといけない。

 扉に手をかけかけたクロヴィスがはっとしたように、そこから離れた。

 ユージェニーも名残惜し気にしながらもクロヴィスのあとに続いた。

「大きなバイアール公爵邸の図書館の本も読まなければなりませんし」

 とユージェニーが呟いている。

「そうですね。こんな大きな貸本屋があるということはドゥヴルの識字率が高いということですね」

 クロヴィスはふむふむと大人のような関心の仕方をしている。

 それをリッカーズ教授が面白そうに見ていた。


 視界の中にマデリンが映った。彼女も貸本屋に視線を残している。

「また、お連れしますよ」

 オースティンがそんなマデリンに話しかけた。

「ありがとうございます。けれど、残念ながら、あと数日でロンディウムに戻りますので」

 謝意を口にしながら、口とは裏腹に残念そうな様子も見せない、マデリン。

 浮ついた所のない彼女の態度はガヴァネスの模範のようだ。


 オースティンに誘われている彼女にアーサーはどんな気持ちでいるのか。

 ナターリアはそっとアーサーの表情を覗った。

 彼は目を細めてオースティンを見ている。


 やきもちを焼いていらっしゃるの?


 ナターリアの推測を肯定するようにアーサーが言った。

「オースティン、ミス・マデリンを誘うなら、まずゴールディア伯爵に断りをいれるべきだ」

 軽い口調だが、オースティンを咎める科白だった。

「おやおや、とんだ堅物のシャペロンだね」

 オースティンの口調も軽い。

「彼女はバイアール家の大切な客人だ。従って、私の保護下にある」

「私だって、客の一人なんだが?」

「客のふりをした狼を招待した覚えはない」

「お前は、狼じゃないのか」

「今は、狩人だよ」

 軽口の応酬をして二人は笑いだす。フレミア侯爵も苦笑している。

「相変わらずの二人ですね」

 と学生時代から彼らを知るリッカーズ教授が洩らす。

 いつもは紳士然とした二人のくだけた態度にクロヴィスとナターリア達、淑女は目を泳がせた。


 お二人でいるといつもはこのような感じなのでしょうか。


「狩人ねえ。獲物を間違えるなよ。加えて取り逃がすな」

 オースティンがアーサーに言うと、アーサーが「もちろん」と応じた。

 二人の応酬のきっかけとなったマデリンは表情を変えることもなく、黙って立っていた。


 ◇◇◇◇


 貸本屋から、少し離れた場所に目的の店はあった。

 その店には、ディスプレイ・ウインドはなく、“よろずや(ゼネラル・ストア)”の看板が掲げられていた。

 アーサーが扉を開けて、抑えてくれる。全員が扉をくぐるとアーサーが最後に店に入った。

 中に入ると、文房具だけではなく、様々な品が置いてある。

 少し、雑然とした雰囲気。ナターリアは物珍しくて棚を見回す。


 店の中には、老いた男性が一人で店番をしていた。

 彼はアーサーの姿を認めると背筋を伸ばした。

「ジェイソン、変わりはないようだね」

公爵様(ユア・グレース)もお変わりなく。本日はどのようなご用件で。何か問題でもございましたか。リアムは少々甘いところがございますから」

 ジョンソンはアーサーとナターリア達をまぶしそうに見つめた。


「今日は、城の事ではないよ。リアムはよくやっている。それもお前の仕込みが良かったからだろう」

「さようでございますか」

 問題がないと聞いて、彼が何だか残念そうな顔をするのは、ナターリアの気のせいではない。

 ジョンソンの話はアーサーから何回か聞いていた。

 “よろずや(ゼネラル・ストア)ジョンソン”。

 ウォレスが少年の頃からバイアール家に仕え、フットマンから執事(バトラー)家令(スチュアート)にまでなった人。

 バイアール家のことなら何でも知っていて、どんな問題でも解決するので、ゼネラル・ストアと呼ばれていたそうだ。


 まさか、本当にゼネラル・ストアを開いていらっしゃるなんて。


 まじまじと見つめるナターリアにジョンソンは喜色もあらわに言った。

「先にお声をかける無礼をお許しください。初めまして、レディ・ナターリア」

 アーサーの婚約者がゴールディア伯爵家のナターリアだとは当然知っていたのだろう。しかし、店に入った時、ナターリアはアーサーにエスコートされていなかった。面識もない。

「ごきげんよう」

 と挨拶を返しながら、何故、名前を?という疑問が顔に出ていたのか、ジョンソンが答えをくれた。

「アーサー様の視線でございますよ。貴女様を一番に気にかけているのが解かりました」


 それは、本当のこと?


 ナターリアはどうとっていいのか解からない。


「今日のご来店は、ナターリア様に関係することでございますね。で、何をお求めに?」

 ナターリアの戸惑いをよそに、ジョンソンはてきぱきと話を進める。

「紙を。インクとペンと書類のための紙を買いにきました」

 ナターリアはまばたきを三回してから返事をした。

「ペンとインクと紙でございますね。しかし、ご令嬢がお使いになるような最高級品の数は少のうございます」

 ジョンソンはナターリア達を目的の物がある一角に案内した。

 すぐに手に取れる汎用品と上部のガラスの棚に陳列された高級品。

 汎用品と言っても、質は悪くなさそうにナターリアには見える。


「ユージェニー様、ミフィーユ様、どれが良いと思われます?」

 振り返ると二人は、何か他のものに興味があったのか、違う棚を見ていた。

「上の棚も見せていただいたらどうでしょう」

 それでも、話はしっかりと聞いていたようで、ユージェニーが提案した。

「そういたしましょうか。では、お願いします」

 ジョンソンが棚からいくつかの品を出してくれる。

 インクと紙は一見そう変りないように思えた。

 ペンは様々な種類の鳥の羽が並べられている。


「これは、雁の左翼の風切り羽を使った最上のものです。珍しいところでは、鷹の羽もございます」

 ジョンソンの説明にどれを選んでいいのかナターリアは迷う。

「わたくしは、白鳥の羽を使っているのですけれど」

 ミフィーユが雁と鷹の羽とを交互に見てから言った。

「白鳥は細い線を書くのに適しておりますから、女性らしい繊細な手跡になりますね」

 ジョンソンは背を伸ばして、棚から大きな白い羽を取り出した。だが、ナターリアはジョンソンの脇のテーブルの脇にさしてあるペンに目を止める。

「ミスター・ジョンソン、そのペンは?」

「これは私が使っている物です。一般的な鵞鳥の羽でございます」

「では、それをいただくわ」

 ナターリアはきっぱりと言った。

「どこでも手に入るものでございますよ?」

 ジョンソンは、本当にいいのか、ナターリアに念を押した。

「バイアール公爵家の元スチュワードが使っているペンなら、物は確かでしょう。それに今日は、物の価値を知るために……」

 そこまで言ってナターリアは、値段を聞かなかったことに気付いた。

 他の二人も気付いたようで、三人で顔を見合わせた。

「……おいくらですの?」

 ナターリアは少し声を落とした。

「一ダースで三シリングでございます」

「こちらの白鳥のペンは?」

 ミフィーユが問いかけた。

「一本で三シリングで」

 ミフィーユが、一本と12本が同じ値段だと聞いて驚いた顔をした。ナターリアもだ。

 さらに、雁は一本、8シリング。鷹にいたっては一ポンドだという。

「白鳥のペンは、亡骸から取ったものですから、お安く。雁は生きたままで羽を抜き取ったもの。鷹はそもそも数がおりませんので」

 ジョンソンは丁寧に値段の差について説明をしてくれた。


 ペンが決まったら、次はインクと紙。

「これも私が普段に使っているもので、よろしいですか」

 ジョンソンの問いに、ナターリアはイエスと言いそうになったが、ユージェニーが「確かめたいことがございます」とナターリアを止めた。

「ロンディウムの役所ではどんな紙を使っていますの?オースティン様は弁護士でいらっしゃるから、ご存知でしょうか」


「まあ、扱うことは多いですが」

 名指しされたオースティンが、進み出て紙を確かめた。

「これとこれですね」

 少し黄色味のある紙をオースティンは示した。

「削って訂正してはいけない正規の書類用の紙は薄くて、普段はやや厚いものを使ってますよ」

 値段を聞くと、薄い方が100枚、二ポンド、厚い方が三ポンド。

 質と重さで値段が変わると説明がつく。

 インクはジョンソンが使っているもので良いということになって値段を訊いた。

 インクすら、高いものと安いものがある。


「お察ししますに、レディ方は、物の値段についてお知りになりたいようですね」


 買わなかった物を仕舞いながら、ジョンソンが片目を瞑った。その様は、堂にいっていて粋に感じる。


「お解りに?」

 ナターリアが問えば、ジョンソンは黙って微笑む。

「よろしければ、私の店の品の値段を、この後、小一時間ほどお時間をいただけるなら、出来る限り、お教えしましょう」

「一人、一シリングしか、購入できませんわ。よろしいの?」

「何も買ってくれなくて構いません。いや、一シリングは私の店以外でお使いになったほうが良い」

 自分の店の物は買わなくて良いと言うジョンソン。

「いろいろな店を見て回る方が、知識になりますし、何より楽しいでしょう」

 懐かしゅうございますねと呟いて、ジョンソンはアーサーを見やった。


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