伯爵令嬢の婚約破棄は教会の鐘と共に(6)
集められた金額は二万五千ポンド。
出資者の名前と金額の一覧がナターリア達に提示された。
ナターリアとマデリン、ユージェニー、ミフィーユ、そしてオブザーバーとして、オースティンが一緒にいた。
弁護士でもあるオースティンに、同席を頼み込んだのは、ナターリアだった。
議席を持つまで市井で実際に、誰かの下で働いていたのは、招待客の中で、彼だけだった。
その他の方は生まれた時からずっと働く側でなく、働かせる側だから。
「あら、これは」
一覧の中には、晩餐会に出席されていなかったカルプ大公の名前で九千ポンドとある。
これだとカルプ大公が最大の出資者となる。
「事前に父に手紙を出したら、賛同して下さったよ。カルプ島を中心とするジャージ諸島の行政にゆくゆくは女性の登用を考慮に入れようとも言ってくださっている」
アーサーは何でもないことのようにおっしゃるが、それはかなり、大変なことではないでしょうか。
「寄付ではなく、出資と書かれているが、慈善活動の一環としておこなうのじゃないのか」
オースティンが一覧を見て言うと、アーサーが渋面を作る。
「ナターリア達の誰かが気付くのを期待していたのだけれどね」
「アーサー、彼女達は社会のとば口の前にたったばかりだ。その道案内してやる手筈を整えるために金を集めたはずだ」
オースティンがアーサーを嗜める口調になる。
「寄付は、その団体や活動に見返りを求めず、出資は、資金を募った団体が何らかの見返りを出資者に提供しなくてはなりませんわね」
ナターリアは、にわか覚えの知識を口にした。
少し前に、グレイシーやミフィーユが関わっている孤児院について調べてみたのが、役にたった。
「その通り。金を出資金と扱うなら、淑女が官吏を目指すのを手助けすると言う活動は、社会奉仕ではなく、利益をあげる商売、事業になるな。どう言うことだ、アーサー」
「わたくしもお聞きしたいですわ」
ナターリアもオースティンに同意した。
「この活動の対象者の多くは、中流階級以上だ。慈善を施す必要はない。加えて資金足りなくなったら、また寄付を集めればいいという安易な考えをなくす。税金と同じだ。政府の出費が嵩んだら、税金を課す。それで我々は、新大陸を失った。入ってくる金と出ていく金、そのバランスを健全に保つために。しかし、活動の性格上、投機対象や出資者に高い配当を約束する団体とはしたくない。利益が出たら、配当の上限を定めるなどして、資金の流出を防ぐ約束を出資者と取り交わすつもりだ」
「それは、男性のための私立学校と同じ、女性のためのインデペンデント・スクールを創るということですか?」
ユージェニーはアーサーの言葉を受けて確かめる。
しかし、アーサーは違うと返す。
「インデペント・スクールを創るには時期尚早だ」
時期尚早と言うのだから、アーサーはいずれは、女性のための学校を創設する気持ちがあるということだ。
「では、どのようなおつもりですの?」
ミフィーユの声は心細げだった。
「腹案はありますよ。けれど、学ぶあなた達が何を欲しているのか、まずそれを見極めなくてはね」
アーサーの言葉の抑揚が穏やかになる。それにつれて表情も柔らかに。
「私達、ガヴァネスの教育では足りないということでございましょうか」
マデリンとアーサーが向き合って、視線を交わした。
ミフィーユを見る時と違って、アーサーの顔は真剣だった。
「そんなことはありませんよ。ナターリアから聞くに、貴女の教えは素晴らしい。今のナターリアが王太子の社交界デビューを飾る花として選ばれたのも、貴女に負うところが多いのでしょう。それにあなた自身も淑女の鏡と言っていい。先日の仮装園遊会でも、高貴な方々のお相手をしていて何ら遜色は無かった」
アーサーはマデリンを手放しに褒め称えた。
以前なら誇らしかったことが、今はナターリアの胸に答える。
「過分な評価でございます」
マデリンの表情は変わらないように見えるが、彼女をよく知るナターリアには、その瞳と声に喜色が乗ったのを感じ取る。
「しかし、全てのガヴァネスがみな貴女のようなわけにはいかない。また、官吏として勤めるなら、それ以外の知識、そして、日常生活の中で出会う様々な問題や課題に、自分で、創造的でしかも効果のある対処ができる能力が必要になってくる」
「解かりましたわ。公爵様は集めた基金での団体の設立と運営運用をナターリア様達に任せることによって、社会的技能を身につけ、磨きたいとお考えなのですわね」
マデリンの声が輝いているかのごとく響く。
ナターリアもアーサーの考えを理解し、納得し、出来うる限り努力しようと考える。
けれど、誰より早くアーサーの考え、構想を察したのはマデリンだった。
かないませんわ。
ナターリアは何度目かのあきらめの言葉を頭に過らせた。
◇◇◇◇
それから、二日ほど、ミフィーユ達は、バイアール公爵の言ったことで頭を悩ませていた。
年下の子供たちは、元気に遊びまわっている。
子供たちが退屈しないようにとバイアール公爵家は、様々なもてなしを用意してくれている。
今日は、釣りに行くとバイアール家の従僕に案内されて行った。
ミフィーユも興味を引かれたが、午前中はリッカーズ教授がタメになるお話しをしてくださる。
バイアール公爵の課題、
ナターリア様の弟君であるクロヴィス様は釣ではなく、リッカーズ教授のお話しの方に参加するそうだ。
実を言うと、ナターリア達の官吏志望に自分も一緒に勉強すると言ったことを、ミフィーユは少し後悔している。
ナターリアは自分で言い出したことだし、ユージェニーは元から勉学に社交より熱心で熱心で本を好む。
でも、ミフィーユは違った。
社交界にデビューして、素敵な紳士と出会って、結ばれ、母と同じように、チャリティで世の中に少しばかり貢献する。
それを理想として育てられてきたし、それが幸せになることだと思ってきた。
グレイシーやフロランスは、それ以外にも詩人と認められる事や、医学を学びたいと言う目標があるのは知っていたが、ロマンス小説を愛するナターリアは、自分の考えとあまり変わらないところにいると思っていたのに。
バイアール公爵というお相手がいるから、他の目標が欲しくなったのでしょうか。
でも、官吏なんてナターリア様には、あまりお似合いにならないような。
どちらかと言えば、姉のシオドラの方が向いているのではないかとミフィーユは感じていた。
シオドラお姉様はなかなかお気がお強いですから。
数年後にはオードリーにもチャンスがございますわね。と口にしておいでだった。
義理の姪であるオードリーはなかなか骨のある子(シオドラ談)だ。
姉のことを消して“お母様”と呼ばないが、表立っての諍いはしていない。
おおむね上手くいっている様子だった。
シオドラは母の薫陶もあって見かけによらず、面倒見が良い。
今回も、父母は前々からの予定だったカレドニアに狩猟に出掛けた。
カレドニアにさほど大きくはないが、別荘があり、ミダルトン家の友人達を招待していた。
ミフィーユとグレアムも共に行く予定だったが、そこにバイアール公爵からの招待が舞い込んだ。
ミフィーユが一人で来ることは出来ないので、お断りしようと思っていた矢先、シオドラが同行を申し出て父母を説得してくれた。
ソールズ伯爵家がバイアール公爵にお近づきになりたいという目算もあるのは承知しておりますけれど。
それでも姉の申し出はありがたかった。
「少し、退屈しているようだね」
リッカーズ教授が苦笑してミフィーユを見ていた。
上の空で話を聞いていたのが、気付かれてしまった。
ミフィーユは恥じ入って赤面をした。
「そう恐縮しないでくれたまえ。若い令嬢には、内容が少し早すぎたようだ」
けれど、自分より年下のクロヴィスは時より質問などするほど積極的だった。
ナターリアやユージェニーも熱心に手帳に覚え書きをしている。
「アーサー、……バイアール公爵とも話たのだが、君たちのほとんどは今手にしている手帳の値段すら知らないだろう」
マデリンを除いた他の者が、はい、と少し気後れしたように返事をした。
「だから、まずは、手帳のような日用品の値段を知ってもらうために、明日は町へ下りてみよう」
思いがけないリッカーズ教授の台詞にミフィーユ達は戸惑いを見せた。
「バイアール公爵の居城のお膝元、ドゥヴルはとても治安が良いそうだ。公爵自身も良く町歩きをするそうだよ。もちろん、バイアール公爵家のフットマンが護衛としてつくし、公爵やミスター・ロッドウェルも一緒に行かれるそうだ。むろん、私もね」
リッカーズ教授の言い方では、町へ行くことは決定事項のようだ。
「リッカーズ教授、それは僕も参加可能ですか?」
クロヴィスが勢い良く尋ねた。
「もちろんだとも」
リッカーズ教授の答えにクロヴィスが、「楽しみです」と喜びを満面にした。
ミフィーユは、そこまで手放しで喜べない。
楽しみなような、怖いような気持ちでリッカーズ教授の話の続きを聞いていた。
◇◇◇◇
集められた出資金の中から購入するのは、紙とインクとペンだけ。
その他に何か自分の物を買い物をしたくなった時のためにと、一シリングが入った布の袋をそれぞれ渡された。
「私が父に初めて渡されたのも一シリングだっだ」
アーサーが懐かしそうに言った。彼は公爵然としたいつもの服装ではなく、ジャンブル・セールで着ていたようなやや着古した服を着ていた。
ナターリア達の服も用意されていた。マデリンやメアリーアンが休日に出掛ける時のような服である。
ナターリアには、少しばかり大きくて、メアリーアンが素早く針と糸で調整してくれた。
「わたくしも付いていきたいわ」
仮装園遊会でこっそりメジャトに化けていた母、ケイトリンは、そう願ったが、アーサーにやんわりと断れた。
「ケイトリン、帰る前に二人だけで町を散歩しよう」
父は子供たち抜きで、町歩きを楽しみたい様子だった。
二台用意された馬車に乗るのは女性だけで、アーサーはナターリアが乗る馬車の背後に従者よろしく立つと言った。
オースティンもだ。なんとフレミア侯爵も、もう一台の馬車の後ろに立つらしい。
リッカーズ教授は御者の横に座るという。教授の、馬車の小さな窓からではない景色を見たいとのご希望に沿った形だった。
お付きのフットマン達は、その名前の通り、足で馬車の前後を走る。
ロンディウムでも良く見かける光景だが、ゴールディア家では、少し非効率なので、あまり行わない。
こうして、高貴すぎるお供を連れて、ナターリア達はドォヴルに繰り出した。
「お嬢様、お手をどうぞ」
恭しく頭を下げて手を差し伸べたのはオースティンだった。彼の動作は芝居がかっていて、明らかにこの状況を楽しんでいた。
「ここは、ドォブルの旧市街。あれが十四世紀に建てられた聖マーティン教会。城にも礼拝堂があるので、ここに来るのは月に一度ほどだね。君が滞在する間に、一度、一緒に来よう」
アーサーは気軽にナターリアを誘った。そうなれば、おそらく、司祭様にアーサーの婚約者としてご挨拶することになる。そう思うと気が重くなる。
「時間がありましたら」
ナターリアは当日は、頭痛になることを決めておく。
旧市街は教会のある一角で、ほぼ町の中心にあると説明された。
フレミア侯爵があたりをゆっくりと見回していた。
ここから新市街へ自分の足で新市街の市庁舎まで歩くという段取りだった。
旧市街は町の中で占める面積はさほど広くはないが、中世の面影を残していた。
婚約者同士ということで、ナターリアはアーサーの隣で歩く。
後ろについてくるマデリンには、二人の姿はどう見えているのか。
アーサーは、貴族らしく割り切っているのか、彼女が同行しているのを気にも止めない様子だった。
ナターリアは、何だかアーサーが憎らしく思える。
そう。このままアーサー様を嫌いになれれば良いのです。
少し入り組んだ道の両脇には、小さな店が多くある。
店の中が覗けるように、大き目のガラスの窓がある。窓税を気にしないでよいほど、栄えているということだった。
勝手が違うためか、ナターリア達はおそるおそる歩を進めて行き、会話も少ない。
人通りはまばらで、行き過ぎる時に、顔を知られているのか、アーサーに丁寧に会釈をしていく。
緩やかな勾配を下って行くと、大きな男がこちらに向かってきた。
「ここには昔馴染みが多い」
アーサーのその言葉が届いたように、男が体に違わぬ大きな声でアーサーに声をかけた。
「ご機嫌宜しゅう、アーサー様」
「ランドルフ、元気だったか」
アーサーが屈託のない笑顔を返した。
「もちろんですとも。夕べも、ご機嫌でエールを二杯飲みましたからな」
太鼓腹の男はアーサーに答えながらも、ちらちらとナターリア達をうかがった。
「お綺麗な、花のような方を大勢お連れになって。ようございますな」
領主に対して、あまりに遠慮がない言い方にナターリアは驚いてしまった。
「ああ、最高だよ。特に、この、ナターリアという花は特別でね」
アーサーがナターリアに視線を投げたので、彼女も「ごきげんよう」と挨拶をした。
「これは、たいそう善き花でございますね」
ランドルフと呼ばれた男は嬉しそうに何度も頷いた。
「ところで最近は何か町に変化はあったか」
アーサーの問いかけにランドルフは真面目な顔になった。
「誕生が五つ、訃報が五つです。神様は上手く帳尻を合わせなさる」
「亡くなった方に冥福を、生まれたものに幸福を」
アーサーが十字を切って、頭を下げた。ランドルフも十字を切った。
「あと、羊毛の値段がまた少し下がりました。やはり綿織物に押されてしまってますな。寒い季節がやってくるので、我々庶民には反面ありがたいことでもありますけれどね」
ランドルフは苦笑いを浮かべた。
「クロフォードの水力紡績機か。考慮に入れておこう。後日、詳しく話を聞きたい」
アーサーが話を切り上げる素振りをする。
「承知しました。今日はお迷いなさるな」
「よりどりの花には迷いたくもなるが、道は間違えないようにする。だが、もし、迷ったら、道を教えてくれるか」
「次に城にお送りするのは、アーサー様のお世継ぎにしたいものですな」
それではと、ナターリア達に挨拶をして、ランドルフは教会の方へと上がっていく。
その姿が見えなくなったところで、フレミア侯爵がアーサーに問いかけた。
「今の人はどのようなお知り合いですか」
「教会の牧師、ランドフル先生だ。普段は司祭平服を着るのがお嫌いでね。その時は、名前を呼んで欲しいと言われている」
ほとんど一斉にみんなが教会の方に振り向いた。
まさか、司祭様だとは思いませんでした。
会うことはないと思っていた司祭に偶然に会い、しかも、アーサーは自分をナターリアという花と紹介した。
ランドルフ司祭には彼女がアーサーの婚約者だと解かっただろう。
「なかなか、個性的なご仁だな」
オースティンがつくづくと洩らす。
「愉快で、そして優しい方だ。まだ、ランドルフが聖職についたばかりの頃、迷子になった私を城まで送ってくれた」
「なんで、お前、迷子になんかなった?」
「父と言い争ってね。城出をしたんだ。子供にはよくあることだろう」
貴族の子供には、そうそうない事だと、オースティンとフレミア侯爵の顔が言っていた。
いつも読んでいただきありがとうございます。
第二章の部数と第三章の始まりをいくつか結合してまとめたいと思います。
その作業をいたしますので、一日から二日の休載を予定しております。
早く終わるようでしたら、その時点で、次話をアップいたしますので、よろしくお願いします。




