伯爵令嬢の婚約破棄は教会の鐘と共に(4)
一日目の歓迎の晩餐会は無難に始まった。
晩餐会のほとんどは女主人が開催するものだ。今回はアーサーの大叔母にあたるレディ・ジェーンが行った。
彼女は、普段はカレドニアに住んでいた。早くに夫を亡くして、娘しかおらず、その娘はブランシュバイツの貴族の家に嫁いでいる。
シーズンにロンディウムに来ても、ほんの二週間ほどでカレドニアに帰ってしまう、貴族としては珍しい方だった。
ナターリアはアーサーと婚約したばかりの八歳と十歳になった時にカレドニアの地でお会いしている。
お年を召しているので、古風で厳格なところもお有りだが、ナターリアとクロヴィスは可愛がっていただいた。
特に、レディ・エミリアはクロヴィスのちょっと大人びた言動がお気に入りだった。
晩餐会のマナーとして主は一番身分の高い貴婦人をエスコートする。
アーサーはレディ・ミランダを、タジネット卿のお相手はレディ・ジェーンが。
ナターリアはソープ教授と隣り合わせになる。
アーサーとは少し離れているが、会話をできない距離ではない。
晩餐会の席に着いているのは、三十名ほど。思ったより多くない。
招待客の滞在期間はまちまちで、アーサーが滞在するひと月の間、増えたり、減ったりする。
クロヴィスはオードリー嬢を含む幾人かの子供と別室で食事をしていた。
エリオットや俳優陣は、数日後に到着するようだ。
何もわたくしも、一か月間、居ることはなかったのですわね。
けれど、父も母もクロヴィスもそのつもりでいて、バイアール家にもそう返事をしていた。
「妙齢の美しいレディ達が法学に興味があるとは嬉しいことですな」
法学の権威であるソープ教授は穏やかな老紳士で、経済学者のリッカーズ教授は鋭さを残した理知的な佇まいだ。
ソープ教授はご夫人を伴ってきていたが、リッカーズ教授は四十を少し過ぎたというのにまだ独身。
本来なら、ナターリア達が講義してもらうことなど考えも及ばないが、招待客の中で希望する者は一日に一時間ほどお話を聞かせていただける。
ユージェニーは生誕祭の贈り物を一生分貰った気分だと表現していた。
オックスブリッジの学士も数人いるために、晩餐会の会話はかなりアカデミックなものになった。
ナターリアはほとんど黙って聞いていたが、クロヴィスが同席していないことが残念だった。
弟なら、全身を耳にして会話を聞き、後からナターリアと共に話の内容を論議してくれる。
それによって、彼女は初めて聞いたような話でも、理解できるようになる。
弟に学術的な部分を負っているのは、姉としてはいささか思う所もあるけれど、そんなクロヴィスを頼もしくも思うナターリアだ。
不安だったアーサーとの対面は、アーサーが企んだいたずらで、気まずさは軽減された。
相変わらずの子供扱いですけれど。
これで良いのですわ。
アーサーは隣にいるレディ・ミランダと会話が弾んでいる。
レディ・ミランダは懐妊していらっしゃるので、ゆったりとしたドレスをお召しになっている。
そういえば、ビヨンヌ伯爵の園遊会でも似たようなラインだった。
「馬車での移動はお辛くありませんでした?」
ソープ夫人が心配そうに尋ねる。
「マルテスが馬車にこれでもかと言うくらいにソファを詰め込みましたのよ。わたくしを運んでいるのか、ソファを運んでいるのかわからないくらい」
からかいを含んでタジネット侯爵を見るレディ・ミランダの眼差しは柔らかい。
タジネット侯爵は、過剰な対策を披露されたが、照れもせずに「もう、二つか三つ用意すれば良かった。足を乗せる分が足りなかったからね」とおっしゃった。
「では、タジネット侯爵へ私からソファを贈りましょう」
タジネット侯爵の領地は、ドゥヴリンシャーの二つ隣だ。
通り道なので、レディ・ミランダを休ませる意味もあっての滞在のようだった。
「ところで、レディ・ミランダ」
アーサーは意味ありげにレディ・ミランダに話しかける。
「我が婚約者は官僚を目指すと私に宣言いたしましたよ」
皆の会話が止まる。
アーサーは何を言い出すのだろう。ナターリアはアーサーを凝視する。
「ゴールディア伯爵家もそれを後押ししていらっしゃる」
「それはまことのことですか」
デリトリー子爵が父に確認をした。
「公爵のおっしゃる通り、娘は官吏になりたいと希望しております。私も最初はどうかと思いましたが、娘にフォック卿の理念に添えば、レディと呼ばれる身分の者が率先して官吏にならなければ、と説得されました」
父、ゴールディア伯爵は力強く、眉を潜める方もいる中、ナターリアの気持ちを押してくれる。
「それは、素晴らしいことですわ」
レディ・ミランダがナターリアに対して掛け値ない賛意を表した。
「わたくしは常々、女性がもっと行政に積極的に働きかけるべきだと考えておりました。けれど、長らく女性はその知識も場も与えられておりませんでした。戦争という惨い事実があった故の、女性の官吏登用でしたが、それは進歩的であり、画期的でした。わたくしは今でも法案を提出してくださったフォック卿の 政治家としての 慧眼を尊敬しております」
レディ・ミランダは、政治家という部分を強調しておっしゃる。
人としては、かなり問題のある方だからだと思う。
「私もだ。そのおかげで、最良な女性と巡り会えたのだから」
軽口のようなタジネット侯爵にレディ・ミランダが少しばかり冷ややかな視線を送る。
タジネット侯爵はあからさまに肩をすくめた。
一睨みで夫を制するレディ・ミランダの様子に、アイアン・レディは健在だと皆に知らしめた。
「一時は重宝された女性官吏ですが、今では補佐としての役目すら与えられないと聞きます。
それに、女性の方も仕事をするためではなく、結婚相手を探すために職場へ来ているとも」
レディ・ミランダは少し間を置く。
「伴侶を得て、家庭を作るのは、良きことです。しかし、それだけを目的に官吏となることは、政府に寄与するという本来の目的とは違ううえ、ご自身を、ひいては、他の女性の未来の可能性を奪うことになりかねません。ですから、レディ・ナターリアのような、恵まれた環境で、すでに婚約者を持たれている方が、官吏を目指すというのは、世の中に一石を投じることになるでしょう」
レディ・ミランダは余人に口をはさませない明晰な口調で話した。
「ただ、古い固定観念に固まった方々には強く反発されることは必至です。それでも官吏を目指すというなら、わたくしはレディ・ナターリアを支持し応援いたします」
理知的なレディ・ミランダの瞳。ナターリアはそれを真っ直ぐに受け止める。
レディ・ミランダの存在を目標に掲げながら、どこか躊躇いも感じていた。
しかし、退官後ではあるが、彼女が男ならば、閣僚にもなっていたと、評価された貴婦人の言葉は、ナターリアの心から迷いを一掃させる。
「ありがとうございます。もし、官吏になれましたら、至誠をもって職にあたります」
「そうしてちょうだい。それが、貴族の責務ですから」
「貴族として、人としての責務でございますわね」
最後のナターリアの返事に、レディ・ミランダが少し目を見開いた。
それから、柔らかに目を細めてタジネット侯爵に言う。
「若い方の考え方の革新的なこと。わたくしも目を覚まさせられますわ」
「レディ・ナターリアには私も驚かされてばかりだよ」
可笑しそうにタジネット侯爵は笑ったが、ナターリアは侯爵を驚かせた覚えはなかった。タジネット侯爵夫妻の好意的な評価に、晩餐会の客達も批判的な表情が無くなる。
「レディ・ミランダにそう言っていただけると、私も次のことを言いやすくなりました」
グラスを傾けながらナターリア達のやり取りを聞いていたアーサーが再び口を開いた。
「私も婚約者の決意に感じ入り、応援をするつもりですが、これを彼女個人だけにとするのは、貴族としても人としてもどうなのかと考えました」
アーサーの朗々とした声が晩餐会の出席者の耳目を集める。
「アーサー、どういう意味ですの?」
レディ・ジェーンが一同を代表するように問いかけた。
「恵まれた貴族の令嬢が官吏の道を目指すことに意義があると同時に、官吏を目指したくても、境遇のせいで出来ない女性もいるでしょう。ですから、私はそのような女性が学ぶ場を提供をするつもりでおります」
それは、つまり。
「貧しき女性も富めるレディも一様に学べる場所、富める者からは授業のための費用を出していただき、貧しき者には、反対に奨学金を出すことによって学ばせる。そう、奨学金を受け取ったものは無事に官吏なる、もしくは別の職場でもいい、についたら、奨学金の四分の一程度を次に続くもののために寄付をするそんな構想を描いております」
ナターリアはアーサーの発言に瞠目する。彼はやはり王国の道筋を選ぶ御者。
馬車の中で、ナターリアと対立するように投げられた言葉の後で、冷静に政治的に吟味して、ナターリアに支援を、さらには女性全般にまで支援を拡大する。
多くの反発は予測できる。
だが、娘を働かせねばならない親達や働かねばならない女性は、彼を支持することも目に見えている。
政治と言うものを学び始めたばかりのナターリアではあるが、政治家が世論を動かすことの重要性は理解できた。
時代は動いている。
領主が頭ごなしに庶民を押さえつけることは出来なくなりつつある。
新大陸の独立がその一端。
アーサーは手を組んで左右を見回した。
「この考えにご賛同いただけましたなら、ぜひご協力を賜りたい。わたくしはまず当座の基金として千ポンドを用意しました」
「では、私も千ポンドを」
真っ先に声を上げたのは父のゴールディア伯爵だった。
「同じく」
タジネット侯爵も。
それから、フレミア侯爵。
「賛同はしますが、とてもそのような大金は出せません。申し訳ないが、百ポンドでお願いします」
フロリッツ家のウィリアムが本当に申し訳なさそうに言った。
「では、私は五百で」
オリヴァーが言うと、回りの何人かの貴族も、大小様々な金額を約束する。
「三千ポンド出しましょう」
いきなり、一人の紳士がアーサーの三倍の金額を口にした。
カーランド家のロイスだった。
カーランド家は元々はコーヒー店を営んでいたが、そのコーヒー店に保険引き受け業者が集まるようになり、ほとんど保険取引の場となった。
カーランド家は、先代がコーヒー店の経営だけでなく、保険引き受け業者として、また、集まってくる情報を元に貿易や株で巨万の富を築いた。
二代目のロイスも、なかなか手堅い商売をすると共に、上流階級へのきざはしを登るために、あちこちに顔を出していることは、ナターリアですら知っていた。
「今回は連れて来ませんでしたが、私にも娘が一人おります。是非とも、バイアール公爵が提供される学びの場に参加させたいものです」
如才ない笑顔を浮かべてロイスはアーサーに話しかけた。
「大きな賛同を感謝しましょう」
鷹揚な態度でアーサーは礼を述べてから。
「ソープ教授、リッカーズ教授には是非、学術的な支援をお願いします」
師に対してきわめて真摯な態度で協力を願った。
「まあ、良かろうよ」
ソープ教授が困った奴だというようにアーサーに同意した。
「大いなる実験として、興味深いね」
リッカーズ教授は少し捻った回答をした。
こうしてバイアール公爵の晩餐会は、思いがけない形で終わった。




