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プロローグ

 

「幸せになるには婚約破棄が近道なのですわね」

 ナタリー・ゴルド伯爵令嬢、8歳は本から顔をあげた。

 彼女の回りに本が散らばっている。

 内容は、婚約破棄をした令嬢が、色々な経験をして、最後に幸せをつかむ話ばかりだ。


 彼女は幸せになるために、婚約破棄を目指すことにした。

 まず、父に言った。

「婚約破棄をしたいから、婚約をさせてくださいませ」

「却下」

 父はナタリーに、約束を守ることと結婚の大事さを説いた。彼女の願いはかないそうもない。


 ではと、彼女は幼なじみの貴族の令息達に言った。

「婚約破棄を前提に婚約してください」

「結婚を前提に婚約するならお受けします」

 令息達はみなそう言った。彼女は幼いながらも評判の美少女なうえ、ゴルド家は名門だったから。


 ナタリーが意気消沈していると、親戚のアーサー・バイエル公爵19歳が、「破棄を前提なら」と言ってきた。

 プレイボーイと評判の若者だ。ほどなく二人は婚約した。


「そろそろ婚約破棄をしてください」

 ナタリーは16歳になった。

「まだ、早いよ」


「17歳です。早く真実の愛を見つけなくては」

「君は風避けにちょうどいいんだよ。私はもう少し遊びたい」

 女の敵な発言だが、ナタリーも婚約破棄を望む身。ここは引き下がる。


「もうすぐ18歳ですわ。時間がありません」

「解った。では、結婚式をあげるその日に婚約を破棄しよう。ドラマチックだろ?」

「大勢の前で、婚約破棄を宣言される、定番ですわね」

「喜んでくれて嬉しいよ」


 結婚式の当日、ナタリーが誓いの言葉を言うと、アーサーが婚約破棄を言い渡す。


「私、アーサーは、ナタリーと婚約破棄をする」

 ざわめく招待客達。アーサーは無慈悲に言う。


「婚約を破棄して、彼女と結婚することを、ここに宣言する」

 沈黙の後に盛大な拍手が起こった。


「約束が違います。これでは計画が違ってしまいます」

 ナタリーはアーサーに言った。

「何が違う?婚約破棄後のハッピーエンドだ。予定通りだろ、ナタリー?」


 アーサーがナタリーに誓いのキスをする。


 教会の鐘が、二人を祝福するように高らかに鳴った。





「……なんて、都合の良いことが、本当に起こるわけはないのに」


 ナターリア・ゴールディア、ただいま十七歳は、手にした短編を見つめて苦笑をもらす。


 自分達のことをモデルにしたその短編は、甘いハッピーエンドで終わっている。

 しかし、現実はそう甘くない。



 ◇◇◇◇



「昨夜も、バイアール公爵はメイスン未亡人とオペラを見に行ったそうだよ」

 コンラートが楽しそうに告げてきた。

 彼が楽しそうなのは、目の前にお菓子がたっぷりあるからかもしれないけれど。


「先週と相手が変わりましたのね」

「彼はモテるからねえ」


 コンラートはクリームをたっぷりつけてスコーンを口にする。

 お菓子を食べる彼は幸せそうだ。ふっくらとした頬に少しクリームがついている。


 ナターリアはナプキンでそれを抜いとった。

「ありがとう」

 天使のような微笑みをコンラートは浮かべた。

 彼の琥珀色の瞳がとろりと溶ける。

 この笑みにやられてしまう老若男女は多い。

 ナターリアもそうだった。


 八歳の時に、婚約破棄を前提にした、婚約を申し込むくらいには。


「婚約破棄をしない婚約なら」

 と恥ずかしそうに言った五歳の彼。その顔は胸をキュンとさせる可愛らしさだった。


 コンラートが王子ではなかったら、そして、二人が乳兄弟でなかったら、二人は婚約していたかもしれない。


 三歳歳下の乳兄弟、コンラート・マクシミリアンは第二王子。


 ナターリアと弟のクロヴィス、そしてコンラートは、ナターリアの母、ケイトリンと王宮の西に造られた離宮でコンラートが三歳、ナターリアが六歳まで一緒に過ごした。


 王家の乳母はそれなりに家格の高い貴族の奥方から選ばれる。


 弟のクロヴィスが生まれた三か月後に母のケイトリンがその大役に選ばれた。



 子煩悩なケイトリンは子供達と一緒でいいのならと条件をつける。


 その条件が許されたのは、乳飲み子を持つ貴族の夫人に適当な者が少なかったこと。


 加えて、王家に連なる先代のバイアール公爵の意向がかなり働いていたと噂されていた。


 バイアール家はゴールディア家の縁戚でもあった。



 王妃であるコンラートの母は、公務とやや病弱な王太子に心を砕いていたため、コンラートは

 よく言えば自由、悪く言うと放っておかれた環境にいた。


 二日に一度、ケイトリンと共に、父母と兄に会いに行く。

 幼い頃の家族とのふれあいは、そんな風だった。


 そんな中、足しげく離宮に通う親子がいた。


 バイアール公爵とその夫人、そして、息子のアーサーである。


 ナターリア達が初めて離宮に出仕した頃、アーサーは、十四歳。


 少年だったアーサーは、ナターリア達の相手をよくさせられていた。


 今にして思えば、その訪問はコンラートとアーサーを親しくさせるためだったのだと思う。


 けれど十四、五歳の少年に、幼児三人の相手はさぞかし大変だったろう。


 三人にとってアーサーは、大きなお友だちであり、ヒーローでもあった。


 三人は、競ってアーサーを独占しようとした。


 普段は仲のいい三人が、喧嘩をするのはアーサーが来た時だけだった……。





「アーサーに不満があるなら、ナターリアから申し出て、さっさと婚約破棄をすれば、いいのじゃない?」

 コンラートは、今までも何度も言った台詞を繰り返す。


 ナターリアも何度目かになる台詞を口にした。


「十五才になった頃から、アーサーに申し出ておりますわ」


「でも、アーサーがうんと言わないわけだ」


「ええ、このままですと、いきおくれと呼ばれる歳に婚約破棄なんてことになりかねませんわ」


 コンラートは困ったように言う乳兄弟を優しげな目で見つめる。


「嘆かないで。できる限り、君が幸せになれるようにお手伝いするよ。おねえさま」

 それを聞いたとたん、ナターリアは顔を輝かせた。


「本当に?実はね、お願いしたいことがあるの」

 ナターリアは、小さく手を合わせると、今日の本題を話し出す。


 ナターリアがお願いごとを聞いてもらい、コンラートがすっかりスコーンを食べ終える頃に、開かれた扉から紳士が一人、姿を現した。


「やあ、アーサー、婚約者を迎えに来たのか?」

 コンラートが彼を中に招き入れる仕草をした。


「ごきげんうるわしく、殿下。いつも、我が婚約者の相手をしていただき、誠に光栄です」

 優雅に略式の礼をするバイアール公爵アーサーは、微かに唇をあげていた。


 彼の日陰の木の葉を想わせる緑の瞳がナターリアとコンラートを捉える。


「ナターリアは僕の乳兄弟だからね。気兼ねなくおしゃべりできる最高の相手だよ」

「そう言っていただけて、うれしいわ。」

 ナターリアとコンラートは顔を見合わせて微笑み合った。



「では、殿下、これで失礼しますわ」

 優雅に一礼をしてナターリアはコンラートとのお茶会を辞する。


「ごきげんよう。わが心の姉上。私の心の母上にもよろしく伝えて。たまには顔を見せてくれるとうれしいと」

「承知いたしましたわ」


「ああ、それと、私のもう一人の乳兄弟にも、たまには会いに来いと私が言っていたと伝えて。勉強は大切だが、頭の虫干しをしないとカビが生えてしまうもしれないからね」


「本当に。だいたいクロヴィスときたら、歴史の研究三昧。その知識で助かることもありますけれど」


 ナターリアとコンラートの会話が再び始まろうとするのを、アーサーが遮った。


「ナターリア、王宮の門が閉まってしまうよ?君は王宮に部屋をいただいてはいないだろう?……私の部屋に泊まるというなら、それでも構わないが」


 艶を含んだ声が、ナターリアの耳朶をくすぐる。そこには笑いが含まれており、彼がナターリアをからかっているのだとすぐに分かった。


「まあ、大変。そうなると今後の計画に支障が出てしまいますわね。殿下、お話は尽きませんけれど、本当にこれでお暇いたしますわ」


 アーサーが差し出した腕を取ってナターリアは今度こそコンラートの室を辞した。



 ◇◇◇◇



 アーサーにエスコートされてナターリアは王宮の廊下を歩く。


 すれ違う宮殿の人々は慇懃に、しかし、好奇の目を持って二人に会釈をしていった。


 二人が婚約破棄を前提にして婚約していることは、つとに知られていた。


 本当に婚約を破棄するのか、それともこのまま結婚をするかで、大掛かりな賭けが行われているらしい。


 ナターリアは、出席した夜会でさりげなく、いつ頃婚約破棄をするのか訊かれていた。


 婚約破棄について訊いてくるのは何も賭けのためだけではない。


 アーサーにご執心の令嬢やら貴婦人らもナターリアに訊ねてくる。

 ご婦人方の方が訊き方はあからさまだ。


 そんな時彼女は決まって答える。


「公爵のお心しだいですわ」


 そしてため息を一つ。自分は婚約破棄をしたくて堪らないというように。


 ナターリアは純粋無垢だった八歳の子供ではない。腹芸の一つもこなさなくてはならない、貴族の世界にいる伯爵令嬢なのである。


 今もナターリアはかすかに眉をひそめて廊下を歩んでいた。





 馬車停めまで来るとそこに伯爵家の馬車は無かった。


「伯爵家の馬車は先に帰したよ。君は私が送って行こう」


「王宮にお部屋があるのでしょう。そちらに泊まられては?馬車はお借りしますけど」


「誰にも邪魔されず、ゆっくり今日は寝たくてね。こう連日だとさすがに身が持たない」


 何が、とは聞かない。彼の艶聞は常にどこからか流れてくるからだ。


 けれども、二人で馬車に乗ったとたん、


「お盛んですこと」


 と、つい漏れてしまう。


「そんなに楽しく遊んでいるなら、婚約者は邪魔でしょう?そろそろ破棄していただいてもよい頃では」


 ナターリアは社交界で春の日射しと讃えられる、微笑みを添えて提案する。


「楽しく遊びたいからこそ、婚約者が必要なんだよ。マイレディ」


 アーサーは悪びれる様子もなく、言い放つ。


 木の葉色の瞳がすがめられて、得も言われぬ艶を宿した。


 アーサーの瞳には女をたぶらかす魔が宿っている。そう噂されるのも無理はない。


 残念なことに、幼いころから見慣れているナターリアには、あまり効き目はないけれども。


「ところで、今日はコンラート殿下にどんな用があったの?」


 アーサーは話題を変えてきた。


「乳兄弟に会いに行っただけよ」


 いけない?とナターリアは目で訴えかける。


「乳兄弟と言っても、もう幼い子供ではない。頻繁に会えば余計なことを勘ぐられる」


 あまり、コンラートと親しくするなということだろうか。王権に近づくものは、バイアール公爵家だけでよいと。


「王家において、乳兄弟とは結婚はできない。そういう慣習だわ。何を勘ぐるというのかしら」


「君は殿下に、結婚を申し込んだ前科がある」


「幼い子供の頃の話だわ。それに、申し込んだのは、破棄を前提にした婚約」


 乳母や乳兄弟はその立場上、乳を貰った赤子に影響力がでることが多い。


 権力に関わることゆえに、乳兄弟同士の結婚はタブー視されていた。


「あなたが申し込んできたのと同じですわ」


 ナターリアがコンラートへの破棄前提の婚約の申込をしたことで、皆は誤解しているが、婚約を申し込んで来たのは、アーサーの方である。


「そうだね。では、こう言い直そうか?殿下ではなく、私に会いにきなさいと。仮にも婚約者なのだから」


「仮ですので。……それとも、どなたかと、()()お別れしたいのかしら」


お読み下さってありがとうございます。

連載に当たり、前回の短編は一本の作品として完結しておりますので、このような形にしました。


短編通りに進むか否か、主人公と共にドキドキできるような話を目指したいと思っております。


※2022.2.7中は、第二章、第三章の話数の結合作業をしております。 

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