碌な記憶が無いようです
目を覚ませ―――
突然、どこかから声がした。とても聞き覚えのある老人の声だ。
「どなたでしょうか…。」
寝ぼけたままの体を動かして立ち上がった。その瞬間、目の前に人が現れた。
「なっ…貴方は…!?」
「この世界に来てから良くやってるではないか。感心したぞ、人間。」
私をこの世界に転生させた張本人の神であった。
「あの時の夢以来だな。」
「他人事のように…!あなたのおかげで私はかつての生活を失い、こうして身を隠し、惨めで、哀れな生活を送ることになったのですよ!」
「元の世界でもそう変わらないだろう。周りの環境から身を隠し、友も作らず、部屋に籠っていた者がよく言う。」
返す言葉もなかった。かつての世界の私は徹底的に影に身を隠し、誰とも交わらず、孤独であり続けた。
「ならば、この世界に送ったとてなんら変わらんだろう。それとも、私が以前、夢で説いたことを忘れたのか?」
「忘れてなどいないし、それを守るつもりも毛頭ございません!」
「…哀れだ。まあ良い、どのみち貴様はこの世界に居り続けなければならない。仮にこの世界で天寿を全うしたならば考えてやらんこともないが、な。」
私が口を開こうとした途端、視界がぐるぐると回り始め、そのうちまた眠ってしまった。
「大丈夫ですか、シロビィ様。」
次に私が目を覚ましたのは、アンナが心配そうに私に駆け寄った時だった。
「ずっとうなされておりました。何か悪い夢でも見られていたのですか?」
フラフラする感覚が残る頭を手で押さえながら言った。
「神からの…いや、何でもない。とにかく大丈夫だ。」
一瞬、神から叱られたなどと言おうとしたがやはりやめておこう。気でも狂ったのかと思われてしまう。
「?まあ、ご無事なら大丈夫です。」
私の返事を聞いたアンナは若干不思議そうな顔をしながらもほっとした表情を見せていた。
「朝食の用意ができました。宮廷料理が振る舞われるようですよ。」
「わかった。すぐに行く。」
アンナの知らせを聞き、若干の期待を胸に秘めながら食事へ向かった。もう二度と食べられないと思っていた宮廷料理だ。久しぶりに心が晴れやかな気分になった。
用意されていた朝食は、それは素晴らしいものだった。
ヴィヤーシュレッゲリと呼ばれるこの食事は、マージャル王国では特別な時に食べられることの多かった豪華な食事である。詰め物をしたゆで卵、冷たいステーキ、冷たいサラダ、サケのオムレツ、パンケーキ、クルズット、キャビア、フォアグラ、果物のサラダ、コンポート、フルーツヨーグルト、果汁、シャンパンとペイストリー、ケーキ、クッキー。これらのメニューによって構成されている。
豪勢な食事を、酒場の奥にあるかつての宮廷の広間を模した空間に招かれて食事を頂いた。
「シロビィ殿が来られるまでの間、この地域も何度か評議会の連中の取り締まりがありました。」
そう話すのは「反評議会・条約市民革命軍正統王朝派」を取りまとめてきた元貴族のフェレンツ・ドボーだ。
「今の我々に必要なのは象徴となる存在。ですが、肝心の君主たるリンデンブルク家を呼び戻すことは現状では不可能。」
一呼吸おいてから再び話し始めた。
「ですが、シロビィ殿のおかげで状況も変わりましょう。かつての帝国宰相であり、陸軍総司令官であったルヴフ・シロビィ閣下の息子でいらっしゃる、貴方様が来られたことで、我らの間では希望が湧いています。」
父ルヴフは、前の戦争の最中に死んだ陸軍総司令官の後任として、軍をまとめた。皇帝陛下からも強い信頼を得ており、戦争の中盤から宰相に就任した。一応、最後にして最良の宰相だとか、後10年早く宰相になっていたら世界を変えていたと言われていた。
まあすでに過ぎた話だし、没落した身から言えば全く関係ない名声だと思っていたのだが(むしろ評議会に執拗に狙われる要因になっていた。)
「驚きました、フェレンツ侯爵閣下。私がそこまで期待されているとは…。」
「昨日の臣民たちの頼みを聞いて、それを裏切るような真似は出来ますまい。それに…」
ナイフとフォークを置いて言った。
「我々の忠誠は本物です。そして、かのルヴフ閣下の息子であるシロビィ殿ならば王政復古を成し遂げられると、確信しているのです。」
その目は、本気だった。
ヴィヤーシュレッゲリ(Villásreggeli):現実では、ハンガリー料理の一種で、特別な時などに客人を招いて食べられる。作中で言っただけのメニューが朝食で出される。
反評議会・条約市民革命軍正統王朝派:反政府勢力の中で最大の勢力を持つ。リンデンブルク朝の復活を目指している。
リンデンブルク家:マージャル王国を含んだ大帝国の君主。前の戦争で国外へ亡命したが、現在でも国民からの支持は大きい。